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ありがとう習慣75000回で思うこと

※ありがとう習慣とは毎朝5分ありがとうを唱えるアファメーション的な心の健康作りです。2月より始めてみました。

7月から8月の一ヶ月程度で5万⇒7万5000回

・一家でコロナ陽性になって心身ともに苦しむ(体感的には重くて命ダイジョブ?ってかなり心配になった瞬間あり)。

・それゆえに「ただ生きてるだけで幸せで奇跡的なことなんだな」と心底思うに至る。
 人生観をもう一段階、掘り下げる勢いでこれを痛感する。

・となれば、さぞ幸せ感とか増すように思われるかもしれませんが、
コロナ後、気分が優れない時期が2週間ほど続く。

なにしても「つまらんな〜」みたいな感じ。

ありがとう習慣も続けてこそいたのですが、なんとなく気持ちが入らない感じ。

こういった心理状態は結構ひさびさ。
ありがとう習慣を始めて以降、この手の心境になったことは、ほぼ無かったのですが。

「そうか。ただ生きてることが奇跡か。そうだったんか。…今、生きてる。素晴らしいなぁ。奇跡だなぁ。ありがとう。

……
………
…………
…でも、なんかつまらんな〜」

分かります?この感じ。
伝わりますかね?

一周回った。
回りきったあとの、虚脱感みたいな?

マラソン走りきったあとの抜け殻になる感じ?

それから気持ちが一挙に「現実」「日々の生活」の方に向く。

コロナ陽性になる前あたりまでは、わりとスピリチュアルな本を読む時間が楽しみだったのですが、
近ごろは「なに読んでも同じようなことしか書いてないな〜。そんなこと、もう知ってるな〜」って感じで、心を動かされることが少なくなってきました。

不遜に聞こえることを承知で言うと、
「もう、こっち系のことは大体分かっちゃったな」
という気分なんですね。おなかいっぱいというか。もうそんなに入れ込まなくてもいいかな〜みたいな。
(実際は、分かってないこともまだまだあるんだろうけど)

で、

「うーん、もうこれ自分的には今はスピの時期じゃないな。やっぱ、お金だな。おれの心は今、金を欲している!!」

ということに気づいてしまって、今は(一度スピに没入するあまり棚上げしていた)仕事の学習、将来の準備の方に注力しています。

正直、こっちのほうが実際に出来なかったことが出来るようになっていく経験も多く「よーし、意味のあることに時間を使ったぞ〜」という充実感が大きいんですよね。
 
そしたら「つまらんな〜」の状態から脱し始めて、いまお仕事が結構楽しくなりつつあります。

お金っていうと聞こえがよくないかもしれませんが、

「人から、ありがとうってちゃんと言われる経験を増やしたいな」と、日常業務の中で思うようになったのですね。

自分から「ありがとう」って言うのはよい。
でも、やっぱ自分自身が「ありがとう」って言われる存在になりたいじゃんと。

今も別に言われてないわけじゃないんですけど、でも自分的には、なんかもっとこう成長したいじゃんと。

ちゃんとまっとうに見える形で大きく人のお役に立ちたいじゃんと。

で、ここで僕は何をいいたいかと言うと、
「スピなんかしょーもないよ。現実向きなよ」
と言いたいように聞こえるかもしれないんですけど、そうではありません。

いま僕が書いてるスピスピな記事を日々読んでくださってる方々からしたら信じがたいかもしれないんですけど、
僕は今年の年明け2週間目くらいまでは、ずーっとスピに興味ゼロで、危険で胡散臭いものとしか思ってなかったんですね。近づいちゃいけないものというか。

ところが突如、雷にでも打たれたかのように「うわーっ、そうだったのか!」って感じで霊性に目覚めてしまって、しばらく現実そっちのけで、それらの学びの時期が続いていました。

で、半年くらいかけて、そのトラックを一周回りきって、また元の位置に戻ってきた感じがするんですよね。

ただし元の位置といっても、全く同じではなくて。

この手の知識に触れる前までの僕は、

「はぁ、現実ってなんでこんなにしんどいんだろ。やだな。もう何もしないで寝てたいな…しかし、そうもいかんしなぁ…お金、降ってこないかな〜。宝くじ当たらないかなぁ…仕事の勉強? 別にしたくないなぁ。ああ明日も仕事かぁ」

