見出し画像

【不妊治療】妊活、流産、再妊娠まで

私は来月に出産を控えた後期の妊婦です。

この記事では、標題の件を中心に今回の妊娠に至るまでの経緯について、備忘録も兼ねてその当時の気持ちのメモも交えながら綴っていきたいと思います。

最後まで何が起こるかわからないのが妊娠・出産なので、本当は無事子どもが生まれてからにしようと思っていたのですが、生まれた後書いている暇があるかわからないので、このタイミングで投稿することにしました。
(下書きにしておいて出産後公開すれば良いのですが、書いたからには早く上げてしまいたくなるイラチなので…)

不妊治療といっても薬を使ったタイミング法までで、妊活中で授かれず苦しんでいる方には「でもあなたは子どもができたんでしょう」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そういう方は今のうちにそっ閉じしていただくことをおすすめします。

同じように妊活をされている方や、この先妊娠を考えている方にとって、希望や、何かしらの参考になればと思っています。

入籍後の妊活と不妊治療

自己紹介と当時の状況

私はプロフィールに書いた通り、広告業界に勤めるアラサー女。(現在は産休中)
別の記事で書いたが、夫は大学の同級生で、大学院を卒業後、現在はメーカーで技術職に就いている。
入籍と同時に引越し、一緒に住み始めた。

私も夫も平日の夜は遅く、22時くらいまで働くこともあり、帰宅して晩ご飯を食べるのは23時ごろ。時期やその日によっても変動的だ。
当然お互い帰ってきてから家事をする暇も気力もなく、最低限の洗い物と洗濯をするだけで、食事は各自でコンビニの弁当やスーパーの惣菜を買ってきて、それぞれのタイミングで食べる。
休日は普段の疲れを癒すかのように寝られるだけ寝たり、行きたい所があれば遊びに行ったり、溜まった家事をしたり。一緒に過ごすことは多いが、それぞれ別の予定があることもあるなど、自由に暮らしていた。

妊活の開始

私はできるだけ早く子どもがほしいと思っていて、夫もまぁ入籍したからにはいいかなくらいに思っていた。
親にそれとなく聞いた際も本人達に任せる感じだったので、入籍後3か月くらいから避妊せず、いつ妊娠してもいい生活はしていた。
しかし先述の通り平日はお互い帰りが遅く、特にいつしよう、みたいなことも決めずにいたので、週1〜2回だったと思う。

一応妊娠するにはどうするべきか少しずつ調べ始めてはおり、あくまでネット上の情報ではあるが、まずはタイミング!と基礎体温や排卵日などについて知るようになった。葉酸のサプリも飲むようにしていた。
基礎体温についてら、しばらくは普通の体温計で気がついた時に測る程度だったが、3か月経った頃からちゃんと記録するようになった。

ゆるい妊活の開始から2〜3度生理が来て残念、となり、この頃からより本気で妊活に取り組もうと思い始めていた。
私の生理は、3日目くらいまで量も多く日中は鎮痛剤を飲まないとかなりしんどいくらいには重かったので、生理が来ると余計に精神に来た。
1週間ほどで終わるし割と決まった周期で来ていたが、35日周期だったので、次までが長いというのも焦りを生んでいたと思う。

元々引越しや入籍の準備のため夫とGoogleドライブの共有フォルダを作っていたので、その中に新しくスプレッドシートを発行し、体温や生理、行為を行った日を記した表を載せ、夫とも共有した。
そうすることで、次は何となくこの辺りかな〜というのを、直接言わずとも察してくれるかなと思っていた。
また、ほどなく口内で測り小数点第二位まで表示される基礎体温用の体温計も購入し、枕元に置いて、できるだけ毎朝起床直後に測るようにしていた。
ただあくまで素人判断なので、その日の気温や体調によって変化し、あまり正確な排卵日予測はできなかったし、そろそろかも!という時には夫にも促していたが、やはりしばらく経っても妊娠はしなかった。

不妊治療専門クリニックへ

妊活開始から半年以上経ち、あまり本気で協力してくれない夫に苛立つことも増えていた。
また、何か体質的な問題があるのかもしれないとも思い始めており、検査だけでも受けた方が良いのでは、と病院を探し始めた。
その後通うことも想定して、重視したのは以下の点。

