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【介護】母の手のひら


数日前から、足の悪い母がシルバーカーを押しながら早朝散歩をはじめた。そんな母の面倒はみるよと娘にいってもらい、昨日夫婦で一泊旅行にでかけた。

「二人で行ってらっしゃい」と母も笑顔で見送ってくれた。



足の痛み

89歳になる母は365日足が痛む。ただ痛みとはやっかいなもので、どれほど痛いのかは本人にしかわからない。

先週、わたしは右足のふくらはぎに肉離れをおこし、なんとか歩けるようになったけれど、まだ足は痛む。こんなとき母の痛みがいかほどのものか少しだけ想像できる。

レントゲンで母の右足の股関節をみると、骨盤に大腿骨がくっついていて股関節が消えている。だからいつも家の中でカサカサと音がする。それは右足をさする母の手のひらの音。

天気予報で低気圧のアナウンスがある前から母の足は痛む。そんな時はわたしがテレビを観ながら横になった母の右足をさする。母は「あ~ありがたい」と喜ぶけれど、それでも痛いとは口にしない。



名医に会いたい

だったら手術しようと思うのだけれど、紆余曲折がありいまだ手術には至っていない。けれど痛い。いつでも穏やかな母だけれど、時にその顔つきが険しくなる。余りの痛さに顔つきが変わるのだ。

だから手術さえすれば治るんじゃないかと思ってしまう。そこで先日、名医がいらっしゃると有名な病院に母を連れて行った。

病院へ問い合わせると、まずは診察をして、その後名医さんの予約ができるといわれた。そこで手順通り初診の先生に診て頂いた。

するとお若い先生が「手術するなら骨の移植が必要です。骨のストックは病院にありますがご高齢ですし、心臓の持病がありますからあまりお勧めはしません」といわれた。

いやいや、わたしたちが聞きたかったのは名医さんの言葉なのだ。まだ名医さんにはお会いしていない。そうそう結論を急がないで欲しい。

するとその先生、たとえ手術するとしてもわたしが担当ですとおっしゃるではないか。それでは話が違う。わたしたちは名医さんに手術して欲しかったのだ。


手術断念

ああ、どうしてこうも上手くいかないんだろうと思いながら、わたしは付き添った診察室で母と共に先生のお話しを聞いていた。

すると母が質問をはじめた。ゆっくりと、そしてしっかりと口を開く。診察室の外に患者さんが山ほど待っている大きな病院。煙たがられるパターンだ。

ところがその先生、母の質問に真っ直ぐ答えて下さる。年寄り扱いするでもなく普通の大人として説明される。

そのやり取りを聞いているうちに、徐々に胸が熱くなってきた。こんな先生は初めてだ。

これまでどれほどの先生と話しただろう。けれどこれほど丁寧な説明を聞いたことはなかった。いつかは「手術中にぽっくりいくこともあるからね~」なんて言われた。母はなかなか普通の大人扱いはされない。わたしもいつかこんなふうに扱かわれるのだろうかと都度思ったものだ。

そして母は自分自身で手術を断念した。先生は名医だった。わたしだって人間だ。その先生がどれほどの方なのかはわかる。きっともう母は揺れることはないはず。たった一つの望みを残して。それは歩けなくなったその日に手術をしようという先生と共に出した結論だった。


母の手のひら

病院は一日仕事だ。整形外科のほかにも何かと通院がはいる。そんな付き添いが重なると自分の仕事がどんどん夜へ夜へとずれ込んでいく。

するとだんだんと疲れが抜けなくなる。

で、時に倒れ込むようにわたしは日中ソファーに横になる。そんなことが最近増えていた。

すると母の手のぬくもりで目を覚ます。いつの間にか母がわたしの横に座り、腕や首や肩をマッサージしてくれているのだ。

おいおい、自分が痛いんでしょ?と思うのだけれど、なんとも気持ちいい。

母は手術を断念したあの日から先生と話し合い毎日鎮痛剤を飲んでいる。それでもカサカサと音はする。その母がわたしを気遣ってマッサージしてくれているのだ。



おわりに

8年前大好きだった父をあっという間に失った。末期の癌がみつかってわずか3か月のことだった。だからわかるのだ。こうして母と触れ合っていられるのには限りがあるということが。

不平や愚痴を口にせず、食事を毎回美味しいといって平らげて、庭の鉢植えの植物をじっと観察している母。「あなたたち二人で旅行にいってらっしゃい」と気を使ってくれる母。その母もいつかはわたしの傍からいなくなる。

母の手のひらは温かい。

わたしはもう知っている。介護だなんていっているけれど、いやいやどうして。沢山のものを貰っているのはわたしの方だ。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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