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自然から受け取ったパワーを、決断して前に進む力に変えて

丸2日、とある峡谷で自然を感じてきた。
車が走らない、電車でしか行けない秘境ともいえる場所。
切り立った山々に圧倒されてながら、睨むように景色を眺めて堪能した。

その美しさに心を奪われたいところだったが、なぜか薄暗い感情が頭に浮かび離れなかった。
観光地で朝早くから笑顔で働く人々や、過酷な環境で生き抜く美しい木々、自然の雄大さを目の当たりにして、自分はなぜ働きもせず楽しんでいるのだろうという罪悪感や将来への不安が生まれたのだ。

自宅へ帰ってきても、脳内に刻まれた峡谷の山肌と心のしこりはセットになって思い出された。
綺麗な景色を心の底から堪能したかったのに、という後悔は旅の疲労と共に体にちょっぴり重くのしかかった。

そんな時、作家の川上未映子さんのこんなツイートが目に入った。

たとえば昨夜のビョーク、たとえばシフのピアノを聴いてるとき。目の前で一瞬も逃したくないような素晴らしいことが起きていても、いつでも、全く関係のないことについて考えてしまう。それも何度も。でもこれはただの気散じじゃなくて、常に移動しようとする何かの表れで、すごいいい作用だと思ってる

https://x.com/mieko_kawakami/status/1641981431168798720?s=61 より

それは、それがどんなに美しいものでも、つらいものでも、完全に支配される/され続けることはない、ということでもある。圧倒的に直面している何かにたいして、それを相対化する、あるいは回避する、あるいは無化する、あるいはそれと融合するような、必ずべつの回路があるのだということ

https://x.com/mieko_kawakami/status/1641984232359858178?s=61 より

このツイートを読んで、思い出に靄がかかっていたのが、景色と同化して美しい情景として心に収まった思いがした。
自然という圧倒的なパワーや美しさに自分がただ支配されるのではなく、受け取ったパワーから感じ取った何かを自分に取り込んでいくような、そんなプロセスがあったのではないかと気付かされた。

実際、帰宅し疲労が取れる前から、なぜか自分の選択について向き合うことができたり、今を大切にしながらも先へ進む力をとっておこうという意識があった。
それはきっと、あの情景が忘れられずに心に刻まれたからだろう。

旅行に行くとき、人と会うとき、読書するとき。
どんな瞬間も、移ろい行く自分の感情や思考と共に行動している。
様々な邂逅と自分の間で生まれる新たな感情は、まるで化学反応のようで。
自分の気づかなかった、もしくは今までなかった一面を生み出してくれる気がする。

自分を満たしてくれるパワーとの邂逅が推進力に変わった今回の旅行は、私らしい唯一無二のものになったみたいだ。


今回もお読みくださりありがとうございました。
ヘッダーには、今回目にした自然の写真を使っています。よろしければご覧ください。