  1. 休日も診察している

  2. 平日でも半休や遅刻・早退で通えるよう朝早くからなるべく遅くまで診察している

  3. 家や駅から近い(休日は家から自転車で、平日も通勤や帰宅途中に寄れるように)

  4. 必要な検査が男女とも受けられる

  5. 女医がいる

同じような夫婦や子育て世代が多い地域だったので、いくつか条件を満たす候補はあったが、その中でも上記1,2の点で最も融通がききそうだった不妊治療専門クリニックを選んだ。
正直口コミなどはそこまで見なかったのだが、結果、仕事との調整もしやすくて良かったと思う。
特にコロナ禍で時差出勤などもできたので、朝イチで病院に行って、検査等がなければ遅刻も使わず始業時間に間に合わせることもできた。
後から考えても、こんなに頻繁に通うことになるとは思っていなかったので、やはり通いやすさが一番だったなと思う。
また、一度行くと予約を取っていても2時間くらい平気でかかっていたので、家や駅からの近さや、検査の日は周辺に暇を潰せる店があることなどは、割とストレスを軽減してくれた。

さらに、探す際にはそこまで思い至らなかったが、不妊治療専門ということで、様々な思いをしている人がいるからと院内に子どもを連れてくるのは禁止とされていて、それが後からかなり救いになっていた。

初診は夫婦2人で行って、今後の流れなど様々な説明を受けた。
院内の待合室はほとんどが女性だったが、数組だけ同じように夫婦で来ている人もいた。
詳しい検査項目や流れは割愛するが、私の検査も生理周期に応じて何度か行ったし、夫の精液検査もしてもらった。私の何かの数値(具体的な名称は覚えておらず申し訳ない)で少し高めのものがあり「妊娠しにくいかも」と言われたが、それ以外は概ね問題なかったため、まずは薬で排卵日を調整しながらのタイミング法から始めよう、ということになった。

実質初めてのタイミングで妊娠

11月下旬に初めて受診し、時期が来るまで待たないといけない検査がいくつかあり、加えて年末年始休暇を挟んでしまったので、実質最初に先生の指定通りタイミングを取れたのは2月下旬だった。
生理が来てから3〜5日時点で診察を受け、クロミッドという飲み薬を5日間服用し、卵胞の育ち具合を見ていく。
初回ということで3日前に排卵の様子を見てタイミングを確定させ、当日の朝とその翌朝も診察を受けるように言われたのでその通りにし、確かまだ排卵はしていないようだったが今日明日にはするだろうと言われたと思う。

それからは、とにかく次の生理予定日を待った。
通常の周期35日からすると少し早いかとは思ったが、薬で調整していたため、生理予定日の1週間後、つまり行為から3週間後に、市販の妊娠検査薬を使ってみた。

結果は陽性。
素直にめちゃくちゃ嬉しかった。
夫への伝え方を考える余裕もなく、ストレートに検査結果を見せた。
夫は笑顔で抱きしめてくれた。
多分その時は結果を喜びながらも、2人ともまだ実感はあまりなかっただろう。

翌週、クリニックを訪れた。
不妊治療専門の場所だから、受付ではなるべく他の人に聞こえないよう気をつけながら、状況を伝えた。
まだ市販の検査薬の結果だからと過度に期待はしないようにしつつ内診を受け、「5週目ですね」と告げられる。
正式に妊娠が認められた瞬間だった。
ただ、ここから順調に受精卵が育つかどうか、という話もされ、しばらくは浮かれすぎないように、でもお酒はきっぱりやめて、体調に気をつけて過ごそうと決めた。

当時、仕事はまさに繁忙期真っ只中で、担当していた案件が結構無理なスケジュールで進行していたこともあり、身体的、精神的な負担になっていた。
でも「自分と子どもを守れるのは自分だけだ」と強く思い、年度末の面談では妊娠したことまではぼかしつつも、仕事量を調整したい旨を上司に伝えることにした。
少し前から妊活していることも話していたので、比較的容易に受け入れてもらえた。

しかしここからが身体的にも精神的にも大変な経験となる。

妊娠初期の稽留流産と手術

流産診断から手術まで

妊娠判定を受けたものの、しばらくは様子見ということで、1週間おきにクリニックへ通う。
その間特に腹痛や出血等はなかったが、6週、7週と、心拍がなかなか確認できず、大きさも育ってはいるものの成長がかなり緩やかだと言われた。
また、受精卵が2つ見えていたため、双子だろうとのことだった。薬を服用した場合、よくあることらしい。双子だと育ちにくいこともあるようで、それでも無事に育ってくれればいいと思っていた。

