「量子の北風」第一話
長沢恵一(30)アウトロー
成原高子(28)経産省官僚
杉下良二(32)Fortressリーダー
船田孝之(26)Ariesリーダー
川口源一(50)運び屋
篠塚孝義(52)地上げ屋幹部
◯警視庁
入り口に警察官が立ち、警戒している。
○取調室
長沢恵一(30)が吉川雄一(40)と大峰志郎(38)に取り調べ
を受けている。
長沢「だから、俺はやってねえっての」
吉川「とぼけるな。お前には威力業務妨害の容疑が掛かってるんだ。お前が
初芝電機のサーバーをハッキングして、製造前の製品設計図を盗み出した
んだろう」
大峰「シラを切っても、取り調べは終わらんぞ!」
長沢「知らねえって。不正アクセス禁止法じゃなくて、威力業務妨害の疑い
ってことは、証拠が掴めてねえんだろ」
大峰が机を叩く。
大峰「警察舐めんじゃねえ!お前を有罪にす る法律なんかいくらでもある
んだよ!」
吉川「お前が罪を認めない限り、これはずっと続く。吐いちまえば楽になる
ぞ」
長沢は頭を抱える。
長沢「全く、埒があかねえ」
○留置場
長沢がベットで横になっている。
長沢「くそ、こんなことがしたかった訳じゃ無い」
長沢は布団を掴み、包まって目をつぶる。寝たまま右手を伸ばし、何
かを掴むような仕草をする。
職員「長沢。面会だ。出てこい」
長沢「面会?」
○面会室
長沢が椅子に座り、アクリル板を挟んで成原高子(28)が座ってい
る。後ろでは職員がペンを持ち吉川が煙草を吸っている。
長沢「…あんたは?」
高子「私、経済産業省の成原と言います」
長沢「こんな所で、俺に何の用だ?」
高子「長沢さん、初芝のサーバーをハッキングした罪で逮捕されたというこ
とになってますが、実際はそうじゃありません」
吉川は苦々しい顔で高子を眺めている。
高子「あなたが作った、暗号通信ソフトウェアTETRA。量子アニーリング技
術を応用し、政府・警察等第三者からは解読不能な暗号で通信が行える。
ゼロトラスト環境でも組織のローカルネットワークに自由に出入り可能に
なります」
長沢「…やっぱりか」
高子「このソフトウェアが世のハッカー達に使われれば、情報セキュリティ
上脅威になります」
吉川は煙草を灰皿に押し付ける。高子は机に頬杖を付いて続ける。
高子「警視庁はこのソフトを規制したがってますが、経産省としてはこんな
物をみすみす闇に葬るなんてことはしたくない。出来ればコントロール可
能な形で公開していて欲しいと思ってます」
長沢「出せとか出すなとか、勝手な話だな。お上は何でもそんな調子か?」
高子「…いきなりこんな事言っても、信用して頂けないですよね」
高子は頬杖を解き、身を乗り出す。
高子「ファイル共有ソフトwannyの事はご存じですよね?例の大学准教授が
作った」
長沢「…執行猶予の後で、突然の心不全で死去、だったか」
高子「国にとって大きな損失です」
吉川「…あれは世を騒がせすぎたからな」
高子「このままじゃ、長沢さんも例の准教授の二の舞です」
長沢「別に、経産省に心配されるような筋合いはないさ」
高子「…私の父も大学教授でした。日本の遺伝子研究の第一人者で、深い知
識と優しい心を持っていました」
高子は視線を落とす。
高子「子供達や貧しい人達が食べるのに困ることが無い様にと、生産性が高
く疫病に強いコメの遺伝子研究を行っていました。でも、それが日本の農
業生産にまつわる既得権益を脅かすことになり、農協や農林水産省、自営
農家等様々な所から非難され、父は研究を捨てざるを得ませんでした」
高子は少し涙ぐむ。
高子「ある日、父は書斎でコップに薬を入れ、服毒自殺していました。…私
