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手のひらサイズで生きる

うつになって、物があふれる生活が辛くなった。
情報量が多く、目をつぶっていたくなるほど。
都会では人の多さに疲れてしまう。
うつになるまではそんなこと、気にも留めていなかったのに。

自分の手のひらから何もかも落ちていく感覚がある。
大切にしていることも忘れてしまいそう。
そもそも、私の持っているものってなんだっけ。
そんなことを疑いもせず、目新しいものに心惹かれる。
買い物が楽しい。娯楽が楽しい。新しいお店に行くのが楽しい。

でも、新しいものばかり消費していると、自分のなかのなにかがかすんでいく。
こころのなかにあった温かい感情や、あの瞬間に感じたときめきや、悲しみが。
棚の奥に押し込められて取り出すことのない靴下の片方みたいに、存在感を亡くしていく。

安価でものが買えて、たくさんのものが手に入る。
家には鍵があり、大昔よりは安全にものを所有できる時代になった。
でも、所有するって何だろう。
生きていくのに欠かせないもの以外に所有するものは、古来から権力の象徴だったりした。服とか、装飾品とか、茶器とか。

今だってそうだ。ブランドロゴの入ったカバンや服、デパコス、SNS映えするレストランやカフェ。
自分をより大きく見せるような消費活動。高い買い物をすることで、自分に奉仕しているような感覚が得られている気がする。

でも、自分を大きく見せて、奉仕して、なんだかしんどい気もする。
大きく見える自分とこころのなかの自分のギャップ。
手のひらがぐうんと広がってくれやしないか。そうねがっても自分の手では掬えない何かが常にある感覚。

自分への奉仕の前に、お手入れしてみたら?たまに自分に問いかける。
今の自分を見つめる。手のひらの大きさはこれくらいで、歩幅はこれくらい。一日に行動できるのはこれだけ。
自分はちっぽけだけれど、なんだかそれがほっとする。

ちっぽけならちっぽけらしく生きていきたい。
大きくも、小さくも見せずに。自分の形をかたどった生活をしたい。
物のあふれる部屋でそんなことを思いながら、今日も、自分の手のひらを見つめて生きている。


今日もお読みいただきありがとうございました。ヘッダーには素敵なイラストをお借りしています。ありがとうございます。