しかし、8週目で心拍が確認できないまま、卵の成長がほぼ止まってしまう。
次も成長していなければ、もう育つことはないだろうと言われた。
「期待はしない」…そう言い聞かせて来たものの、僅かな希望に縋る気持ちを捨てることはできなかった。
新年度ということもあり、会社には新人も入ってきて、平日は仕事に忙殺されているうちに過ぎていった。

9週目、やはり育っていないことが告げられる。
改めて「稽留流産」と診断された。出血や腹痛などの症状はないが、お腹の中で胎児が死亡している状態とのことだ。
覚悟はしていたものの、すぐには受け入れられず、しばらくは淡々と話す先生の言葉を聞くだけだった。

前回の診察の際にも少し話は聞いていたが、稽留流産となった場合、自然排出を待つか、子宮内容除去手術を行うことになる。
改めてここから生き返る望みはないのかと確認したが、やはりなさそうで、とりあえずそれぞれのリスクと手術を行う場合の流れを聞いた。
一度夫と相談したい気持ちはあったが、次を早く望むなら手術を行った方がいい、するならもう3〜4日後にでも、と先生に言われ、まだ自分の気持ちとも向き合いきれていなかったが、最悪気持ちが変わったら延期したら良いか、とその場で手術の日程を予約した。

不思議とその時はまだ実感がなかったのか、涙は出なかった。ただひたすらに重い気持ちで、信じられずにいた。
帰宅後、夫とはどんな話をしたか覚えていない。
一応逐一診察結果は報告していたから、夫もそれなりに覚悟はしていたのだろう。
まだ事実を直視はできないまま、しかしどちらかを選ぶなら、リスクは少し怖いながらも早く次に臨みたいという気持ちが大きく、手術を受ける方を選んだ。
夫の同意も得て、翌出勤日には上司にも手術で日帰り入院することと翌日は大事をとって在宅勤務させてほしいことを伝えた。
仕事のスケジュールも確認し、予約した日程で問題なさそうだったので病院へ改めて電話をした。

子宮内容除去手術

妊娠確定から1か月、その心臓は動くことのないまま、私の中から旅立って行った。
命が宿っていたかと言われると、答え方はわからない。確かに受精卵はでき、成長も見られたが、心拍は一度も確認できなかった。
表現を考え出すと少し哲学的になってしまうかもしれない。

手術自体は、当日朝から病院を訪れ、昼過ぎに帰るまで、半日程度のこと。
詳しい工程は覚えていないが、まずはいつもの内診室で、子宮口を広げるための坐薬?タンポン?を入れられる。どちらも初めての感覚に、痛くはないのだが違和感をずっと感じていた。
しばらくしてからいつもと違う部屋に案内される。並べられたベッドに、日帰りとはいえ「入院」を感じる。
部屋には他にも同じ手術を受けるのだろうか、入院着を身に纏った女性が何人かいた。
着替えやこの後についての説明を受け、自分のベッドに横になる。寝ていてもいいと言われたので、ひと通りスマホを触った後、目を閉じた。
うとうとしながらも完全に眠ることはないまま時間は過ぎていった。先に来ていた他の患者が出入りしていくのを聞くが、結局自分と同じなのかはわからない。

やがて案内されて、手術台の上に乗る。内診の時と似たような感じで、足を開く。
実際の作業の際には全身麻酔を打つとのことで、ここでも人生初の麻酔を経験する。
注射針を打たれ、これが麻酔か…どんな感じなんだろう…効かなかったら嫌だな……と思っている間に意識を手放していた。感覚が鈍ってくるとか、そんな予兆すらなく、頭がぼやっとしたかと思うと一瞬の出来事だった。
次に気がついた時には、元いたベッドの上だった。
本当にそんなことがあるんだな、と感慨深く思っていた。しばらくは誰も来ないのをいいことに、そのままベッドで横になっていた。
やがて様子を見に来た看護師さんに促され、気分の良し悪しなどを確認された後、準備をして病院を後にした。

