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辛い5月を支え合った無数の人々。忘れない。でも‥まだ終わっていない。B’z_奇跡のコメント欄 #3(終)。

____#2 からの続きです。


👇 #1 はこちらです 👇

👇 #2 はこちらです 👇

_________心から、私もこの人たちを応援したいと思いましたし、こちらも元気づけられましたし、こんな人たちと、同じものを好きで聴いてきたことが、とても誇らしくありがたく感じられました。

でも、私自身はというと、気がつくと結局、最後までコメントをしませんでした。

もともと You Tube のコメント欄にコメントしてみたことがないのもあり、なんとなく臆してしまったのか、それほど心を動かされたのにもかかわらず、感謝の言葉ひとつも残せませんでした。

自分が何かそこで述べて「同じように感じてくれる人はいるかしら?」としばらく気にもかけながら、そこに留まっているよりも、とにかく1つでも数多く、そこに集った人たちのコメントを読みたくてたまりませんでした。

なにしろ、何日もかけても読み切れないくらい、すでにたくさんの、そして日々その数は増えていきましたから。

私のようにそう感じながら、コメントで言葉を発する人と心は同じくしながらも、自分からコメントは発さず皆さんとただそこに一緒にいた人たちは、コメントしてくれた方たちの何倍もいたと思います。

そんな人たちの中で、ひときわ印象的だったのが、おそらく初コメントと思われるある医療関係者の方が、振り絞るような緊張した言葉をもって、ほんの一瞬、参加してきた時です。

その方は、当時、まさに激務の日々であり、疲弊して気がくじけそうになる中で、短い休憩時間や隙間時間のたびに、LIVEの動画とコメント欄をのぞき、なんとか頑張って保っているというコメントでした。

短い文には、その感謝と、再び自分を奮い立たせるような言葉がありました。

その後、すでに戦場のような持ち場に戻ったであろう見えない背中に向かって、多くの感謝と激励のコメントがいくつも並びました。その方が、患者さんをケアした後、次に休憩時間がとれた時、もしまた読んでくれたとしたら、また戦場に向かうエネルギーにきっとなったことと思います。

5月も後半に入り、コメント欄には、もうすぐその場所は期間終了とともになくなり、直接、それらの言葉を読むことができなくなることを惜しむ声が増えていきました。動画配信が終わっても、せめてコメント欄だけは残してほしいという祈りにも似たコメントさえいくつもありました。

一方で、大勢の人たちは、主催者側の方針や意向を、素直に泰然と受け止め、信頼感がまたひとつ醸成された友人が、しばし街を離れる時のように、別れまでの何日間かをできるだけ一緒に悔いなく楽しもうという空気がありました。

それを裏付けるようなことが、終了ほんの1日、2日前にいくつかありました。

やっと企画の存在に気がついてあわてて参加してきた新規の人たちもけっこういたのですが、それがたとえ、B’z のことをよく知らないような人だったとしても、丁重にもてなし、わかりやすいように説明してあげ、残っている少ない時間を鑑みて、そのための的確な質問も返してあげている場面がありました。

まるでチームで役割分担しながらサポートするコンシェルジェのように、見も知らぬどうしが、複数で、一緒に最大限楽しもうという場をぎりぎりまでつくろうとしているのが伺えました。


期間が終了しました。


結局、あまりに多すぎて、終了までに、全員の思いを読み終えることはかないませんでした。

ただこのとき私は、自分は結局コメントはしなかったけれど、しばらく経って、この5月が少し懐かしく感じ始めたら、日頃お世話になっているこの note で伝えることを決めたのです。

そこで言えなかった1か月とちょっとの、

この何千人もの言葉を読み終えた後の、

心地良いごちゃごちゃの感謝の気持ちをこめて。


ありがとう。


B'z のおふたり、稲葉さん&松本さん。

ひとり残らず魅力的な、歴代のサポートメンバーの皆さん。

同業者も感心するコメントをしてしまうほどの芸術的な照明の職人の方たち、音作りや演出のスタッフの方たち。

労われて号泣するほど打ち込んでいらした会場スタッフの方たち。

この企画や、喧伝はしないけれど大きな規模の寄付の実施も決定し、そのために尽力された全てのスタッフの方たち。

この企画を可能にした源である、各時代でB'zを支えてきた、数多のリスナーの方たち。そのおかげでできた体験です。

この企画で新たにB'z に興味を持ち、時にはコメント欄でファンの人たちごと好きになってくれたたくさんの若い人たち。


また、

ここにはいなかったけれど、

いたかもしれないけれど、


川を越えて走るクルマの助手席や、

がむしゃらな残業の職場や、

仕事を終えた後のカラオケ店や、

お気に入りのバッグを雨でダメにしながらも、一緒にLIVEに行ってくれた新横浜のスタジアムや、

いい匂いのキッチンや、

2人分を回す洗濯機の前や、

いろんな、いろんな場所で、

一緒に口ずさんだり、

気がすむまでケンカしたり仲直りしてくれたり、

悩みを吐き出したり助け合ったりしながらともに仕事してくれたり、

かけがえのない愛情や喜びや、胸の痛みや強いチカラをくれたりした、

同じ時間を歩いてくれたイカす男女たち。

彼ら彼女らもまた、

コメント欄を読んでいるあいだ、何度も、

勝手な僕の積もった時間の記憶にあらわれては、

あらためて瞼と胸の奥をあったかくさせてくれた。


そして、

数週間後にはなくなるとわかっているコメント欄に、

日本中と、海の向こうの何ヵ国もからも集い、

そのような私の記憶を呼び起こしてくれただけでなく、

音楽そのものや、時間や、

泥臭さや、努力や、

身近な人への愛情や、

通りすがりの人への愛情や、

生きる決意や、それらへの、

1人ひとり違ういろいろな言葉、想い、人生を聞かせてくれた、

様々な場所の、様々な年代の、様々な立場の人たち__。


ありがとう。

変わりゆく生活は大変だったけど、

夢のような5月でした。


追記 : 今日、7月12日現在、ウイルスの脅威は収束するどころか、また再び、私たちの心と身体を侵食しようとしています。それに加えて、自然の脅威も重なっています。皆の意識や価値観や行動の指針がまたバラバラになりやすくなるだろう現在の状況においても、あの5月に日本中の皆さんから学んだ気持ちをできるだけ忘れずに、今は見えない人たちとも、ともに少しずつ強くなってゆけたらと思います。


👇 #2 で、小学生の男の子が歌っていた歌です。

あいかわらずなボクら

作詞 KOHSHI INABA    作曲 TAKAHIRO MATSUMOTO

今まで好きなこともしたし たまに我慢もしてきた
「あいつはダメだ」なんてキミ勝手に
決めないで 余計なお世話だヨ

どこに行ってもいい 道なんていくらでもある
立てなくなるほど考えこむより
行こうよ行こうよ 自分を叫ぼう

元気なうちにやりたいこと 見つけだしたいよ
大好きなひとに 会いたいときに会えればいいのにな
気がすむまでケンカして 仲直りしたいよ
やりたいようにやりたいこと できればいいのにな

いつでも正しい人なんているのかな
まあ そんなことたいした問題じゃないね
行こうよ行こうよ あいかわらずなボクら

(ハクション!)






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