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【育児】子どもに家事をやらせよう

先日、たまたまSNSで流れてきた動画で、あるママタレントが子どもに家事を手伝わせる時のことを語っていた。

子どもに洗濯物の片付けの手伝いを頼んだ際、
「えーなんでぼくがやらないといけないの」
と言われて
「私はいつもやってるけど?自分の分だけやっていい?」
と言い返して手伝わせた、というものだ。
(実際はさらに続いていたし動画自体もおそらくテレビか何かの切り取りでしかないので詳しい文脈はあまり考えずに読んでほしい)

その部分だけ見ても普通に正論だなと思ったけれど、コメント欄は違った。

「ヒステリック構文」
だとか、
「そんなに恩着せがましく言われると感謝する気にならない」
とか
「自分なら『じゃあ汚い服着ていく』って言うしそれで恥かくのは親の方」
とか
「自分は母親にやってもらって当然だから母親になった今自分がやって当然と思っている」
だとか。
もちろん擁護するコメントも多いのだが、こういう考えの人が少なからずいること、そしてそれを公共の場で晒せるほど自分が正しいと思っていることに驚いた。

我が子はまだ立つことさえない0歳児だが、母親として今後の教育を考え、また自身が母親におんぶにだっこで育った実体験に基づき、感じたことを書きたいと思う。

正論だと思った理由

まず、発端となる動画での発言について。

子どもに家事を手伝わせること自体は、なんらおかしいことではない。どこの家庭でもあることだ。
「働かざる者食うべからず」という言葉もある。
母親は家でやるべきことがたくさんあるのだから、手の空いている人がいれば手伝えばいいだろう。

なんで自分が、という文句に対する返答としては、上記の通り手が空いているから、である。

家族は互いに協力し合う家庭の共同経営者みたいなものだ。
人が苦しんでいるのを助けない、自分だけ良ければいい、というのは資本主義社会で競い合う相手であり蹴落としたい敵だというならアリかもしれないが、一般的な家庭であれば、支え合い、助け合うのが普通だろう。

「自分の分だけやっていれば許されるのか」
そう問いかけることで、自分と家族の関係や在り方を考えさせるのも大切だ。

また、普段いかに母親が自分たちのために動いてくれているか、言われないとわからないことも多い。
これは本来、母親自身が直接言うのではなく、父親など周りが気づかせるように口添えなどするべきである。だが周りに大人がいなかったり、気づかなかったりして、自分で言う必要があることもある。

できればそんな時は、なるべく感情的にならず、客観的に、論理的に、「言い返す」のではなく「諭す」ように伝えられると良いが。

とにかく言っていることは間違いではない。

アンチコメントに対する反論

次に、特に衝撃を受けた先述の4つに対して、より具体的に反論していきたい。

  1. 「ヒステリック構文」
    これは言い方と捉え方によると思う。
    子どもの不満気な反論に苛立って、少し意地悪な言い方をしたくなる気持ちも、その苛立ちを察知してヒステリックだと感じてしまう気持ちも、わからなくはない。
    そのつもりはなくても少し語気が強くなったり、そう捉えられてしまうこともあるだろう。
    こればかりは言葉を発する時の心掛けと相手の感覚に対する理解次第なので、できる範囲で頑張るしかない。
    ただ、今回の動画に関して言うと、ヒステリックとまでは思わない。言っている内容は正しいし、そもそもヒステリーとは「病的な興奮」状態だ。これが病的なら病人がこの世に溢れまくってしまう。

  2. 「そんなに恩着せがましく言われると感謝する気にならない」
    これは、1の言い方以外でいうと、そもそもの育ち方だろうか。
    親に身の回りの世話をしてもらっている時点で感謝の気持ちを持っていないという人が不思議で仕方ない。
    もちろん子どもは1人で生きていけないから親がある程度のことをするのは保護責任だが、それは絶対の義務かと言われたら、そうではない。家事は教育を受けさせる義務とか虐待やネグレクトをしないとか命に関わるようなことではない。あくまで快適に生活を送るための作業だ。
    恩を着せているわけではなく、母親である自分が一番能力的に適しているから自分の分と一緒にやっている、家族を思ってのこと。母親が家族のために頑張っていること、それが当たり前ではないことを知ってほしいだけ。
    しかもありがた迷惑というわけではなく、母親の家事によって実際快適な生活が送れているのだろう。これに感謝をしなければ、どういうことに感謝するのだろう。

  3. 「自分なら『じゃあ汚い服着ていく』って言うしそれで恥かくのは親の方」
    これはコメントへのコメントでもあったが、実際に汚い服を着て恥ずかしい思いをするのは間違いなく着ている本人だから、ただ少し知恵をつけた少年の反抗期でしかない。理屈に無理があり、反論したいだけの反論。
    逆に「じゃあ着ていけば」と言われたらどうするのだろう。本当に着ていくのだろうか。だいたい恥がなんだとかいう屁理屈をこねる人の方がよほど外聞を気にするタイプだから、多分結局着てはいかないと思う。
    また、よほど体裁を気にする親なら確かに恥を偲んで折れるかもしれないし、優しい親なら教育よりも子どもが恥ずかしい思いをしないようにと折れてくれるかもしれない。だがどちらもそれで子どもの勝利、というわけではない。なぜこの理論で勝った気になれるのだろう。よくて痛み分けだ。