掻き出されたものを見たいか聞かれたが、見ないことにした。
ここまで来てしまったからには、自分の精神を守るために、もう次へと切り替えるしかないと思ったからだ。

実感と涙

その日はまだ実感がなく、翌日も在宅勤務なのでギリギリまで寝て起きたらすぐ仕事、体調も特に問題なさそうだな、と考えるくらいで1日が過ぎた。
翌日の出社日、夫よりも遅く家を出て、1人で駅までの通勤路を行く。
いつもつけているワイヤレスイヤホンを忘れ、無音で、閑静な住宅街の中を歩く。
ふと空を見ると青く晴れ渡っていて、その時唐突に「あぁ、もうお腹にいないんだ」と感じてしまった。
じわじわと、鼻の頭に熱が集まってくる。
道端で、人も車も通る場所で、溜まってくる涙をせめて目に留めようとしたが、溢れてしまった。
そこまで来たら無理に拭うと赤くなってしまうから、声はできるだけ殺して、涙は垂れ流した。

その時が一番泣いたと思う。

とりあえず駅に着くまでに流し切り、きっと目は赤かっただろうが他人はそんなに見ていないだろうと、そのまま電車に乗り込んだ。
会社でも誰にも気付かれることはなかった。
ただひたすら仕事に没頭した。少しでも隙ができるとまた悲しみにのまれてしまいそうだったので、できるだけ仕事のことを考えるようにした。
やることはいくらでもある業務内容と繁忙期に、その時だけは感謝した。

妊娠や出産報告を聞くつらさ

手術から2週間も経たない日、連休でこちらに来るという転勤した職場の同僚と、久々に同年代複数人で飲みに行った。
コロナ以前はよく飲みに行った仲間だ。自分も含めてお酒が好きで、量も飲め、酔ってそれなりにやらかしてきた人たちである。
パーっと飲んで気晴らしになれば、と軽く考えていたが、メンバーの中に私と同時期に職場内結婚したカップルがいて、奥さんの方がお酒を頼まない。席が遠くてわかりにくかったが、その後、妊娠している報告があった。5か月くらいで安定期とのことだった。

それを聞いた時、私はどんな顔をしていただろう。うまく笑顔を作れていただろうか。
素直におめでとうの気持ちと、自分の経験を経てより一層そこまで至った奇跡を祝いたい気持ちと、体を大事にしないと!という気持ちと、でもやはり羨ましさや、何故彼らにはすぐできて私にはできなかったのだろうと考えてしまう気持ちが少なからずあった。

流産のことは職場では上司に休む際にふんわり伝えただけで、一番仲の良い同期にすら言っていなかった。上司も独身の男性なので、おそらくわかっていないのではないかと思う。
だからその飲み会の場でも、特にその夫婦の前では絶対に、どれだけ酔っても言ってはいけないなと念じながら酒を煽った。
でも少しでも発散したかったのだろう、結婚や子どもを考えている同僚には、子どもが欲しいなら早いに越したことはない、何があるかわからないから、自分はなかなかできないから…までは言っていたと思う。変に熱を込めて言ってしまった気もするが、酒の席だったから大して覚えていないはずだ、と思うことにしている。

帰り道、終電に間に合い最寄り駅から家まで歩く中、とても悲しい気持ちに襲われた。お酒も入っていたから余計、負の感情が頭を支配する。
口では祝いの言葉を述べていたが、その時ばかりは正直喜びの感情などほとんどなかった。
同じ状況で、心から祝える人は本当にすごいと思う。

SNSでも、妊娠や出産、育児の話が見ていられず、それが多い界隈からは距離を置き、入り混じるコミュニティでもなるべくそういう人の投稿はスルーするようにした。

療養から2回目の妊娠まで

不妊治療の再開

とりあえず気持ちを無理にでも切り替えて、次へという思いが強くなっていた。
術後まだ子宮に内容物が残っているかもしれないし、一度生理が来るまでは療養期間ということで、タイミングも一旦お休みとなった。
その間、基礎体温はちょこちょこつけていたようで、微量の出血もあったことなどがスプレッドシートに記されている。
ただ術後2か月頃で終わっていた。
きっと薬を使ったタイミング法なら妊娠できることがわかったからだと思う。

しかしそこからも意外と時間はかかった。

まだ本格的な生理は来ていなかったので病院には行っていなかったが、術後2か月頃からセルフでタイミングは図っていた。
しかし前の傷を癒したかったための焦りからか、こんな気持ちを残していた。

