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偏見や差別を剥がすと幸せになる。映画『グリーンブック』


昨日の夕方、Amazonプライムで映画を観た。

先月中旬ごろからだったろうか、ほぼ毎日、意地でも時間をこじ開けてコーヒーを飲みながら映画をみている。

これほど贅沢な時間があるだろうか。

わたしは今のところ、一人であれもこれもやらなくてはならない。だから、頭がどんどんカチコチになっていく。これは危ない。雑務に頭が侵食され、そのうち感情さえ消えてしまいそう。そんな時に心をほぐしてくれるのが映画なのだ。

今は、なんとなく気になる映画をランダムに観ている。

昨日は、先日観た『Hidden Figures』にでていた黒人男優が気になって、『グリーンブック』をみた。これは原題もおなじ『Green Book』。

これが実によかった。

昨日はその後、買い物にでかけたけれど、もう嬉しくて笑顔がこぼれて仕方なかった。あああああ、幸せだなと何度も思った。

やっぱり映画が好きだ。


そのグリーンブックとは、おそらく米国で公民権が制定される数年後まで、国内を旅する黒人には必要なガイドブックだったのだろう。黒人が安全に泊れて、食事ができるポイントが記されていた薄いガイドブックだった。

そういえば、わたしが高校生だった1970年代、米国の西海岸に旅行にでかけた。その旅先でトイレの列に並んでいると、ここは有色人種が使えるところではない、といった風の言葉を白人女性に掛けられたことがあった。そんな差別など経験したことの無い小娘にはその意味がさっぱりわからなかった。

けれど、感じが悪かった。今でもその時の嫌な感じは記憶に残っている。といっても、そこから引きずり出されたわけでもないし、そのままトイレは使用させて頂いたのだけれど。そのご夫人は、田舎者の東洋人の小娘に一言いわずにいられなかったのだろう。


と、話しが逸れてしまった。

で、この映画は公民権運動がまだ続く頃の1960年代の話。もちろん、米国では白人と黒人のあらゆるものが区別されていた頃の話だ。

そんな時代に天才ピアニストと、労働階級のドライバーが音楽ツアーに出る。

といっても、教養深い天才ピアニストが黒人で、教養に欠ける労働者階級のドライバーが白人という組み合わせなのだ。

どちらも男性。

この組み合わせがなんとも不思議だけれど、これは実話だった。

偏見とか、差別とかは、日本ではなかなか表にはあらわれにくい。ただし、それはある。絶対にある。それが見えにくいのがこの国の特徴だ。

けれど、米国の黒人差別はあけすけで、嫌悪感をそのまま顔にも言葉にも出すし、時には暴力としてそれが出る。だからそんな時代に黒人が旅に出るのならガイドブックが必要なのだ。

旅の途中、幾つもの小さな事件が起こる。その小さな事件がお互いを知るきっかけになる。

とんでもなくバックグラウンドの異なる2人だ。白人男性の中には当たり前のように偏見があった。けれどいつしか黒人に対する偏見は消えていく。彼は知らなかっただけなのだ。彼に刷り込まれた偏見はたんなる社会の刷り込みで、彼の中にはブレることのないフェアな精神が根付いていたのだ。

そこに行き着いた時、彼、つまり白人男性は差別や偏見に立ち向かう。

面白い。

ネタバレになってしまうのでここまでにしたいけれど、それでも、人にとって最も大切な物ってそれほど偉大な事でも大きなことでもないということをこの映画はわたしたちに教えてくれる、実にあったかい映画だった。

本当の自分が知りたくなったら人に会うといいと、わたしはよく思う。人と会うと、自分の中に潜む自分がよく見える。だから人に会うのが良い。

そして、心がカサカサした時も、映画がいい。

今はとにかく、よくみている。

そして、昨日、わたしはここにくっきりと描かれた人の優しさに触れて、あまりに幸せ過ぎて笑顔をこぼしながら街を歩いた。

映画って、ほんと最高!


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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