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おとうと

第26話

トロンボーンの担当になったと嬉しそうに語っていた。
成績が良かったわけではないが音楽は好きだった。
メンバーも大人しい子が多いようで、吹奏楽部は弟の肌に合うようだった。

私と弟が卒業した中学は地元で有名な不良校で、
人を傷付けたり苦しめたりなど平気でできる人ほど
胸を張って大手を振って歩くという、不思議な環境が構築されていた。
弟は勿論だが私も彼らとは一線を画しており
当時はなかった「スクールカースト」となるものに照らし合わせるなら、
私は恐らく最下層の端っこにいたと思う。
入学した私立の女子校でいじめに遭うまでは
そうでもなかったように記憶しているのだが、
元々グループの中心人物にはなり得ないヒューマンスキルしか持たず、
人と関わることが非常に苦手である私は
過去を派手に誤解しているのかも知れない。

弟は姉の「似なくていい部分」がかなり遺伝されていて、
うちは両親共に若い頃はモテモテだったし友達も多かったし
母は人間関係で躓くこともあったようだが、
それでも窮地は友人知人が救ってくれることもあるなどあったと聞く。
私は私自身を「両親の悪いところを選りすぐって生まれてしまった」と
学生時代特に、実感する毎日を過ごしていた。
恐らくは弟もそれにそうに遠くない心理で、
学校生活を送っていたように思う。
所謂「ヤンキー」に目をつけられやすい質ではあったが、
弟が人を傷付けたり苦しめたりなどは当時、全くなかったと断言できる。
ただこれが、家族となるとそうもいかないのが
人間の人間たる所以なのかも知れない。

「将来はトロンボーン奏者?」
先走りが過ぎる姉のバカな質問にも「えへへ」と笑って
楽し気に未来予想図を語ってくれた。
将来は声を使った仕事がしたいと打ち明けられたのはこの頃。
男の子なのに「頑張れば出せる高音」が、本人にとって自慢だったようだ。
勉強はしないけれど部活には励むし、中学一年が過ぎる頃までは
たまにいじめの標的にされることがあっても、
親きょうだいが大騒ぎするような事態に発展することはなかった。
私はいつも「学校に行きたくないなら行かなくていい」と言っていたし、
本人は「大丈夫」という時もあれば「今日はどうしようかな」という
こともあったり様々で、登校は臨機応変にしていたように思う。
生来の優しくて大人しい性格が本人の足を
本格的に引っ張り始めたのは、二年に進級してからだった。
きっかけは、トロンボーンのマウスピース入れに使っていたポーチ。
母がメイク道具を入れていたものを欲しがったとかで
そのまま下げ渡したのだ。
真紅のサテン生地に金糸のキルティングが施されたされた、
所謂「おばさん仕様」のもの。
チャック式のそれはど真ん中にやはり金糸でバラが刺繍されていて、
どう見てもおばさん用で中学生男子が持ち歩くような品じゃない。

「オカマって言われるの」

弟は学校での窮状を訴える。しかし今ひとつピンとこない。
「そんなもん持ち歩いていたら、そりゃ言われるんじゃない?」
知ったような顔で説教を垂れる姉。ほとほと困ったといった様子の弟。

「どうしてそんなもん学校に持っていくのさ」

優しく大人しく、そしてどこか女性的。
打ち明けられなかっただけで弟は長く「オカマ」「女男」と
馬鹿にされていたらしい。
母が徐に弟の通学用バッグから下敷きを取り出す。
「お姉ちゃんの言う通りよ。こんなもの学校に持って行って。
バカにしてほしいって言っているようなものじゃない」
A4サイズのカードケースに挟まれていたのは
セーラームーンとおジャ魔女どれみ。私は絶句した。
「あんたこんなの学校で使ってるの?」
気まずそうに目を反らすが私は逃がさない。
「これ見てバカにしないヤツいないよ。何であんたがこんなもん」
男だろ、と言おうとした瞬間弟は言った。
「僕、スポーツとか戦闘とか嫌いなの」
恐らくは同級生男子はそのジャンルをファイルに挟んで
下敷きとして使用しているということなのだろう。しかし。
「だからってあんた。これはダメだろ」
こちらを笑顔で見つめるセーラーナントカやおジャ魔女たちを
私はじっと見た。
弟はブスだ、はっきり言って。デブスだ。
内気で大人しくデブスな吹奏楽部員。
ヤンキーたちがカモにしないわけがない。
「戦闘ものが嫌いなのは分かったけど。こういうものを
学校に持って行くのは止めなさい。いじめの原因になる」
母の発言に弟が異を唱えた。
「僕は嫌いなものは持ち歩きたくない」
私は色をなして反論する。
「それあんたダブルスタンダードってやつだよ。
そんなの通るわけないじゃん。嫌いなものを持てって言ってるんじゃない、
からかわれるような真似は止めろっつってんの。
男女兼用の下敷きやら小物入れやらあるじゃないよ。
ああいうの揃えなよ。濃紺とグリーンのタータンチェックとか」
私の提案に何故か弟は憮然とした表情を浮かべる。
どうにも納得できなかったようだ。

しかしポーチは母に取り上げられ、下敷きも
家で使えと厳命され、弟はそれに従った。
私はふと自身の学生時代を思い出して、いくら好きだからって
アニメの切り抜きを下敷きに挟むことはなかったと考えた。
好きな芸能人の写真や雑誌の記事を挟むことはあっても。

使用をやめたからといって「赤いポーチを持ち歩く気持ち悪いヤツ」を
以降放っておくほど、ヤンキーも現実も甘くない。
それは9歳年上の私だって分かる。
「ちょっとこれから大変かもよ」
弟が風呂に入った隙に母に打ち明ける。
「大変って何が?」
「ヤンキーよ。不良がこんな子放置するわけないじゃん」
母は険しい表情を浮かべ
「そんなの分からないでしょ」
と私を冷たくあしらった。
けれどその表情から、母も私と同じ懸念を抱いていることが窺えた。

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