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短いおはなし

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短めのお話をまとめる予定です
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#小説

キャベツひと玉108円

店内に入り買い物カゴを腕にかけた時、なぜか懐かしさを覚えた。 なんだろう、この違和感。奈美は足を止めて考えた。 そうだ。そうか。そういえば、スーパーに来るのは久しぶりだ。ここ最近、慌ただしくバタバタ動き回っていたのでゆっくり買い物に来る時間もなかった。 ただいま買い物カゴくん。帰ってこれたよ。――ただいまって変かな? 奈美は苦笑していつもの順路を歩き出した。すると、1つのPOPと目が合った。 キャベツ1玉108円 108円。108円!? 半玉でなく1玉? お安い。PO

お前に食わせるチョコしかねえ

いけそうなレシピ第1位はチョコクランチだった。 溶かしたチョコにコーンフレークを入れ、ザクザク混ぜてからスプーンで一口サイズにすくって冷蔵庫。そのまま2時間冷やせばサクサクなスイーツのできあがり。 ――やれる 優海は動画を確認して拳をグッと握った。簡単そうだ。お菓子作りも料理の経験もない自分でもいけるはず。 なにより、お財布に収まるレベルなのも魅力的だ。コーンフレークはお姉ちゃんのシリアルをいただけば済む。となると必要なのは板チョコだけ。なんなら、普通のチョコに加えて

月の瞳

夜中にどうにもならずにぱっちりと目覚めてしまった僕は、何をどうしたらいいのか分からなかったので、パジャマのまま三段変速の自転車に乗って家を出た。 月が明るい。吐く息がたちまち闇の中に白く浮かぶ。白くて頼りないそれは、後ろへ、後ろへと流れていく。 僕は意味もなくリズムを付けてペダルを踏む。右足を踏み込み、一拍おいて左・右と1回転半。ころあいを見てまた右足を踏み込む。 ぐっ、ぐぐ、シャー、ぐっ、ぐぐ、シャー。規則正しいリズムを刻めば自転車はとにかく前へと進んでくれる。行き先

TKG

小関の話をします。 小関はなんでも炊飯器で料理するのが好きな男子で。というか、炊飯器以外で料理するのは邪道と思ってるふしがある男子で、むやみに背が高くて髪はもじゃもじゃで縁がまっくろな眼鏡をかけてて、私の事を好きな男子なのです。ちなみに私も小関が大好き。ふふ。 小関はちょっとどうかなと思うくらいに炊飯器に向き合っているのだけれども、その小関が例外的に炊飯器を使わないご飯がある。いや、厳密に言うとお米は炊飯器で炊いているのだけど、それ以外には炊飯器を使わない奴が。 その料

ムギさんと満月の目玉焼き

 ぱちり、と音を立てて薪から産まれた火の粉が月へと昇る。ゆらりゆらりと揺れながら、見る間に夜空へと吸い込まれていった。ふと、隣を見ると、ムギさんはまだ夜空を見つめている。僕はその横顔へと話しかけた。 「今日の満月は凄いね」 「そうだね。おかげで声の調子が良いよ」  ムギさんはこちらに向き直って尻尾をくるん振った。ムギさん。ムギチョコみたいな艶やかな毛並みに青い目。短毛ですんなりと長い尻尾の黒猫。僕が産まれるよりも早くからウチに住んでいる先輩。普段は猫語しか話さないくせに、

マフィンを召し上がれ

 フォークを持つエマの手は震えていた。この一品でエマの将来が決まってしまうと思うと無理もない。無理もないが、震えているようでは困るのだ。エマは調理台に向かって前のめりになっていた背を伸ばすと、天井を見上げ、深呼吸をひとつして自分の頬を2回叩いた。ダイニングのテーブルでは、アルノーが紅茶を飲みながら待ち構えている。  アルノー。リースのパティシエ界の重鎮にして、エマの父。彼に「おいしい」と認められなければ、パティシエ修行に出る話は消える。それどころか、パティシエになる夢を諦め

流星群の流れる夜は

「あの流星群がもしも星屑たちの愛の表現だったら」  僕はクラッカーにクリームチーズを塗りつけながら話しかけた。伊澄《いずみ》は特に反応もせずに夜空へオペラグラスを向けているので、さらにスモークサーモンを乗せて話を続けた。 「あの流星群が星屑たちの愛の表現だったら。つまり、あれが星たちが放出した精子のようなものだったら。彼らが競うようにして向かう先の星に受精して、新たな星が産まれるのだろうね。そう、この宇宙は誰かの胎内で、僕たちは知らずにそこに住んでいる微生物のようなちっぽ

