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掃除とは何か?なぜ汚れは汚れと判断されるか?汚れは何を思うのか?

うちの猫、いつも分泌された何かを目鼻の周りにこびりつかせています。

(保護時の病気の名残りですね)

で、よくクシャミもするので、床とか壁に血痕ならぬ、目ヤニ痕や鼻水痕が飛び散り気味です。
これを今日も拭き掃除をしていて、こう思いました。

汚れは、どう思っているんだろうって。

そしたら、こう聞こえた気がしました。

「おれだって、ここから早く立ち去りたい!」


あー、なるほど汚れも大変だなって思いました。
わかるなーとも。

汚れは忌み嫌われます。
それでお掃除しましょうなどと言われます。

汚れという《悪》を排除しましょうという文脈で語られるのが汚れです。
バイキンマンとか言われたり。

しかし、今その汚れとして判断されているのは、
ほんの一瞬前まで目や鼻を外部の菌から保護していた何かなんでしょう、きっと。

普通にまっとうに活躍してた何かのはずですよ。
それが、ひとたび体外に放出された途端、「汚れ」とみなされる。

「おいら、立派にお役目果たしてたじゃないかよ。それがヤクタタズになった途端、汚れ呼ばわりされて、やってらんないぜ」


そんな汚れくんの嘆きが聞こえてくるようでしたので、よしよしと拭き取ってあげました。

そしたら、ありがとよ〜って。

汚れくんの立場って、きっとこうです。
僕も大昔、中学1年生の時ありました。

休み時間ガラガラって教室に入ったら、
女子生徒たちがお着替えしてたんですね。

「うわー、ちがう!ちがう!わざとじゃない!すみません!」

って感じで慌ててその場を立ち去りました。あの、その場にいられない感じ。たぶん汚らわしい奴と思われたんじゃないですか。

それから大学生の時、
新入生歓迎会に行った某サークル、なんかむちゃくちゃ陽気な人達ばっかりだったんです。

初対面の自己紹介なのに、ちびまる子ちゃんのはまじみたいに自ら好き好んで一発芸とかして

「こんなボケボケちゃんのおれですけど、よろぴくッ。てへてへプリケッツッ」

みたいなことを実にナチュラルにできちゃう人たちばかりの集団だったんです。

僕は、もうただのコミュ障気味のマジメくんだったので、みんながみんな、その調子で自己紹介をしていき、次々とハードルが上がっていくので、

「あーもう早くこの場から立ち去りたい! 逃げ出したい!」

って地獄の時間を味わいました。

つまり、汚れか、そうじゃないかの境界は何か?

その場の波長にマッチできるかどうか、なんですね。

だから、その陽キャラばかりのサークルの中で、ぼくは一種の汚れかくすみのようなポジションです。

場違い感がすごい。

あーなんだか申し訳ないな、場に馴染まないなぁ、という感覚がこちら側でもものすごくある。

でも自己紹介の途中で立ち去るわけにもいきませんし、やむなくその場に留まって生き地獄的な時間を味わうより他にありません。

汚れもね、きっと同じような気持ちです。

あー、今のオレ、この場に馴染まないなぁ。
みんなの波長を乱してしまってるな〜。
オレさえいなければ、この場はスッキリきっちり一糸乱れぬ感じで整うのに俺がいるばっかりに〜みんなすまぬ!!

そんな感じでいたたまれないんじゃないですか。

だからお掃除してあげるんです。
大丈夫だよ、こっちにおいで。
わかる。
わかるよ。
くしゃみされる前の君は、立派に目鼻を守ってた。
なのに、ちょっと場違いな箇所に飛ばされたからって急に汚れ呼ばわりされるのは心外だよな。それでいじけてそんな頑固な汚れになってるってわけだね?
あー、やっぱりなかなか落ちない。意固地だね。
安心しなよ、大丈夫だよ、ありがとう。
今の君が落ち着く場所へ運んであげよう。

これがお掃除の意義なのではないですか?

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