なぜ人は考えるのだろう
皆様は、日頃、考える時間をお持ちですか?
近頃、わたしはこんなことを思っています。
もしや、人は考えなくても生きて行けるのではないか、、、と。
それでも、わたしは、6月は考え続けた一月でした。
その考え続けた一つが、哲学サークルに入ったことでした。
笑っちゃうほど忙しい日々に、なにを血迷ったか、哲学です。
ただ、忙しい時に限って、新しいことを始めたくなるのはいつもの癖です。
昨夜は初回の勉強会に出席しました。
もちろん、その道のご専門の方もいらっしゃいました。
そんな中で、自分の意見を口にするのです。これは、もしやメンタル強度を測るテスト?と思うほど、ちょっとした負担になりました笑。
けれど、やっぱりこれがいいと思うのです。
忙しくしている時、わたしは考えることなく色々な事をやっつけてしまえます。けれど、これでは駄目だな、と思うことがあるのです。
今回の哲学のテーマは自由でした。
テーマを頂いて、不思議と一月ほど自由が気になりました。
課題本はエーリッヒ・フロムの自由からの逃走です。
本を読む前から、キーワードの自由は、暮らしのあちらこちらで引っかかっていました。
そんなものをメモ書きにして残してありました。まめな自分にも驚きましたが、なにより、無意識のうちに、自由に関するこまごまとした考えを拾い集めていたことに我ながら驚きました。
ただ、ここだな、と思うのです。
余りに忙しく、慌ただしく暮らしていると、こんなちょっとした気づきを見逃してしまいます。
ですから、忙しい時ほど、勘が鈍ってきた時ほど、考えなきゃと思うのです。
フロムはドイツ生まれのユダヤ人です。平和な暮らしの中にファシズムが台頭してきた時代を生きています。その時、人々はファシズムを受け入れます。自由から逃げて独裁的な政治の世界に流れていったのです。
だからこそ、自由とは、人はなぜ自由でいることが負担になるのか、自由の代償とはいったい何なのかを考え続けます。
こんなふうに、人は抱えきれないほどの大きな苦悩、、苦痛や、悲しみと対峙した時、深く考え続けるのだと思うのです。
それでも、わたしたちは、たとえ平凡な日々であっても、暮らしの中で考え続けていると、安易に権威に服従しなくなるのかもしれないと思うのです。
とはいえ、それほど単純な話でもなさそうですが。
自由については、まだまだ考えていきたいと思います。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
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