は暫くそれを受け入れられませんでした。…あなたには、私の父の様にな
って欲しくないんです」
長沢は腕を組みながら、暫く考え込む。
長沢「まあ、理由があるのは判った。あんたみたいな奴に心配して貰えるの
は悪い気はしない」
長沢「あのソフトは、オープンソースの状態で置いておけば、誰かがもっと
改良して、日本のコンピュータ技術も上がっていくと思ってた。…だが、
まあ全て思う通りには行かないだろう」
長沢は机に片肘を付ける。
長沢「商用ソフトとして、ライセンス制で売るってのはどうだい、成原さ
ん?」
高子「ええ、私もその線が良いと思います。紹介して欲しい各業界の人が居
たら、連絡してください。力になりますんで」
高子は名刺を長沢に差しだそうとするが、アクリル板の為渡せないこ
とに気付く。
高子「…また今度、お会いしましょう」
○警視庁前
吉川と大峰が長沢の前に立っている。
吉川「証拠不十分で釈放だ。これに懲りたら、大人しくしとくんだな」
大峰「全く、運の良い野郎だ」
大峰が長沢の背中を叩く。
長沢「はいはい」
長沢は立ち去ろうとする。
吉川「長沢」
吉川に声を掛けられ、長沢は振り返る。
長沢「え?」
吉川「頑張れよ」
○長沢の自宅
長沢はPCの前に座り、TETRAをライセンス制にするための開発を行っ
ている。
長沢「全く、コアな部分を作る時と比べると、気持ちが乗ってこないな」
不意に長沢の携帯電話に着信が入る。
高子の声「どうも、長沢さん」
長沢「ああ、成原さんか。この間はどうも」
高子の声「サイト見ましたよ。開発進んでるみたいですね」
長沢「まあ、何とか。三ヶ月以内には公開出来ると思うよ」
高子の声「待ってますよ。…所で、今週の土曜って暇ですか?良かったら、
六本木で食事でもどうかと思ったんですが」
長沢「ああ。大丈夫だよ」
○六本木 フレンチレストラン(夜)
長沢と高子が席に座り、食事をしている。
高子「結局、一般向けには経産省が長沢さんにクレームを付けてライセンス
制にするように迫ったとして、警視庁の顔を立てるようにしました」
長沢「ああ、向こうからは何も言ってこないよ」
高子「警視庁が関わらないことで、ソフトウェアの透明性を確保出来るよう
にしたいと言うのが経産省の意向です」
長沢「悪いね、色々気使って貰って」
高子「この件は私が大きく関わってますんで。
私が始めた仕事は、私自身で責任取ります」
高子はナイフとフォークを置くと、長沢を見つめる。
高子「…その、可能であれば今後も、こういうことに関して一緒にやって行
きたいと思うんですが」
長沢「それは経産省として?それとも成原さん個人として?」
高子「…出来れば両方で、というのは私の個人的見解です」
長沢「判ったよ。…飯代払っとくよ。どうせ滅茶高いんだろうけどな」
○六本木市街(夜)
長沢と高子は並んで夜の街を歩いて行く。
高子「ところで、初芝のサーバーをハッキングしたっていうのは本当なんで
すか?」
長沢「どうだろうな。随分前のことだろう」
高子は両手を後ろに回し、背中を屈める。
高子「もう、私には教えてくれても良いじゃ無いですか」
長沢「で、やったと言ったらどうするんだ?俺を不正アクセス法違反やら何
やらで通報するのか?」
高子「しないですって。単に気になっただけです」
長沢「まあ、答えは風に舞っているって奴だ」
高子「ボブディランね。全くもう」
長沢「もう一軒行こうか」
長沢と高子は喋りながら夜の六本木を歩いて行く。車が通りを行き交
う、喧噪の中を二人ですり抜ける。
◯千代田区市民会館
広く薄暗い部屋の中で、プロジェクターが映され、長机に十数人の男女が
