シン・ゴジラ久々に見たけどやっぱり面白かった。私は好きだ。

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2016年に映画館で見て以来、アマゾンプライムで久しぶりに見た。

よく作ったなあというのが素直な感想である。
本気の遊びというのは、まさにこういうのを言うのであろう。
総監督・監督以下、スタッフが本気で楽しんで作ってたんだろうなというのが非常に伝わってきた。
その分、作るのがしんどかっただろうなとも思わされる。
スタッフの皆に、お疲れ様である。

最初に映画館で見た時は、
脚本のペースの速さと映像にただただ圧倒されるだけだったが、
改めてじっくり巻き戻しながら見ると、
その密度の濃さに舌を巻く。
これで2時間の長さとは驚きである。

レビューを見て、
東日本大震災と原発事故に照らし合わせている人が多かったが、
今回改めて、その通りだと感じた。

大地震や津波と同じように、
ゴジラも人智を超えた災害なのである。
そんな時政府中枢と自衛隊はどう動くのか。
緻密な群像劇としてそれが描かれており、楽しめた。
自衛隊の動きに関しても、
オタクである総監督の趣味が遺憾なく発揮されていて、
実際に存在する兵器におけるリアルな対応が印象的だった。
(細かい所まで字幕があるのには笑ってしまった)
多摩川を挟んだ自衛隊による攻撃(タバ作戦)はかなり燃えた。
少年の心を取り戻す、大人向けのロマンである。

石原さとみがいらないという意見が多かったが、
確かに、本映画の中でちょっと異質な存在と言うか、違和感があった。
キャラクターもなー、んー、なんか変だなーと思った。

後は、東京千代田区が壊滅したとき、
天皇陛下以下皇族達がどうなったのかが気になった。
こういう有事の際、宮内庁はどう動くのだろうか。
避難するとして、どこに避難して皇室を存続させるのか。
本映画の本筋ではないとはいえ、
それを想像するのもまた興味深かった。

天皇が存続しているというのは、
我々日本人にとって、アイデンティティーの一つなのかもしれない。
私はそれを、マンガ版「日本沈没」(一色 登希彦、原作:小松 左京)で実感した。
あの中で、日本が沈没していく中、
最後の最後で、一瞬だが天皇が登場した時は、
かなりクるものがあった。
私は右翼ではないし、天皇の熱心な崇拝者でもないが、
日本が存続するかどうかの瀬戸際の際、
自分が日本人である事の根っこの一つであるかのように思えた。
残念ながらその気持ちを良しとしない人たちも多い事は重々承知の上で、
あえて書いてみた。

総じて、
実際にゴジラという、超災害が襲ってきた時のシミュレーションとして、
ゴジラを題材にしている書籍は多く、
各方面から多角的に分析考察する良いモチーフであると思われる。

キングオブモンスターズ(2019)はまだ見ていないが、
何度もハリウッド映画かされ、アメリカ人にもこれだけ気に入られている所を見ると、
やはり「怪獣王」の名にふさわしい、
世界に誇る日本の生み出した良きキャラクターであると思った。


(追記1)
本映画の音楽では、例のエヴァの曲も好きだが、
予告編1で使われたストリングと合唱の曲がかなり好きである。

(追記2)
あとはやはりもちろん、
前半のタバ作戦と、
後半のヤシオリ作戦のやりとりは燃えるものがある。
いやー、邦画でよくぞ、ここまで迫力のある映像を作ったなあ。
無人在来線爆弾なんかは、
今まで歴代ゴジラにとことんやられてきた電車の反撃という感じで、
もう最高である。

(追記3)
ゴジラを倒したとき、ハリウッド映画のように「Yeahー!!!」じゃなくて、
「はぁ~~~っ(しんどかったー)」のように、
全員でため息つくのが、やはり日本ならではで好感を持った。

ラストのシッポの描写も、恥ずかしながら所見ではよく意識してなかった。
あれはまた何かが生まれようとしてたのかな?
ネットで言われてるように、巨神兵のようにも思えるのだが。


(追記4)

映画を見た勢いで、岡田斗司夫ゼミのシン・ゴジラ特集をYouTube見た。
その中で、「実はゴジラの正体は牧悟郎博士その人だった」というトンデモ仮説が出てくるのだが、
これはヒドイ。
その前に、
「なぜあそこにゴジラが現れたか、博士が(幼生を?)放したからだ」とも言ってるのだが、
そもそもその段階でヒドイ。
これが妄想だとするとひどいし、
もしこれが真実で庵野監督の思惑通りだったなら、
もうそれまでのゴジラ映画としての盛り上がりが台無しである。

ゴジラとは、超自然的な存在だから怖いのであって、
そこに人間の小癪な意識や感情が入ってくると、
これ以上に無く安っぽくなってしまうのである。

ゴジラがなぜあそこに現れたのか?
→放射性物質を考え無しに投棄していった結果、
 何らかの生物がそれを食べた事によって、
 超自然的脅威となる存在になってしまった。

これだけでいいのである。
その、自分たちのした事が、自然となって跳ね返ってくる恐ろしさ、
そこに、恨みとか復讐とか、安っぽい感情が入ってないからこそ、
「GOD」を内包しているゴジラは怖いのだ。
そう考えると、
「ゴジラが人間としての意識を持って、日本政府に復讐するために(あるいは問いかけるために)東京を目指した」
という仮説が、いかに人間レベルでしか物事を考えられておらず、
いかに安っぽいことか。
「博士が幼生を放した」という仮説も同じである。
いずれにせよその考え方の背景には「人間がゴジラを作った」というおこがましさが見て取れる。

確かにネタとしては面白いかもしれないが、
いくらなんでもそれはないだろう……と思ったので、つい補足として書いてしまった。

だがそうなると、
確かに「ゴジラがなぜ東京を目指すのか」という理由についての説明が難しい。

これに関してはまた別の仮説を想像しながら楽しみたい。

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