今の目線で眺めてみる
今日は懐かしい方とお喋りをした。
ところが、その方は迷いの中にいらした。
苦しそうだった。
話していると、過去の出来事に瞬時に戻られてしまう。
幾度も、幾度も戻られる。
恐らく、それがもう彼女の今の癖なのだろう。
とはいえ、今、大きな事件があったというわけではないのだ。恐らく、それは彼女の中の心の問題なのだろう。彼女は、過ぎた時の、どうしようもなかった自分の言葉や、行動に、瞬時に引き戻され、顔をゆがめられる。
聞いているわたしまで苦しくなる。
ただ、そんな気分なら、わたしにも少しはわかる。
わたしは30代、グルグルと非生産的な事ばかり考え続けていた。
恥ずかしくて消えてしまいたくなることや、後悔していることも山ほどあったし、少し先の未来を酷く怖がり、その恐怖にどんどん浸食されていったりもした。
一言でいうなら、心の中が、八方ふさがりだった。
けれど、不思議と、ある日、そんな心持からスルリと抜け出せた。
それから、わたしはケロリとたくましく生きはじめた。
だから、無責任なようでも、今苦しんでいる人は、きっと今、その必要があるのだろうと感じている。
少なくとも、わたしは苦しかったあの数年間を無駄だったとは思っていない。
わたしにとっては暗闇でも、苦悩する必要のある時代だったのだと思っている。
面白い発見もあった。
過去の自分を恥じたり、疎ましく思ったり、挫けたり、そんなことを繰り返していたわたしの記憶はそのままだけれど、その苦悩から抜け出すと、過去のわたしの記憶はただのフラットな記憶へと変化したのだ。
辛くも、悲しくも、悔しくもない。
これは、ちょっとした発見だった。
過去のどうしようもなかった自分は、現時点の自分の心持が変わったなら、見え方もまた変わるということをわたしは知った。
過去は、一つのエピソードとして自分の引き出しに収まるけれど、わたしはもうそれをしまってあることすら忘れてしまっている。
それは恐らく、現時点のわたしが、あの苦しかった時のわたしとは、少しだけ違う場所にいるからだと思う。
だから、人に苦しみがやってくるのは、仕方のないことだと思う。
30代でもだえ苦しんだ日々を過ごさなければ、わたしは今のケロリとした時代を生きてはいないはず。
人は、恐ろしく苦しみ、もがいた時、初めて変われるのかもしれない。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
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