【育児】【人生設計】2人目どうする問題
待望の第一子が生まれて半年が過ぎた。
日々、かわいくて仕方がない。
まだやっと1人目が生まれたばかりだというのに、事あるごとに「次」のことを考えてしまう。
夫は3人兄妹、私は2人姉妹で育ち、子どもは最低でも2人はほしい、と以前から認識を共有してきた。
夫はできれば3人、それ以上でも、と言うが、私は2人を希望している。
授かれないとか何か大きな問題がない限り、1人っ子という選択肢はない夫婦だ。
私達の時代はまだ周りに1人っ子は少なく、兄弟姉妹がいる子の方が多かったが、最近自分達が親として見ると、意外と子どもは1人という家庭が多いように感じる。
もちろん、これから増える可能性もあるのだろうけど。
2人目問題を考えた時に浮かんだ要素を、自分の整理と誰かの参考になれば、とまとめておく。
子どもの数の理想と懸念
まずは自分が複数人の子どもを望む理由から。
先述の通り、一番は自分がそうだったから。
そしてその自分の育った家庭が理想だからだ。
私は長女だったけど、親から「お姉ちゃんなんだから」という抑圧は与えられなかったし、生まれ持ったマイペースな性格もあって、特に苦はなかった。
妹とはよく喧嘩したし、考え方や性格も全く違うが、やはりかわいい妹ではあるし、一緒に色んな所へ行ったりするほど、それなりに仲の良い姉妹だと思う。
逆にどちらかといえばわがままで甘えたな妹を反面教師として、一歩引いて見る術も身につけられたし、違う価値観の存在が身近にいると色々と勉強になって面白い。
懸念としては、1人目出産時に大変な思いをしたこと。
陣痛から30時間、途中で耐えきれず無痛(和痛)分娩に切り替え、産む瞬間はそこまで痛みを感じずに済んだものの、その後弛緩出血で輸血をするほど血を失い、麻酔が切れた後に激痛の緊急処置、貧血で自宅療養では不可能と言われ産院を退院後産後ケアに直行するという経験をしている。
旦那は仕事が忙しくて育休も取れず、実家も頼るには少し距離があるので基本ワンオペ育児。
次もできれば麻酔を打ちたいが、そのせいで陣痛が長引いたり、出血に繋がったらと思うと躊躇するし、麻酔関係なくまた弛緩出血したらと思うとその予後がとても憂鬱だ。
また、旦那の労働環境が改善されない限り、そんな状態で2人を見るのは不可能だろう。
だから3人以上は絶対無理だと夫にも言っている。
どうしても欲しいなら定時で帰って来て育休も必要な時にすぐ取れるようになってから言え、と。
年齢差どうする
年齢差があれば、上の子に手はかからず、下の子の世話に専念できるから懸念のひとつは拭えるのだろうか。
色んな話を見聞きしていると、そうは思わない。
赤ちゃん返りとか、なくてもケアしてあげないととか、多分何歳あいてようが何かしら問題は起こるはずだ。
自分が3歳差(早生まれなので4学年差)だったので、今まではやんわりとそれぐらいがちょうど良いかなと思っていた。
しかし、1人目の時点で、元々欲しいと思った時から2年経過している。
体力に自信がないので、なるべく早めに産んでしまいたい、と思うと、差が開きすぎても良くない。
そろそろ…と思ってからできるまで、こればかりは授かりものだから、どれくらいかかるかわからない。
「2人目不妊」というワードも最近よく目にする。(私の場合1人目も不妊だったが)
年子は正直自分がしんどいと思う。
仕事復帰もしてすぐまた産休を取るのは忍びない。でも少しずつまた任されるようになってからまた離脱するのも、考えものだ。仕事的にはあまり間隔が開かない方が、その後より長くがっつり仕事ができる。
2歳差なら結構周りには多かったし、2学年差だと卒業式とか入学式とか被らなくていいかもしれない。
自分のしんどさは…なんとか頑張るとして、それくらいからチャレンジし始めてもいいなとは思っている。
ただまだそれほど情報収集できていないので、引き続き周りの声などを聞いていきたいと思う。
「1人目」と思って育てていると
最近これをよく考える。
我が子は今、夫婦にとって初めての子どもで、夫側も私側も初孫でちやほやされ、私からも育休中マンツーマンで一身に愛情を注がれている。
しかし、2人目にも同じだけの愛を与えてあげられるだろうか。
写真だって今は撮りまくってアプリで共有しているけど、2人目のときはそれどころじゃなくて十分に撮ってあげられないかもしれない。
イベントのたびにそれが脳裏をよぎるので、今の子に対しても、ここまではやりすぎかな…と少しブレーキをかけてしまう自分がいる。
愛の形が変わるだけだとは思う。
ちゃんと本人にそれを伝えて、理解してもらえばいいとは思う。
でも自己満足の問題で、やはりできるだけは平等にしたいと思う。
だからといって、今目の前にいる子に、してあげたいことをしないのはおかしい。
よく考えてみればわかることだった。
忘れていた「今を生きる」
私は前々から、「今を生きる」をモットーにしてきた。
人間いつ死ぬかわからない。
未来を見過ぎて今を疎かにすることを特に嫌っていたはずだ。
それがいつの間にか、子どもという未来を象徴する存在に呑まれていた。
もちろん、子どもの人格形成に関わる以上、未来を考えて行動することも大切だ。
しかし、私だって、子だって、いつ死ぬかわからないのだ。
「あの時ああしてあげていれば…」という後悔は絶対にしたくない。
大好きなMr.Childrenの『少年』という曲にあるように、
"幸せはいつだって抱きしめた途端に
ピントがぼやけてしまうから
そうなる少し前でしっかり見続けよう"
そう思っていたい。
その後の歌詞が
"…なんて できるのかな?"
と続くように、今までのように忘れてしまう時もあるだろう。
そんな時は、この記事のことを思い出して読み返したいものだ。
思いつくままに書いているので散文で失礼。
誰かの参考になれば幸いです。
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