2022.7.2
もうやだ、妊活がストレスになってる。泣きそう。夫はいまいち危機感がなくて非協力的だし、もういっそ養子とって早く子育てしたい。自然妊娠待ってたら、こんなんじゃ何年経っても無理だ…
メモ帳『妊活日記』より

当時、やはり夫と子どもを望む気持ちの大きさに差があり、この日にタイミング合わせたい、という日に先に寝られたりしていて、不満を募らせていた。
また、本格的に生理が戻った後、病院で薬も出してもらいタイミングを測ってもらったが、うまくいかなかったことが続いていた。
そういうものなのだろうが、排卵日が曖昧で、一度は「成長具合的にもう少し後かな…」と言われていたのに次に行ったら「もう排卵してますね…今日なるべく早くタイミングとってください」と言われ、やはり遅かった、みたいなこともあった。

自分の感覚を信じてみた結果

実は上記の際、もう少し後と言われてから、感覚的に「もうそろそろっぽいんだけどな…」「これもう排卵してるんじゃないかな…」と思うことがあった。
卵の成長速度をどのように計算しているかはわからないが、個人差はあるはずだから、次は一度自分の感覚で夫に伝えてみよう、と考えていた。

そうして挑んだ次のタイミング。
なんとなくそろそろかも…という気がしていて、先生から言われた日より数日前にも一度タイミングを取ってみた。もちろん言われた日にも取ったし、排卵を促す点鼻薬はそちらで使用した。

すると、次の生理予定日に生理が来ない。
1週間そわそわしながら待ち、市販の検査薬を使ってみる。
結果は陽性だった。

前のことがあったので表面上は抑えつつも、内心は泣きそうなくらいに嬉しかった。
病院でも見てもらい、妊娠は確定した。
次はこの日に来て、心拍が確認できたら卒業です、紹介状を書くから転院先を決めておいて、と何故か前よりも具体的にその後の流れの話をされた。

次の診察までの間、バーベキューでお腹を壊して不安になったり、仕事でハードに動いたりはしたのだが、病院へ行くと、無事心拍を確認できたとのことだった。
エコーで小さいながらもしっかり規則的なリズムで動いていた映像は、忘れられないだろう。
下記は、ちょうどその診察の直後に綴ったものである。

2022.10.5
泣きそう
自分の身は自分が守らなければ
でも昨日の仕事割と負担で心配だったから、病院を後にしてて良かった
メモ帳『妊活日記』より

その翌日、半休を取って、母子手帳をもらいに市役所へ行った。
まだ不安な気持ちはあったが、そうして一つひとつステップが確実に進んでいくことに喜びを感じていた。

不妊治療の卒業と転院

その頃はまだ親にも妊娠を伝えていなかったので、転院先を考え始めた時は、ぼんやりと「里帰り出産になるかなぁ、それまで通いやすい場所ならいいか」と考えて、今の家からの近さやアクセスで、不妊治療と里帰り出産予定の妊婦健診のみを行うクリニックに決めた。
いざとなったら出産もできるクリニックと姉妹院のような感じだったというのもある。
紹介状を書いてもらい、転院先に電話で初診の予約を取った。

初診までにちょうど実家に帰省する予定があり、流れで妊娠していることを伝えた。
母親にしか前回の妊娠や流産のことを話していなかったので、他の家族は皆これが初めてだと思って素直に喜んでくれる。
私も嘘にならない程度に、でも前回があったことは伏せてざっくりと状況を話した。

母親と2人になった際、出産場所について聞いてみた。
母は里帰り出産で、実家近くの病院で私たちを産んでいたので、私もそんな感じかなと思っている、と伝えた。
ところが、母の実家のように育児ができる広い場所がなく、両親は当時フルタイムで働いており、また認知症の進んできた祖母と二世帯で同居していたことから、里帰り出産は難しいかもしれない、してあげられることがあまりないかもしれない、と言われてしまった。
後々父親に出産について聞かれた際は、うち(実家)で過ごせばいいのに、みたいなことを言われたが、その辺はおそらく家事全般と祖母の食事の準備など家のことを一手に引き受ける母との境遇の違いによるものだろう。
私も、確かにそれはそうだ、と考え直し、今の家の近くで産むことを決めた。

