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日常にもどって見えたもの


9月15日からクラファン立ち上げに向けて動きだし、そこからおよそ3カ月ちょっと、わたしは非日常を生きた。

そして、ようやく日常が戻ってきた。

今日は雑務を終えると、午後から外出しマッサージ店に入った。どこか不調というわけではなかったけれど、きっと自分は相当に疲れているはずだと思い、40分ほど体をほぐしてもらった。人の手が体に触れるというのはなんとも気持ちがいいものだ。

ようやく日常に戻れた。

そんなことを思い、昨夜ふと夫の顔を見てみると、夫の気持ちがカサカサしている気がしてきた。

考えてみると、わたしはもう何十年も夫のマネージャーだった。どんなに夫婦仲が険悪な時でも、パートで働いてクタクタになっていても、まあ、夫が大変な時にはガッツリサポートしてきた。そのサポーターが3カ月強、夫の傍からいなくなったのだ。そりゃ夫だって非日常だったに違いない。

それにしても、人は環境に順応していく生き物だと思う。

家のことや子育てや介護はわたしがやらなければ、と思っていた。どうしても、そこから抜け出せなかった。そんなことはなかなかできないと、どこか諦めていた。

だから、つい10年程前まで、わたしは夕食の手抜きをせず、アイロンをかけ、疲れた夫の肩を揉んでいた。本当は自分がボロボロにくたびれていても、なんだか夫のマネージャーとして生きなくては駄目な気がしていた。

そして、この3カ月間は、夕食に小鉢が並んでも、それは買ってきたお惣菜だった。今では我が家のメニューはメイン一皿、忙しい時にはお弁当やお惣菜が普通に並んだ。冷凍食品や、みそ汁やごはんのインスタントも随分使ったし、なにより外食が増えた。そして、アイロンはもう長い間かけない。

わたし自身、大きくわった。

そして、夫もまた、環境の変化におそろしく順応してくれたのだと思う。

だからもう家族としての結びつきは弱くなったのかと言えば、これが不思議なことに、少しもそうじゃない。3カ月強、母の介護まで加わって、わたしたち夫婦はほとんど会話することもできなくなった。会話は、朝の駅までお見送り散歩だけだ。

これまで、幾度かこうした大変な山を夫婦で乗り越えてきた。けれど、その都度、夫婦の形が変わり、新しい形になってきた。まるでアフターコロナで世の中が一変したように、わたしが忙しくなると、夫との関係が大きく変化する。

そんな時、「こうしなければならない」という考えがどれほど自分を縛り、動きにくくしていたかがよくよく分かる。それは「そこ」から脱することが出来た人にし見えない真実の世界でもある。

立派な夕食が家族にとってマストなわけじゃなかった。アイロンだってクリーニン店で十分だった。

夫に使っていたわたしの時間の大半が、今や家庭の外に向けられ始めている。もちろん夫にも向かってはいるのだけれど、まあまあ小規模だ。そうして初めて、夫婦が互いに対等に機能しはじめるような気がする。サポーターを失った夫もまた、足りないところに目が行き始める。

すると、ようやく互いの、いやいや、わたしの気持ちだって夫にわかるというものだ。

とはいえ、年末はゆっくりと夫婦で外出しようと思う。

やはり夫婦には時間だけは必要だと思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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