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「昭和ライダーVS平成ライダー」

2014年5月8日のブログ記事からの転載

一ヶ月前の話であるが、「昭和ライダーVS平成ライダー」を2歳の息子とイチャイチャしながら観に行った。

「スーパー戦隊VSオールライダー」というとんでもないスケールの劇場版をやった後の作品なので、スケール的には二番煎じであるが、そこは「仮面ライダーブランド」。

むしろ、世界観をライダーに絞ったほうがグッと引き締まるのではないかと期待。

だが実際は・・・・

脚本が回を重ねるたびにますます荒っぽくなっているのでは?と思う。

もう書きあらわしようもないくらいのテキトーなお話。

「なんだか知らないが悪いやつがはびこっているのは平成ライダーたちのせいだ!」と藤岡弘が言いがかり。

「え!藤岡弘、もう登場しちゃうの・・・ひょっとして・・・うわぁぁぁあ」

映画開始早々に、あの、あの、藤岡弘の約40年ぶりくらいの変身シーンがでちゃった。。。

もうエクスタシーを迎えてしまった・・・

その後の数年ぶりにみる平成ライダー陣のオリジナル・キャストたち。

その彼らがどんどんあっさり変身してしまう。。。

もうちょっと溜めません? えらいタンパクでらっしゃる。。

このバタバタした感じで同じライダーの変身シーンが何回も繰り返されると、さすがに有り難みもとうになくなり、「もういいからハショっちゃえよ。」と思えてくる。

そんな杜撰な脚本のクセに「泣きどころ」だけは姑息に用意しており、板尾さん演じる仮面ライダーフィフティーン(ダサいデザイン)と息子の件は、板尾さんのことや自分のことやいろんなモノが混ざって、息子に見つからないように女々しく泣いてしまいました。

とはいえ、これは甘んじての感涙などではなく、デタラメなストーリーの合間に本筋とはまったく関係ないフワッと差し込まれた「お涙パート」に引っ掛けられた感があり、なんだか片手間にイタズラされた感がした。

そんなこんなで、「もう昭和でも平成でもなんだっていいよ。」って作品だったので、もうちょっとライダー愛(仮面ライダーを大切に思える人)に作ってもらいたいなぁ~という感想を残したのでした。

しかし!

「じゃぁ、キミのライダー愛とやらをきかせてもらおうか。」と自問。

さらには「何ライダーへの愛がそんなにお強いので?」と自らを責める思いが溢れてきたのである。

そう思うと、僕は昭和ライダー世代でも平成ライダー世代でもない「ライダー不毛の世代」なのかもしれない。

仮に昭和ライダーを栄光の7人ライダーと定義するならば、再放送でもロクに見たことがない世代である。

リアルタイムで見た仮面ライダーは「スカイライダー」や「スーパー1」である。(はたしてこれは昭和ライダーだ!とえらそうにいえるのか否か)

かといって、平成ライダーはずいぶん後からDVDで追いかけて何とか順番くらいはいえる程度。。。

じゃ、やっぱり、どちらの世代にも入れない「コウモリ怪人」ではないか・・・と自己嫌悪に陥る。。。

が!しかし!

自信をもって言える、そのライダーを昭和、平成、どちらに入れるかで未だに議論されることもあるが、僕が小学校高学年にもなって日曜朝、親から冷たい視線を背中で感じつつ後ろめたくみていた忘れじの仮面ライダーがいた。そう、それが「仮面ライダーBLACK」である。

幼い頃以来、永らく仮面ライダー不毛の時代を過ごした僕にとって、自分の世代の仮面ライダーと呼べるヒーローを求めていたのだ。そんな悶々とした日常に突然、登場してくれたのが「仮面ライダーBLACK」である。

これ以上ないくらいの昭和と平成をつなぐ適任の仮面ライダーがいるのだから、このBLACKがキーマンになるような展開がほしかったのである。

BLACKに「昭和も平成も関係ない。同じ仮面ライダーじゃないか」と諭され、それに涙したかったのである。

なんだったら、BLACKがおかしくなってシャドームーンに变化し、敵役になり、それを昭和と平成で協力して倒したあげく、元に戻ったBLACKが「これでみんな1つの仮面ライダーになれてよかった・・・いつまでもすべての世代の子供達のヒーローであってくれ・・・」と息絶えるような号泣シーンがあってもいいくらいである。

「昭和ライダーVS平成ライダー」というのであれば、昭和ライダー派からも平成ライダー派からも一目置かれているニュートラルな仮面ライダーがいることをわかっている人に作ってほしかったのである。。

この熱量こそが、40手前のコウモリ怪人のライダー愛である。。。

(完)

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