批判は絶望の裏返し
今日は少し元気のない記事になりそうな予感がしています。
先日、最低賃金の記事を書きました。
そして、もう少し詳しい内容をLinkedInにも書きました。LinkedInは、実名のSNSで、働く人のためのSNSですので、こうした内容を書く時は少し勇気が必要です。
そして、この記事は少しだけバズリ気味です。既にインプレッションが3500を超え、コメントも賑わい、英語での拡散もされ、今も読まれ続けています。ただ、わたしはバズるのが少し苦手です。
そして、今日、こんなコメントが届きました。
これは日本の女性からの意見です。とても長い文章の最後にこの文字が添えられていました。
そのコメントに気づいたのは夕方でした。
買い物に出て、豪雨にみまわれ、一歩も外に出られなくなり、仕方なく外食に切り替えて時間を潰していた際、このコメントに気づきました。もう一週間ほど前にアップした記事です。
すると、静かに自分の気持ちが落ちていくのが分かりました。
なぜだろうと考えました。
わたしはハイキャリアではない女性の働き方を変えたいと動き始めています。ところが、コメントを下さった方は女性で、非正規で働いてこられた方です。具体的なご自分の経験がつぶさに書かれています。わたしが変えたいと思っているのは、その人のような女性の働き方です。
以前、noteでも、こんな活動をしても意味がないと書かれた方がいました。その方も若い女性です。記憶違いでなければ、何回か同じようなコメントを書かれています。
その時も、わたしは、その都度、静かに落ちました。
どうして、こうも静かに気分が落ちていくのか、自分でもよく分からなかったのです。
けれど、わたしが、
などと甘いことを口にするのが、そうした人たちには嫌なのかもしれません。
けれど、待っていても、政治家は何もしてくれません。わたしはその事実を知っています。もう30年も前から政治では根本的な問題は解消されていないのですから。
政治家が悪い!と言うのは簡単です。
けれど、その政治家を選んでいるのはわたしたちです。
であれば、政治家が最も恐れることは、当事者が口を開くことだとわたしは思っています。
一人一人がこの複雑に入り組んだ働く場の問題をクリアに語れるようになった時、政治家は震え上がると思うのです。わたしはそんな活動がしたいのです。諦めて、誰かが代わりにわたしたちの環境を変えてくれると思っても、わたしたちの前にスーパーマンは現れません。
わたしの気分が静かに落ちていくのは、恐らくわたしが当事者だからです。
わたしがハイキャリアであるなら、そんな女性の言葉は気にならないと思うのです。けれど、わたしは当事者で、わたしもまた社会の厳しさを嫌になるほど味わって、このままではいけないと思って動き始めたのです。
だから、落ちるのだと思うのです。
世の中が変わるはずがないと思っている女性が多すぎます。
それは、それほど、女性たちが社会に痛めつけられてきたからだと思うのです。
それでも、まだ彼女たちの悔しさや・憤りや・惨めさや・不安は解消されていなくて、行き場のない思いを抱えて絶望しているのだと思うのです。そうした思いが、コメントとなって出てくるのだと思っています。
批判は絶望の一つの形だと思えるのです。
本当に、日本の労働市場は特殊です。
このままではいけないと思っています。
そして、これからの人手不足はチャンスだと思っています。
けれど、見える場所だけが変化しても、歪な形がより歪になるばかりです。
だからこそ、苦しい人が苦しい!と声をあげるのが良いとわたしは思っています。
※最後までお読みいただきありがとうございました。不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。
※いつもお読みくださりありがとうございます。
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