座っている。高子が長沢と立って話している。
高子「長沢さん、ありがとうございます。来てくれて」
長沢「ああ、あんたの頼みだからな」
高子「あなたが居れば、今度の件は安心ですよ」
長沢「それにしても、随分物々しい雰囲気だな。知ってる連中もちらほら居るよ」
高子「ええ、経産省とコネのあるハッカーを片っ端から集めてます」
長沢と目が合った大原明弘(29)が立ち上がる。
大原「よお。長沢」
長沢「大原か。久しぶり」
大原「サイト見たよ。良いもん作ってるじゃないか。オープンソースの頃か
らチェックしてたぜ」
長沢「ああ、ありがとう。あれのせいで警察に睨まれて大変だったよ」
大原「ははは。東京拘置所じゃ、まだ飯にハチオーのパック牛乳出してるの
かな。道路であのトラック見ると憂鬱になるよ」
高子「容疑者あるあるですね」
高子が画面の横に立ち、長沢と幾つかのグループが席に座って聞いている。
高子「どうも、お集まり頂きありがとうございます」
高子はレーザーポインターを確認する。
高子「今日の話としましては、ある組織について調べて頂きたいということです」
高子「通称、地上げ屋。警察や民間の情報を傍受し、どこかに流しています。それ以外にも暴力行為や不審死、大規模な窃盗事件にも関わっている可能性があります」
高子はキーボードを押す。
高子「公安が経産省に出してきた情報によると、大手ゼネコンの抜手建設が
バブル期に作った土地収用部門が時間を経ることで変質し、現在の形にな
ったと言うことです」
大原「そこまで判ってるんなら、警察が捜査すれば良いだろ」
高子「抜手建設は法を楯に会社を守る弁護士と法など何も気にしないヤクザ
を大量に抱えてます。正面から行ったら10年経っても立件出来ません。そ
こであなた達の出番です」
男「見返りはあるのかい」
高子「一人辺り五百万。そして今後のあなた達の活動に目をつぶることをお約束します」
○長沢自宅
長沢が部屋でPCに向かっている。後で高子がくつろいでdvdを観ている。
高子「長沢さん、オランジーナもう飲んじゃって良い?」
長沢「ああ、良いよ」
高子「それで、何か判りました?」
長沢「そうだな、抜手建設は全国に12の支社があるが、決算報告書を見ると
熊本支社が26億円の赤字だ。こういう所は大体セキュリティに穴がある」
高子はPCを覗き込む。
高子「…なるほど。そこを攻撃する訳ですね」
長沢「ああ。ざっと検索してみた所、14の固定IPアドレスが熊本支社で使わ
れてる」
長沢はマウスをクリックし、nmapと書かれたウインドウを開く。
長沢「どうやら、サーバーはクラウド化されてないな。違法なファイルは社
内で管理しときたいってことだろう」
ウインドウで激しくメッセージが流れる。
長沢「ファイル共有サーバーがあった。セキュアシェルのバージョンも古い
やつだ。これなら俺の知ってる攻撃方法でログイン出来る」
長沢は棚に閉まっている大学ノートを開く。
高子「これ、長沢さんの書き溜めた奴ですか?」
長沢「ああ、18種類位脆弱性の攻撃方法を覚えてな。覚えただけで使ってな
い奴とか、対策されて使えない方法もあるが、随分苦労したよ」
高子「…へえ…」
高子はノートをしげしげと眺める。
高子「私も、良い大学入ってからも官僚になるために勉強しまくりました。
周りが人生楽しんでる時も」
長沢「そりゃ凄い。国を動かすだけのことはあるね」
高子「長沢さんは、勉強してるように見えないのに、随分努力したんです
ね」
長沢「まあ、そのお陰で警察にご厄介になってるからな。何のための勉強か
だよ」
