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慣れや習慣が奪う身体感覚(1)整体施術で気付いたこと

 先日のことである。知人の車を借りて長時間、運転することがあったその夜から、腰の周りが重だるい感じが出現。始めのうちは「そのうち治るだろう」と思って放置していたのだが、二週間経っても改善の兆しがみられなかったので、自宅の近くにある整体治療院で施術を受けた。
 効果はてきめんで、約一時間の施術を受けて、帰るころにはすでにずいぶん楽になった。もっともそのときの感想はたんに「借りた車の座席が柔らか過ぎて、変な姿勢を強いられたせいて、腰の周りが凝ってしまい、その部分をほぐしてもらったから良くなった」というものでしかなかった。
 ところが、翌日、何気なく靴を履こうと身体を前に屈曲させたとき「あれ、普段はこんなときには、腰の部分に重石が乗ったような重だるい感があるのに、今日はない」と感じて驚いた。驚いたのは、重だるさがなくなり楽になったことではなない。今まで靴を履こうとするとき毎日のように感じていたはずの感覚を意識することなく毎日靴を履いていた自分に対してであった。
 靴を履き終わって「なんでこんなことに気付かなかったんだろう」と思いを巡らしていると、以前、十年以上通っている馴染みの理容師さんが私の肩を触って、「いつものことですが、ずいぶん凝ってますね。辛くないですか?」と質問してきたことを思い出した。私自身は肩が凝っていると自覚したことがほとんど無かったので、そう言われたのが意外だった。ただ言われてから、仕事の合間などに背伸びをしたり、腕を回したりすると、実際に凝っているのが実感できるようになった。ただし、その後はそうした運動をすること自体を忘れてしまったのだが‥‥‥
 ところで、慣れることで感じなくなる現象は感覚全般に対して当てはまるようだ。日本大百科全書の解説によれば、同じ刺激が特定の感覚受容器に持続して与えられると、感性的体験の性質や強度、明瞭度がしだいに低下し、ついには消失する。これは嗅覚、味覚、温度・圧などに対する皮膚感覚で著しい。もっとも聴覚では明確でない、とある(注1)。
 しかしたとえば聴覚に関しては、普段街中で暮している人が、たまに静かな場所に出かけると、普段の生活において気付くことがなかった小さな耳鳴りを自覚したり、雑音がない静寂さを意識したりする。
 また一般に、痛みは他の感覚とは違って慣れや順応がないとされているが、それでもたとえば、反復する痛み刺激を加える実験で、痛みに対して鈍感になったり、感じる痛みの程度が弱くという報告もあるようだ(注2)。
 慣れることで感覚が鈍麻するという現象はこうした生理的感覚だけでなく、心理的なものや思考にも及んでいるのだろう。変化のない持続的な情報に対しては同一の対処で十分なので、毎回その情報を吟味検討する必要性は薄い。したがって本来慣れは、本来は生体に有利なメカニズムのはずである。しかし凝りに慣れて凝りを自覚できなくなることからも分かるように、健康という面から見るとマイナス要因になることを忘れてはいけないのだろう。
そのために必用なことは、私たちが本来持っているはずの健康感から逸脱している感覚を見つけその修正を試みることで、その方法の一つが身体感覚の吟味ではないだろうか。
注1)https://kotobank.jp/word/%E9%A0%86%E5%BF%9C%28%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6%E3%80%81%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%29-1549589
注2)U Bingel et al:Habituation to painful stimulation involves the antinociceptive system.Pain 131(1-2):21-30.2007


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