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失敗から学んだこと


あなたは考えてもみなかったことが自分の身に降りかかったことはないだろうか。

そんなことが先週わたしの身に起きた。



タイトル

朝起きたらTwitterのお知らせが止まらない。焦った。バズってるのだ。

その騒ぎも少し沈静化してきたので、今日はその振り返りをしてみたい。


ある著名な方がわたしのツイートしたnoteの記事にご自身のコメントをおかれてtweetされた。それがただならぬ広がりを見せたのだ。もちろんわたしのツイートがバズっているわけではない。バズっているのはその方のコメント。

引用された理由はただ一つ、わたしがnoteのタイトルに読書感想として本のタイトルをそのまま書いたこと。

そのタイトルがその方のTwitterにタイムリーに流れた。だから引用されたのだ。そんなことができてしまうのがツイート。そう、わたしだってそれは十分に知っている。

読んだのはマクロ経済の本。それを読んで驚いた。なにしろわたしの全く知らない分野の話しなのだ。わたしは経済はミクロや労働関連しか学んでいない。そんなわたしがたまたま手に取ったその本の感想をさっくりと書かせていただいた。

それがその方に届いたのだ。



タイミング

問題が複雑だなと感じたのは、ある言葉がコメントに引用されていたこと。強い言葉だ。

けれどその強い言葉はコメントを書かれた方のものではない。

コメントをされた方はきっとその強い言葉が気になっていたのだろう。そこへのこのことマクロ経済のことなど知らないわたしが読書感想なるものを書いたnoteのツイートをしたのだった。


思ってもみないことというのはあるもので、無防備なわたしのnoteの記事がその方の思いと出会った。もちろんその出会いはわたしにとっては想定外。

ただマクロ経済を知らないわたしが驚きその感想を書いたことがまずかったとは思っていない。なぜってそれは純粋に読書感想だから。

問題があるとするなら、わたしがマクロな学問の周りで今起こっていることを何も知らなかったこと。

そしてその本と、感想と、マクロに関心がおありの方とのタイミングがあった。

だから通知が届く様をわたしはただただ眺めていた。

バズっているのはわたしの書いた記事ではない。けれど通知が届く。

どうすることもできない。

流れとはきっとそんなものだ。



言葉

日常でもネットでも強すぎる言葉は使いにくい。なぜって言葉は必ず自分に返ってくるものだから。

ヒトリゴトのつもりで呟いていても、一度口から飛び出した言葉は歩きはじめる。たとえ誰にも気づかれなくても、言葉はそんなことなどお構いなしにズンズンと旅をする。そして口にした本人さえも忘れた頃、旅に出た言葉はひょいと誰かに拾い上げられる。しかも拾い上げてみるとその言葉は少しもくたびれていない。

それが言葉の力。

しかもここは言葉の海

それはどこまでも広がり、さわさわと揺れて繋がる海なのだ。

強すぎる言葉は目に留まりやすいと思いがちだけれど、ほんとうは強すぎる言葉は光を失っている。本当に強い言葉は優しく光を放つ言葉。そう、それは人と同じなのだ。

だから言葉は慎重に選びたい。



おわりに

失敗から学ぶことは多い。

ブログでは読書感想に本のタイトルをそのまま書かない方がいい、そんなことを学んだ。

そして言葉は大切にしたいと強く思った。それは皆が共有するものだから。失敗をしたことで今回は言葉について改めてちゃんと考えることができた。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話しています。

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