私は目玉焼きになりたい

 私ときたら心が狭くて、いらちで、すぐに相手に突っかかってしまう。これはいけない。こないだも、俊太となんて事の無い会話をしていただけのはずなのに、もう口をきかなくなって4日目になる。  きっかけとなった話題は何かというと、「目玉焼きに何をかけるのか」だ。誰もが1度は話題にする、ある意味鉄板のトピックなのだけども、それがまずかった。私は無難に、というか素直に「塩こしょう」と答えたのだけど、俊太はなんかムカつくドヤ顔で「まだそこですか?」感を醸し出しながら上から目線で「ケチャッ

蜂の子ちらし

 コンビニで買い物を済ませて帰ってきたとき、玄関の上あたりに蜂が巣を作っているのを見つけた。大きさはちょうど私の両手を握ってくっつけたくらい。そこそこの大きさだ。  は? と思ってよく見てみると、巣の表面には蜂がわんさか動いている。ハニカム構造の巣の穴のいくつかには、ちらほらと白い栓みたいな物も散見されて、どうやら絶賛繁殖中みたいだ。  うおおおおお。と声に出さない叫び(叫ぶと蜂に気付かれると思った)を上げて玄関内へ逃げ込み、伸ちゃんの元へ急ぐ。伸ちゃんは居間でモンハンを

言の葉すし

 硬めに炊いたご飯を大き目の皿に移して、米酢・砂糖・塩を混ぜたすし酢を全体に回しかけ、お米を切る様にしてなじませます。ぱたぱたとうちわで扇ぎながら作業するのが、なんだか職人になったようで楽しいのです。しばらく扇いでは切って、扇いでは切ってをくりかえして人肌程度くらいになったらOK。あまり切りすぎるとご飯がちょっと、ぼた餅方向に行ってねっちょりしてきてしまいますが、今回ばかりは、それもありです。なにせ、あとで押しますから。  ひと口大に握って、スーパーで買ってきたしめ鯖やサー

14歳の夏休みなのにねこすらいない

 私ときたらここ数日の暑さもあってもうフラフラのイライラだった。漫画やTVだと14歳の夏休みというのは、みんなでどこか海にでかけて(しかもなぜか友達の一人が超お金持ちでリッチなリゾートとか)、男女ペアになったりとか、冷たくてアイス浮いてるソーダ飲んだりとかいろいろと想い出を作るはずなのに、私にあるのは、朝起きてご飯食べて部活行って帰ってクタクタになってアイスなんて全然浮いていないおばあちゃんの作ってくれた紫蘇ジュースを一気に飲み干して寝るの繰り返しだけだった。紫蘇ジュースは美

それでもこの冷えた手が

週が明けると節分だ。そろそろ柊に鰯を手配しなくては。面倒だが縁起物だ。仕方あるまい。そんな事をぼんやり考えながら駅の改札を出た時だった。ターミナルの側道に、機械仕掛けの腕がいた。かの戦争も今は昔。以前はちらほらと見かけた駅に暮らす子供もいつのまにか消えた。かつて彼らが座り込んでいた辺りを、その腕はキイキイと音を立てながら這っていた。 土台となる四角い箱の上部には球体状の肩関節。そこから伸びた鋼鉄の腕部分には、人を模したのであろう肘関節に手首の関節が見受けられる。まるでナイト

幸運のトースト

星がくっきり瞬く透き通った夜。ムギさんと僕は夜行喫茶のボックス席で、コーヒーを飲んでいた。 今夜の気まぐれな喫茶店の行き先はシシリ国だった。車輪を軋ませゆっくりと夜空から降り立つと、煙突からプシューと大きく煙を吐いて停車する。 車窓の前には広大な山々が連なっている。さすが魔光炉の燃料となるマグネライト鉱石の採掘が盛んな国だ。 「この国では昔、結構な規模の災害があったそうだよ。鉱石の採掘中に、”良くないもの”を掘り当ててしまったらしいんだ」 黒猫のムギさんが、しっぽを揺

猫は猫山へ還る

 小学生の頃に住んでいた地域には「猫山《ねこやま》」と呼ばれる山があった。正式な地名というわけではない。山の一部が猫の顔の形に見えるのだ。なんでもその昔、持ち主のお爺さんが孫を喜ばすために、一部にだけ別の樹木を植えたらしい。当時、仲の良かった渡辺くんの家に遊びに行く途中にそんな事を教えてもらった。渡辺くんが指さす山を見ると、確かに山の一部だけ不自然に色が違った。やや不格好だが、猫の顔の形に見えなくもない。  渡辺くんは、背は小さいがとても足の速い子だった。小学生の頃に足が速