  4. 「自分は母親にやってもらって当然だから母親になった今自分がやって当然と思っている」
    このコメントを見て、私はゾッとした。
    なぜなら、少し前までの自分も少し似た考えを持っていたからだ。
    正確には、やってもらって当然とは思っていないが、私のために色々やってくれていたことに感謝しているし自分もそういう子に尽くせる母親になってやってあげたい、という考えだ。
    しかし、実際に母親となり数ヶ月家事と育児に追われながら過ごしてみて、それがいかに険しい道のりかわかった。いや正確にはわからない。できる気がしないからはなから諦めるつもりだ。
    これには、詳しくは後述するが、「自分が家事が苦手だから」という理由もある。
    ただ確かなのは、こういう考えの母親がこういう考えの母親を生んで苦しめ、あるいはこういう考えの父親を生んでその妻を苦しめる、負の連鎖の根源であるということだ。
    その悪しき例を目にして、ゾッとしてしまったのだった。
    昭和の考え方を持つ人間は、平成に置いてきたと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。

家事が苦手になる理由

先述の通り、私は母親におんぶにだっこで育った。母親はほぼすべての家のことを担っていた。
料理は得意でいつも美味しいし、洗濯や掃除は雑だが朝早くから寝ている間に済ましておいてくれる。服も毎朝気温に応じて選んでくれた。
母親自身は、全部担っていることについて頑張りを主張することはなかった。上記も料理は小さい頃からしているし美味しいものを知っているからとか、子どもがアトピー体質なのであまりホコリを吸わないようにとか、結局自分がやった方が早いとか、理由をつけてしてくれる。

おかげで家事のできない人間に育った。
やろうと思えばできるだろうが、やらないのが普通な人間だ。
暇な時には手伝うが、社会人になってからは平日帰りが遅く疲れているのを免罪符に、実家暮らしの間はほぼしてこなかった。
家事は経験がものをいう。
苦手意識も自然に形成されていった。

これは持論だが、家事、特に料理の得意不得意は隔世で顕れると思っている。

母親がなぜそんなに料理ができるのかについて、自分の母親ができなかったから、と言っていた。正確には、母親の料理が美味しくなかったけど言えずにいたから、自分で作った方が納得して食べられたと。

これが続くとなると、料理ができない親を持った子は料理ができるようになり、その子は親ができるばかりにできなくなり、そのまた子はできるようになる、ということになる。

だからきっと、私の子は家事が得意になるだろう。というかそう育てたいと思う。

子に手伝ってもらうことで自分が楽になるという打算も少しはあるが、自分が苦労したので同じ目に遭わせないために当たり前のようにさせておこうと思うのだ。

負のサイクルからの脱却

もうひとつ、子に家事をさせたい理由として、先述のアンチコメント4がある。

「家事は母親がやって当然」という考え方の継承を阻止したいのだ。

今は令和の時代、家事育児をする男性、父親も当然になりつつある。
しかし、いまだに昭和的な、女性、母親が家のことをするという考えの人はいるし、多少理解があってもやはりメインは妻で夫は手伝うのみという場合もある。
若者でも、時代錯誤だと理解はしていても、自分の親がそうだから、となんだかんだ受け入れてしまっている人もいる。

まさに以前の私であり、夫である。

それが家事能力の欠如と合わさり何が起こったかというと、「不幸」であり、「家庭内不和」である。

事あるごとに夫に苛立ち、ストレスとなる。
それをぶつけられ、夫も嫌な気分になる。
解決されることがないので、ずっと優しくできない、不機嫌な状態が続き、ギスギスする。

自分が家事に苦しめられていると認知したことにより、この考えに至り、「この負のサイクルを止めなければ」「同じような被害者をこれ以上増やさないようにせねば」という使命感に駆られたのだ。

子の性別は関係ない。
男子ならば、妻を苦しめる考え方の夫にならないように。
女子ならば、自分を苦しめ夫と険悪にならないように。
そしてさらにその子達にも同じ思いをさせないように。

今の時代に見合った、アップデートされた考え方で育てたい。
できるだけ周りの誰も不幸にしない、ならないようにしたい。

そのためには今ここで負の連鎖を断ち切らなければいけないのだ。

子どもに家事を苦手にさせないために

性別に関係なく、家のことは自分事として当たり前のようにやる。
将来苦手意識を持たないようにする。

それを叶えようと思うと、やはり一番は幼少期から家事をさせるしかない。

最初は些細なことから手伝ってもらう。
もちろん安全にできる年齢になってから。
洗濯物ならハンガー外しや畳んだものをクローゼットにしまうことから、料理なら米を炊くところから。

お小遣いをあげても良い。
これをやってくれたら10円とか、ここまでやってくれたら100円とか。サブスクリプションのように、定期的にこれをやってくれるなら、欲しいものを買ってあげるとか。
自分でお金を稼ぐことで、お金の有り難みも理解してもらえるかもしれない。
何かを得るには対価が必要だということも。
実際、自分もそういうシステムがあった。

家事は慣れだ。
日頃から慣れ親しんでおけば苦手意識は持たないし、やることを苦に感じない。
多少の得手不得手はあっても、やり方を知っているだけである程度自信になる。
習慣付いていないと、いちいちスマホで調べたりする羽目になることもあるので、そういう煩雑さからも解放されるだろう。

まだ我が子に実践するには早いが、今のうちからシミュレーションしておく。

なるべく楽しんで家事に参加してもらえるように、その子の性格などにも合わせつつ、できる工夫は考え続けたいと思う。

家事は自分事。
このスローガンを掲げて。

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