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行動することには意味がある


昨日読んだあっちんさんの記事がずっと心に残っている。

心が不安定ではあるけれど、当事者もやるといっていた

周りも全員賛成していた

ひとりを除いては。

それが私だった。


それは祖国を離れた、しかも集団の中で起こった出来事だ。

すべての人が受け入れたことをあっちんさんは受け入れられなかった。

>誰も問題にしていなかったけれど

人としてやってはいけないことを彼らはやろうとしていた。

>だから、ひとりで抵抗した。

と書かれている。

きっとご自分の心の声に蓋をすることが出来なかったのだろう。だから全員が賛成したというのに反対せざるをえなかった。

だれのため?

当事者のため?

詳しい内容は書かれていない。

けれど、きっとあっちんさんには、他に選択の余地はなかったのだろう。

そこをやり過ごしてしまったなら、あっちんさんのこれからの人生はきっと変わっていく、そのことをご存知だったのだろう。

人生とはそんなものだと思う。




わたしも最近、小さなコミュニティで同じような経験をした。

わたしの場合、心が不安定ではあるけれど、当事者はもういいといっていた。触れなくていいといっていた。けれどわたしは考えて考えて考えた末、触れた。

すると大きな波が襲い掛かってきて、すべてを飲み込んでいくかと思われた。

仕方なかった。触れずにそれをやり過ごしたなら、きっとわたしのこれからの人生は変わっていくと思えた。

人生とはそんなものだと思う。


幼い頃、大人のいない土曜日の昼下がり、テレビで映画を観るのが好きだった。

大家族だったけれど、大人たちはいつも忙しかった。だからわたしはよく一人で映画を観た。一番好きだったのが西部劇。

タイトルも役者の名前も知らないまま、最初から、あるいは途中からお構いなく観た。それでもストーリーだけは今でもはっきり覚えている作品が幾つもある。

そんな作品の中で憧れたのが強い女性。西部劇に出てくる女性はまだドレス姿。登場するカーボーイの大半が荒くれモノ。

ただ、強い女性は決して顎を引かない。震えながらも歯を食いしばり、男たちに向かって声を出す。一歩も引かない。

そうしたシーンが幼いわたしは怖くてたまらない。頭を撃ち抜かれてしまうんじゃないか、男たちに乱暴されるんじゃないか、幼いながらもそうした怖さを体中で感じながら食い入るように観ていた。

中には強い男たちに取り入る女性も登場する。けれどそこから少し先のその女性の人生は、決まって落ちていく。

一方の、歯を食いしばり下を向かない女性には救いがやってくる。もちろんそれが西部劇のヒロイン。

けれどわたしはこうした勧善懲悪ものには意味があると思う。


決して敵わない大勢の敵に向かってひかない女性。その人はその時に既に自分の命を捨てる覚悟がある。だから上を向く。

その人は自分の、あるいは誰かの誇りのために、自らの命を差し出そうとする。

命と誇りが同じ重さなのだ。

幼いわたしにもそれが分かった。

そんな単純な西部劇のストーリーが好きだった。


あっちんさんは、今きっと後悔はされていないと思う。

なぜなら、彼らが人としてやってはいけないことをやろうとしていたことに気づいてしまったのだから。

そう、気づいてしまったのだ。

国籍も地位も関係く、それは人として受け入れられなかったのだ。あっちんさんはあの西部劇のヒロインのように、そうするしかなかったのだと思う。

たとえ孤立しても、たとえそれから暫くの間冷たい風が吹き荒れても、大きな波にのみこまれそうになっても、あっちんさんはそうするしかなかった。

それはあっちゃんさんの中の誇りの勝利。


そしてわたしもまた、幼い頃に観たヒロインのように、厳しい方を選択した。

今はもう揺れてはいない。たとえもう元の形に戻れなくても、それでいいんだと思う。仕方がないことはある。人にはそうしなければならない時がある、今はそう思っている。

そして、それはまたきっと新しい形となって生まれかわる、今はそう信じている。

あっちんさんもわたしも、きっといつか、そんな自分に支えられる時が来るのだと思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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