と、まぁこんな心境を送ることが日常でした。
(極端に言ってます。そこそこやり甲斐もあって楽しんではいましたが、どっかライスワーク的ではあったというか)

しかし今は、

「きょうも楽しい一日をありがとう。お日さま、ありがとう。空気ありがとう。自分ありがとう。みんなありがとう。さぁ、今日もやってみますか。うぇー、やっかいな仕事が降ってきた。ツイてるなー。おかげさまで食べていけます。ああ、今日も楽しい一日だったなぁ」

と、大半はこういう時間を過ごしています。

クソ上司がいた会社に所属してたときなんて

「あー、こいつ急にコロッといなくなんねーかなぁ。マジしんどいわ。なんだ、こいつクソかよ。人間のカスかよ。あーマジでイライラするわ(以下、無限ループ)」

みたいな感じだったんですよ。ほんとに一日中、こんなこと考えてました。
それ思うと、ものすごい大変貌ですね。

で、僕はけっきょくその後、このパワハラくそ上司と徹底抗戦して、社内を大炎上させながら転職するというコマンドーかランボーみたいな展開がありました。

その後、「もう日本一のホワイト企業か、ここは!」と叫びたくなるような職場に運良く入ることが出来て、時間と余裕ができました。

そしたらドカーンと一瞥体験をしまして、
様々な気づきや経験の中で、

「あぁ、あの上司との出会いも意味のあることだったんだな。きっとお互いの学びのためだったんだな。上司様、ありがとう。僕を成長させてくれて、ありがとう」

なんて思うようにもなったわけです。

で、話がかなり脱線しましたけど。

以前は、現実とかお金とか仕事とか、なんか、仕方なくやる感じも結構強かったんですよね、正直な話。

で、今はそういう心境は少なくなったんですけど、でも「そういう心境が減ったからよかったです。皆さんもそうしてくださいね!」なんて言いたいわけではなくて逆なんです。

「前の自分、あの暗黒面にドップリの自分、漫画かドラマみたいで実におもしろかったなー」と。

いーじゃん、いーじゃんと。

うちの妻と子、よくモメるんですよ、しょうもないことで。

でもそれも今は「いーじゃん、いーじゃん」と、なんか楽しめちゃうんですね。

この揉め事があるからこそ楽しいじゃんと。

前だったら「あー、マジでやめて。しんどい」って自分自身もそこにドップリだったんですけど、
今はもう何が起きても楽しくなっちゃうんですね。

おー次はそう来たか。みたいな。

うちの母、つい先日も闇落ちして、めちゃめちゃしんどい電話をしてきたんですね。
これは、僕もまじでしんどい。楽しいだなんて、その瞬間はまったく思えない。

で、もう耐えきれなくなって全力で本音をぶつけたんです。「いい加減にしろよ。いつまで同じところでグジグジしとんねん」と。

めったに怒ったりしない僕が怒り始めたもんだから、そしたら、なんか母もハッとしたようで、
気持ちを切り替えてくれました。

で、「よかった〜」と。

で、そうなって思うのは「そうそう、これが人生の醍醐味じゃん」と。

なんかもう、このヘドロみたいな現実と「ぐおお〜」「こんにゃろ〜」「わー、もうだめだー」みたいな感じで全力で格闘したり七転八倒するのが楽しいんじゃんと。

伝わりますかね、この感じ。
苦しいから楽しい、ってこと。

僕が「そうか日常がすでに奇跡か」と気づいちゃったあとに「なんつまらん…」というモードに陥ったのは、
ゲームを全クリしちゃったような気分になったからだと思うんですね(いや、実際はまだクリアできてないと思うけど)。

で、思ったのは、
もう自分を見失ったり俯瞰できないくらいに本気になってしまう状況、ヘドロみたいな感情にどっぷりの状況って

苦しい。
でも、だからこそ楽しいんじゃねと。

そういうふうに思い始めたんですね。

これ以前なら

「苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦
苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦一切皆苦ッ!

