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【介護】少しだけ、毎日母と話す


「美味しかったの、あそこの中華。だしがよく出ててね、なにを頼んでも間違いないの。最後に迷ったんだけど、欲張ってゴマだんごたのんでね、一人で3個も食べちゃった。母さんにも食べさせたいな~って思ったの」

といった途端、目の前で夕食中の母の目が真っ赤になった。ティッシュで目頭を押さえる。

わかっている。

母が一人で鼻歌を歌う時は寂しい時なのだ。

昨日、母が小さく歌う声が聞こえた。毎日近くに人がいたって、家の中で母は一人ぼっちになる時がある。

わかってる。

足が悪くて外には出られないけれど、母はそれでもなにかと忙しそうに暮らしている。

今は庭の花に水やりをしたり、室内の植物に水やりをしたり、掃除をしたり、お風呂を洗ったりと、家の中で仕事を見つけてこまめに動く。小さく曲がってしまった体で、壁やソファーやテーブルにつかまりながら上手に移動する。

水やりは500mlのペットボトルに半分ほど水をいれて、お花の場所まで何往復もする。これがいい室内運動なのだ。

ただもう決して火は使わない。一緒に暮らしはじめた頃、小さなお鍋を焦がしたのだ。ちょうど風呂から出たばかりのわたしは、家の中の空気がおかしなことになっているのに驚いた。直ぐに母だとわかった。だから何もいわなかった。こんな時はしくじった本人が一番がっかりしている。

ところが母の失望は思った以上だった。以来、母は一度も台所には立っていない。その夜、亡くなったわたしの父、つまり母の夫が夢にでてきて大変おこられたそうだ。それを母が口にしたのは、あのお鍋事件から半年ほど経ったころだった。

母は口数は少ないけれど、しっかりしている。だからあのお鍋は母にとって大事件だったのだ。なにからなにまで手作りで、なにを作らせても美味しくて、お料理もそれはそれは美しく盛り付ける人だった。故郷にはお料理仲間がいて、よく仲間と集まってはいろいろなお料理を作っていた。母は誰より手際が良くて料理が上手だったのだ。

その母が時々鼻歌を歌う。

ふと足を踏み入れたリビングで、母が壁にもたれて歌を歌っている姿を何度か目にした。歌なんて歌うんだと驚いたけれど、そんな時の母は少し寂しそうなのだ。

夫を亡くして以降、故郷の大きくて広い家で一人暮らが始まった頃、母は何度か台所からフライパンを取り出し、すりこぎ棒でそれを強く叩いて歩いたのだそうだ。わたしは驚いて、

「どうしてそんなことしたの?」

と聞くと、自分が本当に生きているのか確かめたかったという。今では補聴器を着けて、白内障の手術もしているけれど、きっと当時、母はぼんやりと霞のかかった世界にいたのだろう。フライパンとすりばち棒で音を出すだなんて、きっとわたしは生涯しないだろうけれど、それでもその話が、わたしの中で孤独という言葉とセットになっている。


母は、わたしの夫に少しだけ気を遣う。

夫だって、母に少しだけ気を遣う。


今では娘が家族旅行にいかなくなって、そこへ母を誘っても母は遠慮する。二人で行ってらっしゃいと。

なかなか微妙に難しい。


今朝は母と20分ほど話をした。ほんの世間話だ。それでも、座った状態でくつろいでゆったりと話しを聞く。たったそれだけで、母が幸せそうな顔になる。

お昼には徹子の部屋を観る母の肩をもんだ。実はわたしが時々くたびれてソファーに横になっていると、母が寝ているわたしの肩をマッサージしてくれるのだ。わたしには母に借りがある。


何にもいらない、今が一番幸せ、そういってくれるけれど、やっぱり話さなきゃだめだと思う。

ほんの少しだけ母と会話をする。そして毎日、母の体に触れる。たったそれだけで母は鼻歌を歌わないのだから。

わかってるってば、

ちゃんとわかってる。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※いつもお読みくださりありがとうございます。



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