見出し画像

不調はからだからのメッセージ

わたしは病気になったとき、じぶんと向き合うことはとても大切だとおもっています。

病気や体調不良って、からだからのメッセージだとおもっていて、病気はわたしになにかを伝えたくてからだが起こしているものだとおもうのです。
それは、病気はあなたの責任だ、と言いたいわけではなくて、からだはなにかに偏ったときに調和しようとはたらいています。だから、たとえば働きすぎだよ、ちょっと休もうよ、と伝えたくて風邪を引き起こしたりするんです。

看護師のくせにえらいスピリチュアルだな、と思われるかもしれませんが、わたしは西洋医学だけが《 ただしい医療 》だとは思っていませんし、自然療法だけが良いとも思っていません。

わたしが自己免疫性疾患になったことは、じぶんの生き方や価値観、こころを見直すいいきっかけだとおもったのです。

自己免疫性疾患とは、じぶんを攻撃する病気。
正直、それまでに何度も高いお金を払ってカウンセリングや心理セラピーを受けたり、心理セラピーの学びを続けたりしてきたにもかかわらず、それでもじぶんを責める、攻撃する病気になったことはショックでした。

だけど、SLEになる少し前(最初に自己免疫性疾患である自己免疫性肝炎にかかったのはSLEになる約2年前のことです)、やっぱりじぶんを攻撃していたのです。

どうしても腹が立って、でもその怒りを誰にも向けることができなくて、じぶんの顔を、顔が腫れるまでたたいてしまったんです。
こんなふうにあきらかにじぶんを痛めつけるのははじめてで、じぶんでもなんでこんな行動をしてしまうのかわかりませんでした。

でも、よくよく考えると、もともとアトピー性皮膚炎があって、イライラと怒りを感じるとその怒りを湿疹に向けてかきむしっていたことはありました。自傷行為という自覚はなかったけれど、よく考えるとあれも自傷行為のうちのひとつだったのだとおもいます。

自傷行為は、よく「生きているんだと実感するためにやっている」というはなしを聞きます。
でも、わたしの場合、生きている実感をその痛みで感じたいというよりも、じぶんを罰するという意味の方がつよかった。
じぶんでじぶんを罰する、痛めつける、つまり、攻撃していたんですね。

そんな時期を経て、全身性エリテマトーデスという自己免疫性疾患、それも全身のいたるところに炎症を起こす病気になってしまった。

これはもうじぶんに向き合う意外にない、とおもいました。

それから1年、じぶんの心地よさを追求したり、感情解放したりといろいろ試していてたどり着いたのが罪悪感と、母子癒着の手放し、というテーマだったのです。

病気の問題は、こころとからだの両方からのアプローチがたいせつだとおもっています。からだは食べるものからできているから、なにを食べるか、なにを食べないか、そしてデトックスしていくことが大切です。

それと同時に、こころの問題、問題、というよりも、からだが教えてくれた《 もっとじぶんらしく生きていくことができるよ 》というメッセージを受け取って、そのメッセージをひもといて、人生を楽しんでいこうとおもうのです。

病気だけでなく、加齢でもからだは変わってきます。
どうしたって変化してくるからだの問題。
もとに戻せるものなら戻せるように対処できたらいいし、そうでないなら、そのメッセージを受けとりつつ、その状態でどう生きていきたいのかをじぶん会議しながら暮らしていきませんか。

生きることはつらい。
だけど、人生はつづくんです。
どうせなら、あたえられたこのからだで、どうやって残りの人生を楽しんでいこうかを考えたほうが絶対たのしいじゃありませんか。

せっかくあたえてもらった人生だから、せっかく今生き残っているんだから、どうせなら楽しんだほうがおトクでしょ?

失ったものをなげくよりも、今あるものを見て、人生味わって生きていきましょ、なんておもうのです。

いつもありがとうございます! いただいたお気持ちをパワーに変えて、どんどんまわしていきます!