忙しさとエネルギーの消耗はイコールではない
よく耳にすることがある。忙しすぎるとエネルギーが枯渇してしまうと。
確かにわたしも家族が忙しすぎる時には気を配る。何かわたしにできることはないかと思ったりする。
けれどそれってどうだろう?
人の体や心は本当にそれほど単純なのだろうか?
今年も残すところわずかとなり身の周りの整理をした。今年の1月から使いはじめた5年手帳を久しぶりに手に取ると、わずか11ヵ月前のことだというのに驚くほど忘れていることが多い。え?それは今年の話しだったっけ?と思ったことがどれほど多かったか。
今年起こった変化や出会った人々がまるで2,3年前のことのように感じられる。
そしてその手帳、10月13日以降は無記入。それもそのはず、10月13日は引っ越し日。それ以降にお会いした方との約束などはキッチンのカレンダーに走り書きされていた。
忙しい一年だった。ひたすら走った。
ところがわたしは10月2日からスタエフとnoteの連続投稿をはじめている。よりによってとは思うけれど、やりたいと思った時と引越しがたまたま重なった。加えて介護もね笑。
引越しが終わり、全て整ってから動き出すというやり方もあるけれど、そうはしなかった。同時に走り出すことにした。
こうしたことは自分の人生で何度か経験している。わたしはいつだってちょっと厄介な方をチョイスする。けれどこれが悪くないことも経験で知っている。
やりたいと思ったことはその時やるのがいい。そこを逃すとやる気が失せてしまっていることが多い。
しかも走り続けているとやがて家族も、まったく~~といいながら、仕方ないな~〜となり、そうだ、この人そんな人だったよなぁ〜〜と諦めてくれて、ゆくゆくは応援までしてくれる。家族を巻き込みはじめるのはだいたいそんな勢いのある時だと思う。
たとえ忙しくてもやりたいことをやる。そんな時には普段は隠れているエネルギーが湧き出てくる。
これが人の面白さ。
書き続けてnoteはきょうで88日目。不思議と書いているうちにもっと書きたいことがでてきた。
outputの年だった。
どうしてそれをnoteをはじめた2年半前にしなかったのかと思ったりもするけれど、何事もタイミングってものがあるのだろう。今だから吐き出せるものがある、そんな気がする。
そう、忙しい時にはそれなりにちゃんとエネルギーが生成される。人間ってそんなものだと思う。だから迷ったら、わたしはやる。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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