日記:4/18(何が楽しくて22年も生きてるんだろう)
病みそう。というか病んでる。毎度のことだが、軽躁の後には鬱が来る。快晴の翌日の豪雨。熱狂の後の静寂。そういうサイクルにずっと翻弄されている。
友達ができた。友達といっても高校の後輩なのだが、たまたま同じ大学で再会して、今は一緒に授業を受けている。彼のおかげで僕の不安も幾分か和らいでいる。しかしそれは根本的な解決策ではない。この不安感は僕の心の深くまで根を下ろしている。
何のために生きているんだろうか。至極ありきたりで凡庸な悩みだが、最近はそんな当たり前のことで不安になる。この先生きていく気力もないが、かといって死ぬのは怖い。世の人々は一体何を思って日々生活しているのだろうか。
午後7時、日は暮れて、雨がアスファルトを濡らしている。路面に信号の赤がぼんやりと反射する。街灯がつくる僕の影は、慌ただしく伸びたり縮んだりしている。雨が降るとわかっていたら、お気に入りの白いスニーカーを履いてこなかったのに。天気予報を見ないのは僕の悪い癖だ。
大学の授業が終わって、かといって家に帰るのも不安なので、いつもの如くマックに向かっている。通りには人は少ないが、その一人ひとりがめいめいの家に向かって進んでいる。あのサラリーマンはきっと、家に帰ったら家族が待っていて、温かい夕飯を食べるのだろうな。そんな当たり前の妄想で心を落ち着かせる。大丈夫。みんなきちんと生きているし、僕だってちゃんと帰る場所がある。大丈夫。自分の頭を撫でる。
彼女がいればいいのにな、と思う。世の男が「彼女欲しい」と言う時、彼らは本当は何を求めているのだろうか。僕は生きる意味と帰る場所が欲しい。この人のためならば生きられる、そう思える絶対的な存在が欲しい。どんなに辛くてもこの人がいる、そう思える人が欲しい。とは言っても僕は滅茶苦茶に奥手なので、彼女ができる見込みはないのだけれど。
人生楽しんだもん勝ち、と言う言葉がある。僕もそう信じていた時期はあったのだが、今はあまりそうは思わない。むしろ、「楽しむ」つまり「自分を満たす」ことが何かわからなすぎて、全然楽しくない。美味しいものを食べるよりも、美味しいものを食べてもらう方が幸せな気がする。服を買うよりも、服を買ってあげる方がいい気がする。自分を蔑ろにしているわけではないけれど、自分ってそういう人間だと最近気づいた。ひとりで生きていても満たされない。誰かのために生きたい。
最近つくづく思うのだが、マックかファミレスで布団を敷いて寝たい。喧騒と照明の中で夜を明かせたらどれだけ安心するだろうか。孤独で静かな六畳間になんて帰りたくない。まあ帰らなきゃいけないんだけど。というわけでマックでもう少し夜の目を欺いてから家に帰るとしよう。