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人生の棚卸!

自分の人生をしっかり振り返ることって意外とないかもしれない。わたしはここしばらく、そんな振り返りの日々を過ごしていた。

けれど、なかなかどうして、それは言うほど簡単ではなくて、随分と時間がかかってしまった。

8月からゆっくりと動きはじめ、9月には本格始動し、色々な方と積極的にお会いするようになった。そうして記憶をたどりながら、いったい自分は何をしてきたんだろうとおよそ35年程の自分の人生を振り返っていた。そう、クラファンページの作成に取り掛かっていたのだ。

ところで、以前、驚かれたことがある。それをたった今思い出した。

それは、「え~~~!パソコンの文字が消えている人、わたし初めてみたわ!」という驚きの声だった。使っていたのはNECの赤いノートパソコンだった。そのNとSとDとEとKの文字が消えていた。なぜだろう、言われて驚いたのはわたしの方だ。そのことに全く気が付いていなかった。叫んだ人は、確か富士通でお仕事をされていた方だったはず笑。もちろんパソコンにはかなりお詳しい方だった。

そのことを思い出したのは、現在使っているHPの文字も、まったく同じところの文字が消えかかっていたからだ。あゝまただ。人は何年経っても同じような生き方をするという事なのだろう。

これは毎日noteを書いた勲章なのか、はたまた現在のクラファンの文章作りや自分の創作活動で消えてしまった文字なのか、それはわたしにもわからない。けれど、少なくとも、わたしは書くことが好きなのだろう。

今夜、ようやくクラファンの文章が6割ほど書けた。もう目がクタクタで、ならば呟いて寝たらよろしいではないかと思うのだけれど、又こうして今の気分を書いてみたくなる。そう、たった今の自分の気持ち。

昨日まで介護で少しも上手く動けなかった。今は笑っちゃうほど腰や肩や腕が痛い。介護は重労働だ。けれど、書くことと介護は使う部分がかなり違う。そして嬉しいのは、文章も、介護も、今のところ進歩しているという事だろう。

母が自分で生きようと頑張っている。ならば、わたしもやりかけたことを粛々とやっていくのがいいと思う。

一日、出来ることなんてたかが知れている。けれど、その小さな積み重ねが大きな明日の一歩になることをわたしは経験で知っている。だから、パソコンの文字が薄くなっちゃうのだろう。

わたしはおしゃべりだ。きっと頭の中がお喋りなのだろう。いつだって話したいことがあるし、いつだって書きたいことがある。

自分の35年余りの人生を振り返ってみて、そんな特徴にも気が付いた。

好きな事だけは続けられるという事なのかもしれない。

というわけで、今日は人生の棚卸がたった今、終わったところだ。


※最後までお読みいただきありがとうございました。



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