高子は微笑み、少し肩を寄せる。
高子「何かあったら、私の名前を出して下さい。私が長沢さんのこと守りま
すんで」
長沢「…ありがとう」
長沢はteratarmと書かれた黒いウインドウを操作し、コマンドを打ち込ん
でいく。
長沢「支社長のディレクトリを開けた。保存してある文書にマルウェアを埋
め込んでログを消しておく。これで本社の人間が送信された文書を開いた
ら、本社のネットワークに侵入出来る」
高子「いい感じですね。思ったより早く済みそうです」
高子のスマホに着信が鳴る。
高子「はい」
○六本木クラブ
フロアの隣の部屋で長髪にサングラスの杉下良二(36)が椅子に座り、
脚をテーブルに投げ出してスマホを掛けている。
杉下「よう成原さん。Fortressの杉下だよ。地上げ屋の件、アジトの場所突
き止めたぜ」
高子「ええ?!」
杉下「詳細はメールで送る。報酬は宜しくな」
杉下はスマホを切る。
杉下「黒田ちゃん、抜手建設の社員は?」
黒田義彦(30)がスマホの画面を見る。
黒田「2階に閉じ込めてあります。」
杉下「あんまり手荒なことは駄目だよ。お上の仕事でやりすぎると後がうる
さいからな」
黒田「後が残らない程度に痛めつけてます。アジトのドメインサーバーにロ
グインする為のパスワードを聞き出してる所で」
杉下「いいね、さすが黒田ちゃん」
杉下はバーボンの瓶を呷り、スマホを動かす。
杉下「セキュリティは固そうだな。おうお前ら、抜手側のネットワークをマ
ッピングしろ。どっかに抜道が作られてるかも知れん」
男達「はい」
男達はノートPCを動かす。杉下はなおもバーボンを呷る。
杉下「アジトが一つだけとは限らんな…」
杉下はスマホを動かし、アジトのネットワークをスキャンする。
杉下「スマホで仕事するのは指が疲れるな。黒田ちゃん、2階に行ってもっ
と情報を聞き出せないかやってみてくれよ」
黒田「了解」
○長沢自宅
高子がリストを調べている。
高子「杉下良二、36歳、ハッカーグループFortressのリーダー…ハッキング以
外に暴力・恐喝行為に関わり、警視庁から指定を受けている…」
長沢「味方にも穏やかじゃないのが居るな」
高子「まあ、政府にだってそういう手合いは紛れてますからね。下手なこと
をすれば、後で後悔する羽目になると思いますが」
高子はふっと笑う。
○六本木クラブ
杉下が憔悴して手錠を掛けられた中岡雄一(38)と話している。
杉下「オーケーオーケー。あんたのお陰で助かったよ」
中岡「も、もう良いだろう。勘弁してくれ」
杉下「まあ、こっちの要件は済んだからな。だが、お前の会社の方はそうで
もないようだ」
杉下「向こうもあんたから情報が漏れたのに気づいたみたいだな。あんたの
妻と娘含めて、あんたを消すように地上げ屋のオーダーが出てるよ。家に
黒服が車で向ってる」
中岡「…な、何だと。家族は関係無いだろう」
杉下「お前を雇ってる会社に言いな」
中岡「…ちくしょう」
杉下「まあ、散々お前を拷問して、妻子まで消されたんじゃ寝覚めが悪いか
らな。仲間にマンションの部屋番号を空室と入れ替えさせて、ベランダか
ら逃してやった。店の前で落ち合ったら、東南アジアにでも逃げるんだ
な」
中岡「…」
杉下「暫くしたらお前の居た会社は潰れてるよ。外国で働くか、ほとぼりが
冷めたら帰国すりゃあいい」
中岡「…わかった」
杉下はバーボンをなおも呷る。中岡は手錠を外され、ドアの外に出て
いく。
黒田「杉下さん、宜しいんで?」
杉下「ああ、奴を追うのにも向こうは人を割かなきゃならないからな。後で
使えるかもしれん」
杉下は煙草を吸い、灰皿に吸殻を押し付ける。
