【仙波優菜】ソフトボールからサッカーへ 異色のキャリアを持つ彼女が語る“自分らしさ”とは
自分とは何なのか。
あなたにとって“自分らしさ”とは何だろうか。
その自分らしい自分とは、
どこで見つけたものですか?
どこへ行ったら見つけることができますか?
仙波優菜さん。
35歳。現デフサッカー女子日本代表監督を務める彼女の経歴は一風変わっている。
9歳から14年間磨き上げたソフトボールをやめ、24歳でサッカーに転向した仙波優菜の魅力に迫る。
学生時代、大好きなサッカーではなくソフトボールに打ちこんだわけ
幼稚園の頃、
毎日友達と園庭でサッカーを楽しみ、
女子1人で学園内のサッカー大会に出場するほど夢中になったサッカー。
小学校へ入学後もその熱は冷めることなく、
3年生の頃に彼女が初めて入団したのは地元のサッカーチームだった。
大好きなサッカーができる環境。
しかしその反面、
当時女子でサッカーをしている選手は非常に珍しく、
男の子がボールに群がる中に
女子1人で参加するサッカーは面白くなかった。
練習に行かない日が続き、
結果1か月でサッカーチームを退団。
姉が所属しているという理由で、地元のソフトボールチームへ入団した。
小学校6年生の時にはソフトボールで全国大会に出場。
愛媛県No1ショートと呼ばれる実力も付き、
高校はソフトボール推薦で地元愛媛の済美高校に特待生入学。
1年生からレギュラーを獲得し、
2.3年時には愛媛国体にも選出され、
卒業後は実業団でプレー。
ソフトボールの実力を着々とつけていった。
その後もサッカーへの熱が冷めることはないまま、
ソフトボールに打ち込む日々を過ごす。
ソフトボール引退までの経緯
順風満帆なソフトボール人生。
しかし、
実業団に入ってからは多くの壁にぶち当たることになる。
高卒ルーキーとして伊予銀行女子ソフトボール部へ入部し、プレシーズンではレギュラーを獲得できた。
しかし、
仕事とソフトボールの両立や
今までよりも遥かに高い練習強度、
初めての寮生活、
先輩との上下関係など
実業団でプレーすることは想像以上に苦しい毎日だった。
体力気力ともに精一杯な中、
実業団3年目からは次第に後輩にレギュラーを奪われる。
得意だから続けていたソフトボールが、
うまくいかない日々。
そして、
その現実を中々受け止められない自分との葛藤。
5年間実業団でソフトボールをプレーした彼女は、
ここでソフトボールの世界から退く決断をする。
ずっと頭の中にあったサッカー
ソフトボールをやめて何をするのか。
彼女の頭に1番に浮かんだのはサッカーだった。
小学生の時から、
暇さえあれば汗だくになるまでサッカーボールを蹴っていた。
高校では、
ソフトボール推薦で入学したにも関わらず、顧問の先生に頼んでサッカー部の体験に行った。
ずっと大好きだったサッカーへの転向。
引退をチームに伝え、すぐにサッカーチーム探しへ。
いろんなご縁もあり、
当時チャレンジリーグ(現なでしこリーグ1部)の愛媛FCレディースへの入団が決まった。
彼女のサッカーへの新たな挑戦が始まった。
初心者で飛び込んだサッカーの世界
24歳から始めたサッカー。
周りよりもかなり遅いスタートで、
ましてやなでしこリーグのチーム。
ソフトボールを始めた時のようにそう簡単にうまくはいかなかった。
しかし、
サッカーへの向上心が薄れることはなかった。
その理由について彼女は、
さらに、サッカーへの取り組み方について彼女は、
やっと飛び込めたサッカーの世界。
大好きなサッカーは、実力関係なく彼女を夢中にさせた。
ソフトからサッカーへ 多くの葛藤から生まれた思考の変化
ソフトボール時代から今まで、
彼女の中では多くの思考の変化が生まれた。
ソフトボールが上手くいかず試合にも出られなくなった時。
その頃の彼女が出会ったのは自己啓発本だった。
上手くいかずメンタルも落ちている当時の彼女にとっては、
書いていること全てがその通りのように感じた。
読んだことは全て実践した。
まさに思考をこじらせていた。
様々な自己啓発本や多くの経験と共に、
彼女は自分自身のベストな思考を探し続けた。
願えば叶うから自分を信じましょう。
結果ではなく過程を大事にしましょう。
苦労や失敗も自分の学びにしましょう。
自分の好きなことをして心のままに生きましょう。
誰もが一度は聞いたことがある。
その通りなのかもしれない。
でも実際考えてみたら、
それをすれば本当に正解なのだろうか。
これを使えば、
どんな時も自分自身は幸せだと言えるのだろうか。
結果が出ない現状に幸せを感じないのに、
過程が大事だからと言い聞かせて自分の気持ちに蓋をしてみた。
自分の心に素直になって行動してみたけど、
周りへの気遣いがなくなったみたいで幸せにはなれなかった。
本にはそれが正解であるかのように書いてあるのに、
どの思考も彼女にはなぜかしっくりこなかった。
こじらせ時代から見出した“自分らしさ”とは
結局自分はどうやって生きていくのがベストなのか。
思考をこじらせ続けた彼女はあることに気づく。
沢山の経験を積み、
沢山の自己啓発本を読み、
自分の中でベストな考え方を探していた彼女。
ある時、
ように感じた。
じゃあ、結果答えは何なのか。
結果自分は、
物事に対してどう考えるのがベストなのか。
彼女が出したその答えは、
結果「自分自身」だった。
経験は自分を知る上での過程に過ぎない。
どんな経験をするか以上に、経験したことに自分がどう感じているのか。
その経験をして、どんな自分に出会ったのか。
新しく出会った自分に対して自分はどう感じたのか。
そうやって自分を知っていく。
そうやって、
自分だけの“自分らしさ”を見つけていく。
それが、
多くの自己啓発本を読むことでは得られない、
自分自身で見出した“自分らしさ“の答えとなる。
そうやって自分で見つけていく“自分らしさ”こそが、
1番の道標となるのだ。
思い通りにならない現実 全ては自分への挑戦である
何かに挑戦しようとすると、
その何かと自分との差にしんどくなる時がある。
何者かになろうとすると、
結局自分は何なのか分からなくなる時がある。
だから、彼女にとって挑戦は全て
「自分自身への挑戦」
なのだ。
14年間続けたソフトボールをやめてサッカーの世界に飛び込んだのも、
今もなおサッカーに関わり続けているのも、
デフサッカー女子日本代表監督に立候補したのも、
10日間アメリカへ行ってみたのも、
彼女が描くデフサッカーの未来も、
目標への挑戦ではない。
全て自分への挑戦。
だから、
目標との差に落ち込む必要もなければ、
その差を不必要に感じすぎることもない。
思い通りにならない現実はある。
全てが願った通りにはならない時もある。
自分のやりたいことが今必ずしもできるとは限らない。
でもそんな時も、
今できることに集中して、
誰かに認められるためじゃない、
そのやりたいことの本質を見失わないで、
今の自分にできることを楽しめばいい。
だって全ては、
自分への挑戦だから。
自分らしさを知るための過程にすぎないから。
彼女の思考は、彼女の経験と共に進化し続ける。
でももうそれは、変化とは違う。
あくまでも自分らしさを求める
彼女自身の進化である。
【次回】 仙波優菜part2
デフサッカー女子日本代表監督 彼女が語るデフサッカーの魅力とその未来像とは
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