頭がぐるぐるするときは図書館に行くといいー社会人2年目の小休止日記②ー

高い理想を掲げて社会人として日々を歩んでいたのに、将来についてや明日のこと、今何をすべきかさえ考えるのが億劫になってしまった。そんなときにでも、本が大好きな私は図書館に行く気力だけはあった。何を考えているかもわからない私が両腕に抱えたのは、心の健康についての本だった。

〜体力的にも精神的にも疲弊した私の小休止についてつらつらと綴る第2弾です。〜

小さい頃から、本が大好きだった。小中高と、学校で1番好きだったのは図書館だった気がするし、中学校で書かされていた読書記録は、年間で120冊を超えていたと思う。学生のころ特に好きだったのはミステリー小説や事件ものだ。小学校では江戸川乱歩、中学になると横山秀夫や堂場瞬一、今野敏ら(敬称略)の警察小説も好んで読んでいた。
他にも、今から考えるときっかけはよくわからないが、石田衣良の「池袋ウエストゲートパーク」が大好きで全巻文庫本を買った。有川浩も当時の小説は全て読破するほど好きで、現実に近くも少し遠い世界観に浸るのが幸せでたまらなかった。兎にも角にも、私はカバンに本をパンパンに詰め込み、往復約2時間の通学時間で異世界を冒険し、想像を膨らませた。思い返すと、本当に特別な時間だったなと思う。

郷愁に浸ってしまい、前置きが長くなってしまった。そんな古くからの習慣のせいか、しんどくても図書館に足が向いた。いざ本棚へと足を運ぶと、頭の中が真っ黒でも、本能的に自分の今の興味関心がふわーっと浮かんでくる気がした。

まず足が向いたのは、心理学のコーナーだった。手に取ったのは、傾聴についてや家族セラピーについての本だった。パラパラとページをめくって気づいた。今はこんな本が読みたいわけではないと。普段から聞く力については関心が強かった。家族セラピーについては、将来必要になるかと思い関心があったが、今の私にはそんな情報をインプットする余裕はない。

すぐ近くには哲学に関する書籍もあり、普段の私なら手に取るがスルーした。今の私は「深く考える」という行為から1番かけ離れている状態だ。

裏には、時代錯誤な「女性の成功術」のようなタイトルがつけられた棚があった。正式な名前は忘れてしまったが、女性の、から始まっていたのは覚えている。そこには「成功するための○○の秘訣」みたいなタイトルの本が大量に並んでいた。お金を貯めるためだったり、起業だったり。ただただその棚に嫌悪感を覚えてしまった。今私は成功したいんじゃない、ただ以前のように比較的前を向いて日々をすごしたいだけだ。

心理学や哲学の本があった棚周辺を離れ、やっと私の足は精神疾患に関する本があるコーナーへと向かった。そこには、うつ病を克服した医師の体験談だったり、子どもが精神疾患を患った際の対処法などが書かれた書籍が並んでいた。あまり現状に向き合いすぎると負担になるかと思い、最初にこの棚を訪れることは避けていた。意外にも、思っていたより自然に本を手に取ることができた。一番参考になったのは「心療内科医が教える家庭でできるセルフメンタルケア」(山岡昌之監修、徳間書店)という本だった。ページをめくりながら、私に必要だったのは、自分自身がどういった症状かを客観的に知るための情報だったと気づいた。同書には、メンタルケア以外にも、うつ病や自律神経失調症などの病状について基本的なことが記載されていた。

うつ病、ここまで深刻ではない。自律神経失調症、違う。ん?慢性疲労症候群・・・?私の症状と似ていた。「風邪の初期症状のようなだるさや微熱がなかなか改善せず(中略)強い倦怠感が長く続く状態」。(同書より引用)これだ。吐き気と強い頭痛に襲われながらも、今の私について知る手掛かりをひとつゲットした気がして、すこしほっとした気持ちで図書館を後にした。

普段なら小説を借りたり専門書を漁ったりするものだが、今回は見る気にすらならなかった。図書館カードを使ってフルで借りた本には、メンタルケアに関するタイトルが並んだ。今自分が何を知りたいと思えるか、何なら考えられるか、明確になった。モヤがかかったような脳内に、少しだけ光が差した気がした。これからも、言葉にならない悩みがあったら図書館に向かってみよう。

ここまで読んでいただいたとしたら、本当にありがとうございました。おそらくまだ続きます。