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表現することの難しさ

今日、気になっていた人が出演するというテレビを観た。都知事選で物凄い追い上げで、もしや、というところまで行かれた石丸氏だ。

わたしは彼のSNS攻略は知らないけれど、時々テレビなどで演説風景がうつしだされていて、SNSが動き出すとはこういう事なのかと恐ろしく納得したりしていた。

そして、彼の活動をみて、以前目にした映像が思い出された。

それは米国のテスラの広告風景だ。イーロン・マスク氏は、新車発表の際、マスメディアには一切声を掛けず、自社が持つ大きな工場で新車のお披露目をするという。広い敷地で、招待された側はパーティーに参加する。ところが、たとえマスメディアが嗅ぎつけても、中に入ることは許されないという。入れるのは、確か、車の所有者株の所有者だけだったと思う。要するに、彼のファンしか中に入れない。

それで広告には十分で、テスラが好きな人たち、中でもユーチューバーたちがそれぞれ中の風景をネットにアップする。いずれも大ファンだ。

その記事を読んで、こんな時代がきたんだと驚いていたけれど、今回の選挙で石丸氏はそれとよく似た活動をされていた。彼の周りには沢山のユーチューバーがいた。


マスメディアも個人もどちらも嵐や波を起こせるということだと思う。

日本のメディアの公平性は低いといわれている。そうしたことに彼は怒りを覚えているのだろうか。初めて生の声を聞いてみて、いろいろなことがあったのだろうなと想像できた。だからこそ権力とは離れたSNSで動かれてきたのだろう。

それにしても、たとえ個人のSNSであっても、やはり表現することはそう簡単ではないと感じた。マスメディアに対する怒りとは別に、自分の中に揺るぎのない答えがある時ほど、人はぶっきらぼうになってしまうのかもしれない。

けれど、ここが本当に難しいところだと思う。なぜって、自分の頭の中を人にみせるわけにもいかないから。女性に関する問いで、そもそも論が出てきたけれど、彼の口にするそもそも論を、いったいどれだけの人が共有しているのか、そこは不明だ。

これほど沢山の人前で話すことを仕事にされてきた人だ。それでも、受け取ろうとしても受け取れない言葉があった。あれほどSNSでバズっていても、やっぱりそんなことがあるのか、と思えた。

これは、わたしの考えだけれど、SNSと数年付き合ってみてわたしなりに分かったことがある。それは、たとえSNSでも、やっぱり丁寧がいいということ。怒りをそのままぶちまけると、繋がっていくのはそんな人たちになる。誰と繋がりたいかを考えるのなら、やはりそこは大切な部分だと思う。

マスメディアも質が問われるけれど、きっとそこは個のメディアとて同じだと思う。そう、やっぱり表現することは一筋縄ではいかないのだと思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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