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【介護】お正月に風呂、の幸せ

きょうは昼過ぎから、母と今年初めてお風呂に入った。これまで介護中の母のお風呂は家族総出の一大イベントだったけれど、今日は母と2人、一大イベントは難なく終了した。

昨年の10月に母が倒れ、それから母は一月以上風呂に入れなかった。

人さまの手を借りてお風呂に入るのは絶対に嫌だという。もう数か月で90歳になる母だけれど、まだ恥じらいのある女性なのだ。

とはいえ、わたしと家族で力を合わせても、寝たきりの母を風呂になど入れられず、毎朝、顔と体を拭いていた。といってもわたしは大忙しで、使い捨ての体拭き用のウエットティッシュでまあまあいい加減に拭いていた。本当は搾りたての熱々のタオルで拭いてあげたかったけれど、そんな時間はなかった。

だから、風呂に入りたいだろうなと思っていた。けれど、母は決して風呂に入りたいとは言わなかった。


そんな母が、絶対にもう一度歩けるようになると思っているだろうことは感じていた。

そして、思っていた以上に、母は強かった。一月もすると、まだリハビリが始まる前から、体が痛くて座ることさえできない頃から、両手で手摺にぶら下がるようにして、体を引きずりながらトイレに行くようになった。

その母と、初めて風呂に入った時は大騒ぎだった。とにかく裸同士で母の体を抱えつつ、母が倒れないように足を踏ん張った。母の体を支えつつ、まずは右足を持ち上げてバスタブに入れ、それから左足をと、実に慎重に体を動かした。

これほど、大変な作業でも、それは実に母のやる気を奮い立たせる効果があった。これほど風呂が気持ちいいとは、と母が口にした。ここから、母の楽しみは一週間に一度の風呂になった。

けれど、長い間ベッドに横たわっていた母の体はなかなか温まらず、わたしが滝のように汗をかいていても、さっぱり汗ばまなかった。

腰の痛みで座っていることが難しく、体を洗うのも、髪を洗うのも、体を支えながらの作業で大仕事だった。一月以上風呂に入れなかった母は、どれほど洗っても垢が出続けた。

そんな母の風呂行事も、だんだんと楽になり、まだ一人では無理だけれど、それでもかなり動けるようになった。

そして、今日、今年初めての風呂に入った。わたしは幼い頃からほとんど母と風呂に入ったことが無かった。

けれど、これがなかなかいい。

今では、母もわたしと同じ速さで汗をかく。そしてあれほどボロボロとでていた垢ももうでない。

湯船に入ると、幸せそうな顔をして、辛かった時のことを話したりする。そして、わたしと暮らせていることがありがたいと話したりする。一緒に風呂に入っているからだろうか?まあ、きっとそれだけではないと思う。

ただ、わたしだって胸が痛むことなら幾つもある。忙しくて、母とゆっくりと話す時間が少なくなったし、昼食は母一人のこともある。仕事以外にも、家族を中心に動いていると、動けない母は留守番になることも少なくない。申し訳ないなと思うけれど、あまり良い子でいると、わたしの家族にも負担がかかる。「そうよね、わたしだってどうすることもできないしね、ごめんね」というと「いいのよ、わたしはここで暮らせて本当に幸せなんだから」なんて言ってくれる。

旅先で母の背中を流したことはあったけれど、今は家の風呂で母の背中を流している。皮膚の弱いわたしは泡立てた石鹸でさっと流すだけだけれど、母はゴワゴワと丈夫な体洗い専用のタオルでゴシゴシと背中を流して欲しい派だ。

一緒に暮らすまで、わたしは母を知らなかった。暮らしはじめて6年目。家族には、お嬢様のようだと言われている。愚痴は口にしないけれど、「あら、わたしはそれは嫌よ」なんて平気できっぱりと口にする。「お風呂は娘と入りますからいいです」と何度もケアマネさんにきっぱりと言っていた。娘に許可も取らずに笑。

こんな人だったのかと、時に可笑しくなる。けれど、年老いた母と正月の昼間から風呂に入るのも悪いものではない。3時間かかっていた大行事が、今日は1時間。

ぜったいにまた歩けるようになると思っているだろうなとは感じていたけれど、母は強いなと思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

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