火球

一.

未知のウイルスが蔓延して1年経った。
僕は1年前、まだこのウイルスがこんなに毎日感染者数をニュースで発表される前、17歳だった。
駅で気分が悪そうにうずくまっている女の子がいた。それが君との出逢い。
他人に声をかけるなんて普段ならできない僕にそれができたのは、いつも電車の中で同じ時間に乗っている君だと気付いたからだった。
何かにつき動かされるように、大丈夫ですか?と声をかけて、駅で気分が悪くなった人が使う衛生室のような部屋まで付き添った。
衛生室から僕が出る時、君はありがとうと青ざめた顔で、小さな声でぽつりと言った。
君の長い髪が白い頬にかかってキラリと光ったような気がした。
次の日から朝の電車で君と話すようになった。君は隣の高校に通う僕と同じ17歳だった。
帰りの電車も合わせるようになり、家にいる時もスマホでチャットをしてずっと話していた。
内容は他愛無い話だったけど、それでも尽きない。
今までの人生でこんなに話が合う人は君が初めてだった。ずっと、一晩中話していたい。
本当のことを言うと朝から晩まで君のことを考えて過ごしていた。
学校が休みの日にデートする約束をした。
いつもみたいに好きな音楽の話、本の話、宇宙の途方もない広さの話をしていたらあっという間に夜になった。
景色の良い公園の展望台で2人、空を見る。でも僕はいつのまにか君の顔を見ていた。
あどけなさの残る丸い顔に何にも知らないようで何もかも分かっているような眼差し…。君もいつのまにか僕を見ていて、少し見つめあった後に、どちらからともなく唇を重ねた。
柔らかい君の唇の感触。僕は幸せだった。
君と抱き合っていたら、暗かった夜空が急に明るい光で覆われた。
2人で空を見ると、大きな流れ星。
君が「火球」と言ってまた僕の顔を見つめた。僕たちはまた初めてのキスに溺れ出した。

ニ.

未知のウイルスが研究されるにしたがって少しずつその特色が分かってきた。
まず発生源はどうやら僕たちが初めてのキスをした時に見たあの火球、隕石に付着していたウイルスらしい。
僕たちの国の市民はA市民からE市民にまで分けられていて、そのおおよそ全ての人たちが平等にウイルスに感染していた。
A市民のようなエリートからE市民のようないつ死ぬか分からない危険な職業の人々まであまねく公平に。
比較的若年層はこのウイルスに感染しても致死率が低いことも分かっていた。
そして、ある噂があった。
それは、このウイルスに感染して、なおかつ生き残った人々が共通して同じような夢を、夜寝るときに見ると言われていることだ。
その夢の内容は普段見る夢とは全く違って、とても創造的らしい。
ある数学者がその夢の中でずっと解けなかった数学の証明が解けたとか、ある建築家が今までにない斬新な建築構造を思いつくとか。普段の夢ならそれで起きたら忘れてしまうのが世の常だが、手に取るように覚えていて確実に現実でも再現できるらしい。
様々なことが言われているが真偽のほどはまだ分かっていない。

三.

僕はもうすぐ試験を受けることになっている。自分の一生を決めてしまう、試験を。
僕の両親はC市民でいわゆる一般的なサラリーマン家庭で育った。君も同じようなC市民の子として育った。
僕は焦っていた。この試験を受けて君と同じ成績が得られるかどうか…。どうやら君の成績は僕より良いらしい。君は僕に一生懸命勉強を教えてくれもしたが、あまり模擬試験の成績は上がらなかった。僕たちの国では同じ階級の者同士でしか結婚をすることができない。君がB市民になって、僕がよくてC、最悪D市民になったらもう言葉をかわすことも出来なくなるだろう。
同じ国に住んでいても階級の違う人間が住む場所は違い、顔を合わせる機会は滅多にないのだ。
あのウイルスに感染するのはAからE市民まで平等だが、かかってからは平等じゃない。
それぞれかかる病院も違えば、かけられる医療も違う。噂によるとE市民は感染すると隔離されて、満足に食事も与えられず、亡くなる者も少なくないらしい。同じ人間なのに。

四.

人が密集する場所はウイルスの感染リスクが高い。でも一生を決める大事な試験だからと、万全の対策をして試験は行われるらしい。
僕は近頃あのウイルスに感染することを妄想していた。あの噂が本当だとしたら、もしかしたらウイルスに感染すると潜在能力のようなものが引き出されて、今までの僕より良い僕になれるのではないか。
階級なんか関係ない。いっそ試験を受ける前に感染して、人間の創造力の高みに到達してみたいという浅はかな考えに囚われるようになった。
でもどうやって?
このまま試験を受けても君と離れ離れになるかもしれない。その前に何とかして感染すれば…。
そしてそのチャンスはやって来た。
母親があのウイルスに感染したらしい。母は暫時入院することになったが僕は晴れて?濃厚接触者になった。母が入院する前に僕はわざと長く別れを惜しんだ。

五.

君に例の噂のこと、濃厚接触者になったことをチャットで話すと逢いたいと言われた。
若年層の致死リスクは少ない。でも万一のことを考えると僕は躊躇した。
君は頑として譲らなかった。私もあのウイルスに感染して夢を見てみたい。
好奇心旺盛な君の考えそうなことだけど、本当のところは君が反骨精神旺盛なことを僕が一番よく分かってるつもりだ。この国の階級社会に対して、あのウイルスにわざと感染することは革命的な何かをもたらすことができるのかもしれない。そう君が感じていたのではないかと僕は薄々気付いていた。
家族のいない僕の家で君とセックスした。慣れ親しんだ君の身体はいつものようにしなやかで柔らかく僕を興奮させた。君は歓喜の声をもらしながらありがとうと苦しそうな息で言ったような気がした。

六.

僕も君もあのウイルスにほどなくして感染した。違ったのは僕だけが生き残り、彼女はそのまま亡くなったことだった…。
僕は試験を受けた。精神状態がボロボロでまだ身体の調子も戻っていなかった僕の試験の結果は最悪だった。
僕はD階級になった。もう両親とも会うことはできないだろう。
でもそんなことはどうでも良かった。君に逢えなくなってしまった悲しみに比べれば。

七.

あのウイルスで人口、特に老齢世代が減ったことにより今までの階級制度を撤廃、もしくは抜本的に変更することを政府が発表した。
僕は一旦はD階級になったが、保留になった。
夜になると僕は夢を見た。夢には毎回君が出てきてまたいつものように話したり触れてキスをすることもできた。
僕は起きている間は無気力だったけど寝ると君に逢えるので幸せな日々を過ごしていた。
僕の潜在能力は夜寝る時に好きな夢を見られることだったのかもしれない。

君との夢での逢瀬、キスをすると、暗かった夜空が急に明るく光った。

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