新型コロナと日本人と疲れ
今日は僕の誕生日。もし文章を読んでプレゼントを送ってみたくなったら送ってくれるとキャッキャと布団でゴロゴロして喜ぶことだろう。
誕生日だからといって、外で飲食したり買い物したりできるようなムードではない。イクラは買ったので、夜にイクラ丼を体に流し込むことだろう。奥さんが甘いものがそれほどなので、コンビニで甘いものを買って食べる。
この文章は、誕生日の僕の「お気持ち」の表明だ。終戦記念日が誕生日の僕の、「お気持ち」。
新型コロナ。
去年の今頃もそうだった。去年の今頃は1日の感染者数も二桁がせいぜいで、未知なる恐怖に怯えていた。オリンピックの延期も決定し、甲子園に至っては中止となった。去年の誕生日をどう迎えたかはもう覚えていない。ちょうど鬱で苦しい時期であったような気もする。でも、きっと、僕だったら誕生日を楽しもうとしていたことだろう。
日本人はよく頑張った。去年の3月頃から新型コロナが発覚し、どうなるか、どうしたらよいかわからない中でよく頑張った。もちろん、他国で日本より感染者数の少ない国なんて山ほどある。でも、この小さな島国で1億人以上も人口がいて、そんな状況での感染者数や死者数としては世界でトップと言っても良い。本当にすごいことだ。小学校から避難訓練を行い、感染症の怖さの教育で予防も定着し、パニックを起こさない。転売やマスコミの煽りを受けて品不足になったことはあったものの、それらは局所的で短期的なものだった。マスクが不足しても感染者数が急激に増えることがなかった。本当にすごいことだ。こんな文章を流すと「日本の持ち上げか」というかもしれないが、本当にすごいことだから仕方がない。僕のTwitterを見れば「日本のダメなところ」ばかりを言っている。IT後進国が顕著なこととか。でも、こと健康と食に関しては日本は本当にすごい。
日本人は頑張った。というより、自ら頑張れる素質が強い。でもそれは、自分の疲れに気づけないことにもつながる。自己管理が難しい。だから疲れても頑張ることを止めない。だから倒れてしまう。精神疾患の数やや自殺率がそれを物語っている。それでも日本人は頑張る。
この頑張りが限界を迎えたのがこの夏だった。去年から今年の冬にはもっと感染者数が増えるものと思ったが、それでも抑え込んでいた。本当にすごい。でも、それも限界がある。これは致し方がないことだ。頑張り、努力、我慢。これらは限界があるものだ。本当に仕方がないことだ。
公の人たちがこの文章を読むとは思えないが、僕はお願いしたい。これ以上、国民に無理を強いないでほしい。頑張れ、といわないでほしい。ここが頑張りどきだ、といわないでほしい。国民はマスクをし、アルコール消毒をきちんと行っている。これだけでも十分な努力だ。ワクチン接種を高齢者から優先した。ワクチンは重症化を軽減することが本来の目的で、結果として感染者が抑えることができるようになる。その結果、高齢者の感染者数は抑えられるようになったが、若者の感染者数はまだ抑えられない。若者は働かなければならない。リモートワークだけではどうにもならないこともたくさんある。買い物を3日に1回にしたところで、出かけなければいけないことなんてたくさんある。そんなことよりも、1年間努力してきた疲れがある。疲れを我慢したらもう倒れるしかない。努力したくないわけではない。疲れによって努力できなくなっただけだ。これを安易に若者のせいにしないでほしい。
公の人たちが悪いわけでない。ただ、責任の所在を自分たち以外に転嫁することだけはやめてほしい。若者、という自分たち以外のものに責任を押し付けないでほしい。
先の戦争での教訓だったはずだ。努力には限界があり、努力だけではどうにもならないことがあることを。これが終戦記念日に生まれた、僕からの「お気持ち」である。