人は何に傷つくのだろう
久しぶりに懐かしい人と話をしました。わたしが大変だった頃に寄り添ってくださった信頼できる女性です。
その方が、
「もう大丈夫?」
と問われたのです。
「今頃?いつの話?もう忘れてたわ。そんなこともあったね」
と笑いました。
あゝ、気にして下さっていたんだと思いました。優しい人なのです。
そして、
「わたしはきっとね、あの時死んだの。そして、今は2回目の人生を生きているんだと思ってる」
と言うと、
「やっぱり強いのね」
と言われたのです。
「そうかもね」
と答えます。
確かに、それほどの大きなダメージでした。自分が一体どんな噂をされているのか全く分からなかったのですから。怖かった。
それが、感覚だけじゃなく、気のせいでもなく、現実になって、あゝ、わたしは誰かに陥れられていると、信じたくなかったけれど、わかったのです。
遠い昔の話です。
それでも、わたしはこうして生き延びて、こうして笑っています。
そして、わたしは人を知りました。
人は嘘をつきますし、人を陥れることもあります。実に巧妙に陰湿な事をする人もいて、小説でもなく、映画でもなく、そんなことがありました。
「あなたに酷いことをした人が今は大変そうよ」
と言われても、もうそれ以上は聞かなくていいのです。
なぜって、その人はもうわたしの人生とは関係がないのですから。
逃げ道を奪われ、八方ふさがりになって、思ったのです。
それでもわたしの魂だけは誰にも傷つけられはしないと。
そんなことを思って、戦わなかったのです。
欲しいものなんて何も無かったのです。
失うものだって、何も無かったのです。
だから、わたしは自分のために全てを捨てたのです。
それでよかったのです。
人は何に傷つくのでしょう。
わたしは、よく思うのです。
たとえ、人が恐ろしいことを考えたとしても、わたしはきっと立ち上がれると。
そんな目的で動いた人がいたとしても、それはそれ。
少なくとも、わたしの魂は傷つかない。
そんなことを学ぶために、あんな出来事に遭遇したのでしょうか。
そして、わたしは今とても幸せです。
「本当に強いのね」
と彼女が言って、そしてわたしをそっとハグしてくれました。
わたしは傷ついてなどいません。
なぜって、人が最も傷つくことをわたしはしていないのですから。
自分に嘘をついた時、どんなにタフそうな人でも傷つくのです。
小さなことでも、それは月日が経過するごとに、その人はそれを見ないふりが出来なくなるはずです。
わかります。
きっとそうなのです。
ですから、わたしは人のことなど知らなくてもいいのです。
自分に嘘をついた人は、やがて自分の魂が傷ついたことを知ることになるのです。
「わたしは自分を傷つけたりはしないの」
と笑ったのでした。
人を傷つけるとは、きっとそんなことなのでしょう。
※最後までお読み下さりありがとうございました。