初診ではそのことを伝えると、当日できる検査はしてしまってから、厳密には別の病院だから、と近いうちに姉妹院の産院にかかるように言われ、分娩予約がギリギリだったことからその場で電話して2日後に予約を取った。
検査結果は引き継いでもらえたようで、追加費用がかかったりまた結果を取りに来ないといけないようなことがなかったのは幸いだった。

ちなみに、不妊治療クリニックと初回妊婦健診クリニック、そして産院と3か所にかかり、それぞれの先生の方針によって、出産予定日が二転三転したことは補足しておく。
基本的には排卵日とその前の生理開始日からの判断になるが、一部で卵の育ち具合から判断されて少し早まったりしたので、母子手帳や病院への提出書類等への記入が少しぐちゃぐちゃになってしまった。
転院される場合はそこの記入は後にするか確定まで消せるように書いた方がいいと助言しておく。

産院の選び方

先述の通り、一応そこで産むことも想定して選んだ系列院だったので、条件もそれなりに考えた。
まだ産んだ後にどう思うかわからないが、とりあえず現段階で選んで良かったポイントを列挙してみる。

  1. やはり家から近いこと
    :妊婦健診が定期的にある以上、通いやすさは重視。中期までは自転車で通えたのが楽だった。また、陣痛が起こった時にも安心。

  2. 産院で妊婦健診を受けられる
    :健診と健診の間、特に4週おきの時期には不安になることがあり、そういう時に常駐している医者や助産師がいる所だといつでも電話で相談できて心強い。

  3. 無痛分娩・計画分娩を選べる
    :あまり事前に調べられていなかったが、噂では痛みはないに越したことはないと聞く。バースプランを考え始めて、その選択肢があることに感謝した。また、キャンセル料などが発生せず出産時に判断できる所だとなお良い。
    計画分娩については主に経産婦向けだが、次も通うなら選択肢があった方がいい。

  4. 入院中の食事がおいしそう
    :出産で体力気力を消耗した後と考えると、食事はおいしい方がいい。むしろ赤ちゃんとの触れ合い以外はそれしか楽しめる所がないと思う。妊娠中食事の制限が多い分、出産後いいものを食べたいと思う気持ちは日に日に増している。

  5. 実績やスタッフの豊富さ
    :ある程度の産院なら問題ないだろうが、漫画『コウノドリ』を読み、緊急時の対応などはできるだけ多くのスタッフと実績がある方が安心だと思うようになった。賛否や個人の好みはあれど、個人的にはやはり帝王切開などになっても大丈夫な場所がいい。(もちろん対応しきれないものは大きな病院とも連携する、と書かれていたのも重要)

今だから思えること

特に意識したわけではないが、奇しくも今日はちょうど1年前に稽留流産の手術を受けた日だ。

正直生まれるまではやはり不安があるので、今でもSNS等はあまり見過ぎないようにしている。
どうしても、すくすくと育つ他人の子どもを見ると、あの時の妊娠が継続していたら今ごろは私も…などと考えてしまうから。

でも、今こうしてお腹の子が元気に動くたびに、安心を覚える私がいる。
ここまで育ってくれてありがとう、どうかこのまま無事に生まれてほしい、と祈る気持ちになる。

まだ最後まで、生まれてからも何が起こるかわからないことに変わりはないのだが、身近な人からインスタグラマーなど赤の他人まで、色んな人の子どもの話を見たり聞いたりできるようになったし、今なら素直に祝えると思う。

こうして温かい気持ちを与えてくれる存在を、とても尊く思う。何か私からできることはないかと考えてしまう。
せめてお腹を蹴ったり殴ったりしてくる手足を、暖かく包むように、その動きに応えるように、お腹の上からそっと撫でる。
子どもにとって居心地の良い空間を作るために、自分自身のリラックスした気持ちと栄養には気を遣おうと思う。

これまでのエコー写真は、すべて今でも大切に保管している。お腹の子が生まれたら、その子のエコー写真と前回の際のエコー写真も一緒に、アルバムにしたいと思っている。
この子が生まれる上で、忘れたくても忘れられない、忘れてはいけない存在だから。

初期流産の原因は、遺伝子の問題と言われている。そのまま成長していても、どこかしらに不具合が起きていただろう、と。
先に旅立ったのは、この子のそういう負の部分を引き受けてくれたものだと思っている。

この子がどうか無事で生まれてきてくれるよう、一緒になって祈ってくれていると思いたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?