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映画で埋まった、空白の時間

昨年は夏頃まで、映画館に幾度も足を運んでいた。ところが、突然息もできないほど慌ただしい日常がはじまった。

そんな暮らしは、2023年で十分だ。

ということで、今年に入って沢山の人にお会いし、講演会を開催し、その合間に映画を観ている。といってもAmazonプライム経由の居間のテレビでの上映だけれど。昨夜で4本目。

昨夜は『スポットライト 世紀のスクープ』を観た。米国で実際に起こった事件を丹念に追った実話だ。舞台は、東海岸のあの美しいボストン。

ニューヨーク・タイムズ社の子会社になった、地元ボストンの新聞社に着任した編集局長を中心に、闇に葬り去られていた社会問題をジャーナリストたちが世に引っ張り出した映画だった。

子どもたちへの性虐待が長年にわたって起こっていた。その舞台がカトリック教会。しかも虐待をしていたのは複数の神父たち。


30年ほど前、海外で一人の米国の女性と知り合った。日本語に興味のあるその方と何度か食事に行き、英語と日本語を交えていろいろな話をした。その時、彼女には信仰はないと聞き驚いた。米国で、しかも白人であればカトリックかプロテスタントのどちらかのキリスト教に属されているのだろうと思い込んでいた。若かった。

その方は、「教会は最も恐ろしいところだから近づかない」とおっしゃった。物事を深く考えるタイプの方で、英語力があったなら、もっとお伺いしたいことが沢山あった。

それから、イギリス人女性に半年ほど英語を習ったこともあった。その方が、兄が牧師になったけれど、乗馬が出来なくなって本当に可哀そうだと言われた。その理由は、教区の信者たちが、牧師が馬に乗るなんてと口うるさく監視されているのだとおっしゃる。

欧米のことを思う時、先進的で自由に暮らしていると思いがちだけれど、どの国も変わらないんだなと思った。特に人の出入りの少ない地域では、色々なことが閉ざされて行く。

この映画で起こったことも、恐らくそうだ。

誰もがお隣さんを知っている居心地のいい地域社会、その安全で美しいコミュニティをこよなく愛する人々は、そこが美しい場のままであって欲しい。だからこそ、声があげられず、犠牲者がでる。

美しい暮らしと引き換えに、社会の恥部は隠され、小さな声は法廷に訴え出てももみ消されていく。地域では法より大きな力が働くことがある。これは恐らくどこにでもあることなのだろう。美しいコミュニティを覆う権力を作り上げるのは、そこにいる人々だ。

Me too運動やジャニーズ事務所問題より前に、こんなスクープがあったとは知らなかった。ちょうど米国で世界貿易センターのテロ事件があった頃の話だ。

わたしは英語の聞き取りのために、当時CNNをよく観ていた。

当時、一人の男性MCが少年時代、神父からの性虐待を受けたと泣きながらカミングアウトされた。わたしの記憶が正しければ、その方はやがてスクリーンから姿を消された。と同時に、彼と共に声をあげた幾人かの方々も米国に住めなくなったと証言されていた。なにしろ神父は神の使いだ。被害者が勇気を出して、人生をかけて声をあげても潰されてしまう、そんな深刻な問題を地元の新聞記者たちがスクープした。

知らなかった。

ちょうど2001年の米国のテロ事件の翌年に記事が出たという。

わたしの記憶は、そこから飛んでいた。

連日のテロ事件の報道から、暫くの間、CNNを観ていない。

そしてそのスクープは、世界をも揺り動かしていた。

再びわたしがCNNを観始めた頃、バチカンの神父たちの性虐待が、来る日も来る日も報道されていた。あのきっかけは、この映画に描かれたボストンの新聞社のスクープだったのだ。そのスクープは米国のみならず世界中に広がり、そしてバチカンにまで届いた。

宗教は人々を救う一方で、人々の心を粉々にすることがある。なぜって、そこが心を預ける場だから。

米国の白人女性が、教会には近づかない、わたしは自分のことは自分で考えると言われた意味が、今ならわたしにも分かる。

誰もが善だと疑わないものさえも、自分の目で見て確かめる。この映画の素晴らしさは、この事件を追及する記者たちの目が犠牲者の心を映し出しているからだと思う。そして、ジャーナリストとは、彼らの様な人々であって欲しいと切に思った。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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