◯足立区アパート
築15年程、2Kのアパートで安原義男(33)がPCの前に座ってい
る。
安原「あー…頭痛え。アスピリンの飲みすぎだ」
安原はメールをチェックする。
安原「また上からの指示か。同封した脆弱性で中島建設のクラウドを攻撃しろ…と」
安原は返信し、ペットボトルを空ける。突如として玄関のドアが吹き
飛び、警視庁の特殊部隊が部屋になだれ込んで来る。
隊員「警察だ!」
隊員2「大人しくしろ!」
隊員達は短機関銃を安原に突き付け、床に抑えつける。
安原「わ、判った判った」
安原は手錠を掛けられ、拘束される。玄関からパーカーを着て前のポ
ケットに手を突っ込んだ船田孝之(26)が入ってくる。
隊員「経産省さん、頼むよ」
船田「お仕事ご苦労様」
船田は安原のPCの前に座り、キーボードを叩く。
船田「よし、証拠は抑えたよ。拘置所まで連れてってやって」
隊員「13時36分、被疑者拘束。不正アクセス禁止法により現行犯逮捕」
安原は隊員達に連れられて行く。
〇靖国通り歩道
船田と数人の男女が連れ立って歩いている。
船田「そんな訳で地上げ屋連中のメンバーを逮捕することに成功した。俺た
ちARIESの一歩リードだ」
男「さすがリーダー。実力は伊達じゃないね」
船田「俺のIME辞書には不可能の文字は無いからな」
女「それって不具合じゃないの?」
一同笑う。
船田「2023年現在、全世界にITセキュリティ人材は400万人居る。その中で
日本人は30万人、これはアジアで日本がデジタルの覇権を握れる可能性を
持った数だ。(※実話です)俺たちも覇権目指してガンガンやって行こうじゃないか」
女「ソースはどこにあるの?」
船田「ヤフーニュースに載ってたよ」
男「本当かなそれ」
一同はスマホを取り出そうとする。その時、車道の信号が突然青に変
わり、乗用車が突っ込んで来る。横断歩道には小学生が歩いている。
船田「……!」
グループの後ろの方を歩いていた高木光彦(24)が飛び出し、小学
生を押し飛ばす。車は高木に激突し、高木は吹き飛ばされる。船田た
ちは高木のそばに駆け寄る。
船田「高木!おい、しっかりしろ!」
高木「あ、あの子は……?」
船田「大丈夫だ。くそ、救急車!」
遠くから救急車のサイレンが響いてくる。
〇千代田区市民会館
机に長沢と高子、船田が座っている。
高子「そうですか、地上げ屋の反撃でARIESメンバーの一人が……」
船田「ああ。一命は取り留めたが、一時は危なかった。公共交通システムと
車の自動操縦を同時に攻撃した、高度な手口だ」
長沢「逮捕したメンバーは?」
船田は顔写真の紙を机に置く。
船田「末端のハッカーで、詳しい所はいくら絞っても聞き出せないってよ」
高子はノートPCを打っている。
高子「……地上げ屋さん達は階層毎に独立し、自分の上司以外の顔は知らな
い様になっています。それでいて上からの命令は迅速に実行され、共有す
べき情報は速やかに横に伝わります」
長沢は肘を机に付ける。
長沢「ああ。カリスマ的リーダーも居ないのに、母体の抜手建設自体を支配
し、各界に影響力を持ってる。ダークウェブでも組織的に売買を行い、大
きな利益を上げてる」
船田はスマホをいじっている。
船田「……手強い相手だな」
長沢「だからこそ、俺たちが呼ばれてるんだろ?」
船田はシャツのポケットをバタバタと触る。
長沢「吸うかい?マルボロだけど」
長沢は煙草の箱を差し出す。
船田「ああ、ありがとう」
船田は煙草を一本抜き、長沢が火を点ける。
船田「市民会館で吸っていいのかね」
長沢「隣の部屋で議員さん方がスパスパ吸ってたよ」
