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【介護】ちいさなことだけれど


昨日は日本橋界隈に用があって朝から外出していた。

ちょうど桜が満開で、人出が多かった。

3時過ぎ、少しくたびれてお茶を飲みたいけれど、どこに行っても人人人。

それならホテルに、と思ったけれど、なんと世知辛い。席は幾つも空いているというのに泊り客優先だという。

仕方なくまたエレベーターを降りて街に出て日本橋の近くまで歩いた。

その橋の途中、小さな集団とすれ違った。その中にひときわ華やかな桜色のスーツを身につけた方がいらした。デビ夫人だった。あまりのことに、わたしはひどく驚いた。気のせいだろうか、すれ違いざまデビ夫人と目が合って、びっくりが伝染したような顔をされて、ちょっと嬉しかった。まるで歩くパワースポットのような方だった。よくテレビで観るより奇麗なんて表現を目にするけれど、あれだった。

ググってみるともう80代だった。なんてお美しくしいのだろう。足もとまではみていないけれど、恐らく8㎝ぐらいの高さのヒールを履かれていたのではないだろうか。さっそうと歩かれていた。

そして、用を済ませて家族に百貨店の催事場の伊勢志摩の旅館のお弁当を買って帰った。帰り着いたのが20時前。

すると、様子がなんだかおかしい。

うまく言えないけれど、いつもと様子が違う。

小さな事件が起きていた。

夕方、母が外の桜を見ようと靴を履きかけて倒れたという。玄関の入り口の壁が小さく凹んでいた。

慌てて母の部屋へ行くと、母は頭を冷やしながらテレビを観ている。

訪問医の先生に連絡しようかと言うと、大丈夫だという。

「眩暈はしない?吐き気はしない?フラフラしない?チカチカしない?頭痛はしない?」と幾つも質問した。けれど「大丈夫よ。家がわたしを守ってくれたから」という。ちょうど壁の芯のない場所にぶつかっている。だから、壁がクッション代わりになったという。

そんなものだろうか。

頭に手をやるとコブらしきものもできていない。

夕食に買って帰った弁当をおいしいとペロリと平らげた。鯛めしとカキフライ。母の好きな組み合わせだ。

考えてみると、母は今日すれ違ったデビ夫人より少しだけ年上だ。そして年寄り扱いされることを快くは思っていないはずだ。

ようやく家の中で歩けるようになって、玄関の壁に手をかけて近くの桜を立って見ることが増えてきた、と思っていたらこんなことに。

夜、寝支度をしている母の部屋にお邪魔した。決して口にはしないけれど、母はきっとがっかりしている。こんな小さなことがこれまで幾つもあった。

5年前、我が家にやってきた時、いろいろと大変なことがあったのだろう。母はどこかずっとぼんやりしていてピントがあわなかった。そんなある日、お鍋を焦がした。わたしが風呂に入っている時だった。

以来、台所には近づかない。それまで食洗器を無視してお茶碗を手洗いしていたというのに、大丈夫だよと言ってももう台所には入らない。

そんな小さなことが幾つもあった。

決して口にはしないけれど、酷くがっかりしてしまうのだ。

母は、わたしが手を差し伸べても決してわたしの手を取らなかった。なんなら払いのけられた。けれど、今は手を握り返す。

そして昨夜はベッドの上に座る母の肩をもみながら、たわいない話しをした。そして後ろから母をそっと抱きしめた。手も体も触れさせてくれなかった母だ。そんな母の頬に頬を重ねて抱きしめた。すると母が、わたしは幸せだという。

口にはしないけれど、小さな失敗が母の日常を変えていく。

けれどまだ母は桜色のスーツを身につけてさっそうと歩くデビ夫人とそうは年齢だって違わない。

やっと幸せだと口にするようになったのだ。もう少し平和な時間をわたしたちに下さいと亡き父に心で願って部屋を出た。

今朝は、母は元気で起きてくるだろうか。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

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