は〜しんどい、もうやだ。もうだめだーッ(涙)…!!!!」

って感じだったんですね。

でも今は、このセリフのあとに

「でも……うん、だからこそ、おもろいなぁ。ツイてるなぁ。ありがたいなぁ」

と思えるようになりました。
それが大きな視点の変化ですね。

そしたら前は、あんまり向き合いたくなかった(向き合ってもなかなか成果の出なかった)現実側の方にまた興味が湧いてきちゃったんですね。

そのヘドロみたいな世界上等。だからこそおもろいやんと。
この力のない自分。理想通りじゃない自分。だからこそおもろいやんと。
てゆーか、このママナラナイことばかりの世界だからこそめちゃおもろいやんけと。
ここに、めちゃおもろいゲームが転がってたやんと。
スピリチュアルな本とか読んでる場合じゃないなと。
現実と取っ組み合いした方が、よっぽどおもろいやんと。

一周回って、そういう心境に変化したんですね。

これは振り子の原理ですかね。
あと全肯定できるようになってきたのかもしれない。

で、ここでいう全肯定というのは

「はー、ふざけんなテメー!くらだねーこと言ってんじゃねーよ!お前、クソかよ!」
とか

「はー、自分ってクソだな。マジ能力低い。弱すぎる…」
とか

そういう他人なり自分なりを否定することも含めて

「…だがそれもよし。だからこそおもろいやん。感謝やん」

と最後にコッソリつぶやいてまとめることができる。
その視点のことだと思うんです。

あれはいいこれはだめとか、一切を否定しちゃいけないとか、なんでもかんでも肯定しましょう明るい面を見ていきましょうポジティブに生きていきましょうとかでもないんです。

ポジティブでもネガティブでも否定だらけでもなんでもOK!

ということなんです。

で、僕はこの半年間をかけて
その最後にコッソリつぶやいて、いい方向にまとめてしまえる視点を(ある程度)獲得できた気がします。

だからこそ現実に向き合いやすくなった。
ということかな〜と振り返って自己分析した結果、思いました。

なので結論、

・この世の中に何も問題はないってこと
・問題だらけであることがむしろOKってこと
・自己否定して七転八倒して苦しみ倒すこともOKってこと

そういうことですね。

別に偉くならなくてもお金持ちにならなくても理想の自分にならなくたっていいんです。
でも同時にそれは、それらを目指したっていいってことです。

未知なる感染症や陰謀を暴こうとわめきたてたっていいし、
そういう人たちをはーバカじゃね?って思ったっていい。
正直じいさんのように生きてもいいし、二枚舌で要領よくウソばっかり吹聴して生きたっていい。
なんて幸せなんだろうって生きて大往生してもいいし、
何もいいことは無かったと世を恨んで行き倒れてもいい。

すべては自由で何一つ宇宙が否定することはないってことです。

しかし、そういう中で犯罪や非人道的なことが起きれば、人間はじっとなんてしていられませんよね。
まして自分が被害者になったら呑気なことを言ってられませんよね。
だから、そういうなかに飛び込んで戦ったり主義を主張したり、泥沼のように揉めたり苦悩したりキレたり刺し違えたりすればいいんじゃないでしょうか。

僕は別に犯罪や戦争を肯定しているわけじゃありません。
(そんなものは無い方がいいに決まっています)

でもそういう行動をとったことがよかったのか、そうではなかったのか、それは死後にそれぞれの魂が向き合うことになるんじゃないですか、ってことです。

「はーなんかつまらん」ありがとう。
「なんだこのクソ上司」ありがとう。
「なんて運が悪いんだ」ありがとう。
「全てが自由?はーこいつ何言ってんだ?そんなこと誰が思えるかよ」ありがとう。
「ありがとうばっか言っててきもちわりーな」ありがとう。
「この世は全部奇跡?そんなわきゃねーだろ」ありがとう。

そういうことです。

今日もお読み頂き、ありがとうございました。
更に回数を重ねたら、どんな世界が見えてくるのかが楽しみです。これからも粛々と続けていきます。

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