船田「国民には吸うなと言っといて、調子良いもんだな」
船田は煙を吐き、机に突っ伏す。
船田「なあ、長沢さん。どうだ?ARIESに入らないか?一匹狼より、仲間が
いた方が色々融通効くぜ?」
高子「いえ、長沢さんは私の補佐みたいなもんなんで」
船田「何怒ってんだよ」
船田は軽く笑う。
高子「長沢さんの量子アニーリング技術を応用した暗号通信ソフトウェア
は、業界を変える力を持ってますから。これが発端で今の件も動いた感も
ありますんで」
長沢「ああ。東京スカイツリーに登ったら、量子の揺らぎが俺の前頭前野に
囁いて来たんだ。コードを書け、ってな」
船田は溜息をつく。
船田「…そうか。まあ、うちもあのソフトは大いに使ってるよ。機会があれ
ば」
高子「地上げ屋さんとの戦いは、どんな状況ですか?」
船田「そうだな、やっぱりシステムが新しいんだろうな。経産省が計画を立
てて、予算が付くのを待って、関係省庁とすり合わせてなんてやってる間
に100回は攻撃される。こっちの旧態依然とした仕組みじゃ付いて行けな
い」
高子「…だからこそ、あなた達ハッカーを集めて対抗してるんです」
船田「結局は寄せ集めの集団だ。勢いのあるうちは良いが、守勢に回ったらどうなる?皆トンズラしかねないぜ?」
長沢「まあ、それは俺も考えてね」
長沢はPCからプロジェクターを点ける。地上げ屋の組織図が表示され
る。
長沢「奴らの組織の仕組みをリバースエンジニアリングした。情報伝達シス
テムを量子暗号技術で実装し、国でも組織でも傍受不可能な指揮系統アプ
リをハッカーチームのスマホに入れられるようにしてある」
船田「…そうか。盗聴不可能な通信、てのは俺達には有難いね」
長沢「奴ら並の伝達速度と匿名性を担保すれば、問題となるのは個人の技量
だ」
船田「そりゃ良いや。腕がなるぜ」
高子「経産省内部にも取り入れたい位ですね」
長沢「量子の囁やきをメモ帳に書き留めたらこうなった。後で返事を出して
おかないと」
船田はクスクス笑う。
船田「ラディカルだね、あんた。何か不安な気もするが、まあ良いや」
高子「ええ。たまに大丈夫かとも思いますが、頼もしい右腕です」
船田「仕事が片付いたら、街中華にラーメンでも食いに行こうぜ。量子の囁
くこと、俺も聞いてみたいね」
長沢「ああ、覚えとくよ」
○長沢自宅(朝)
高子が布団で寝ている。長沢が机でPCを動かしている。高子が目を覚
ますと、身体を起こす。
高子「あー頭痛い。昨日、飲んでたんでしたっけ」
長沢「まあ、そんなとこだな。それより、組織の背景が判ったよ」
高子は長沢の横に座る。
長沢「中部ヨーロッパ軍需産業の情報部門が、冷戦終結後独自化して犯罪組
織となり、アジア・アフリカに組織の武器・情報・犯罪スキームを売り捌
いてる。地上げ屋連中もここの影響を受け、2000年代頃から急速に近代化
したみたいだな」
高子「うーん…国内問題で収めておきたかったんですが…こうなると外務省
にも話し通さないと…」
高子は腕を組む。
長沢「まあ政府の中は俺には関係無いから」
高子「取り敢えず、何か食べません?」
長沢「冷蔵庫、何かあったかな」
高子はキッチンの冷蔵庫を開ける。
高子「あー…どうしようかな。長沢さん、サンドイッチか何か作ってくれません?」
長沢は郵便受けを見に行く。
高子「コーヒーブラックでお願いします。あー眠い。早い所目覚まさない
と」
長沢「…ごめん成原さん。食事は後になりそうだ」
高子「…え?」
長沢は郵便封筒を持ち、険しい表情をしている。
長沢「中に入ってた」
長沢の手にライフル弾の弾薬が一発、鈍く輝いて乗っている。高子は
息を呑み、スマホを手で探す。