そう言えば10年前の今日6月16日、当方は無職だった。(*´з`)
タイトルの通りなんですがw今、唐突に思い出しました。
本日はセキララに10年前の当方の姿を描いておきたい。こんなやつでもまあ生きてます、という意味で…。あ、暗い文章になったらスミマセン<(_ _)>
長く見てくれているフォロワーさんはご存じでしょうが、当方は学校卒業後、漫画家のアシスタントをしていました。地方から出てきて東京で一人暮らし。何年か後にヨメさんもらいました。マンガの師匠の下でチーフアシ(まあ中間管理職みたいな)をしていましたが、その師匠の連載が終わった。
いくつも連載を持っている実力派の師匠でしたが、折あしくみんなそのタイミングで終わりました。
そこでプロダクションはあえなく解散…と相成ったわけです。
いかなる人気漫画家でも連載が途切れることはあります。実は、師匠の連載が切れたのはそれが最初ではなく、その数年前にもあったのですがその時は先輩アシスタントがみんな逃げて(笑)残ったのは当方だけでした。労働基準監〇署がきたりしてそりゃもう大変…いやこれはまた別の話だ(^^;)
とにかく、仕事がなくなったわけです。
※師匠の名誉のために言いますと、いまも現役で活躍しております。波のある仕事ですからね。
ま、その時期のことはこの記事に少し触れてあります。
いやあ…困りましたよね。
漫画家のアシスタントって、だいたい失業保険とかないんです(^^;)でね、師匠もだんだん仕事が減っていくでしょう。給料が遅配、減額になっていくんですよ。だからわずかな貯金を切り崩してもうだめだって時に、いよいよホントの無職になるのね(笑)ヨメさんもいるし…子供がいないのが不幸中の幸いでしたけど…。
正直に言いますと、その時点で家賃9万5千円の部屋に住んでて(東京荒川区です、これでも面積の割には安い方だったんです)、貯金は30万もなかった。30超えたおっさんがですよ。もうどうしようかなって。
バイトはしてました(すでに解散前、師匠から「すまんが副業してくれ」と言われていた)。朝5時に起きてポスティング。一枚4円の手間賃で500枚配って2000円。新聞で鍛えた足で、45分でやっつけましたwそのあと時給900円の古本屋で夕方数時間、あわせて月9万円くらいかな。それが収入のすべてでした。(師匠の連載終了間際はこれに加えてアシもしていました。この時期の記憶があまりないです)
余りの疲れで座り込んだ駅前で、さすがに「スーツ着てる人が羨ましい」と思いました。
…なんでその時期、給料も出せなくなった師匠に付き合ってたのかと言われそうですが。師匠が、自分が、仲間が描いた原稿が、今俺が逃げたらだれの目にも触れずに消えると思うとやらずにおれなかったのですよ。そういうの今はたぶん「やりがい搾取」っていうんでしょうけど。
ヨメさんにいよいよ「仕事場が解散になった」と告げるときは、無念でしたねえ。ちょっと散歩行こうなんていって、平静を装って。荒川のほとりで
「いよいよ無職です」
といったとき、ヨメさんどうしたと思いますか。
爆笑しました(笑)「どはははは」って。なんでだよw
なんかもうばかばかしくなって、その日はそのまま川べりで酒飲んでやりました(*´з`)
んで次の日からは、「もう仕事は何でもいい」「とにかく、まず生きるのじゃ」と思いましてねえ。働かせてくれと駆け込んだ会社が今の介護の会社なんです。
そして真面目に働いていたらほんの数か月後です。アシ解散間際にヤケクソで出したマンガがなんかの賞を取りまして。昔の知り合いの編集者が「介護の本出そうぜ」って言ってきて。(まあその時もいろいろありましたけど)本を出したら会社も「じゃあこれからは漫画を活かして…」ってことで…3年の現場経験ののち、今みたいな介護漫画家になったわけです。
今日もね、朝からマンガ描いてました。
またアシ当時の兄弟子の作品を副業で手伝っています。
結局、描いて描いての生活です。
10年前は、もう仕事はなんでもいいとまったく知りもしない介護に飛び込んだはずなんですがね。
でも、これもご縁だったと思うのです。今は介護はマジで好きです。なんだって本気でやったら好きになってしまうのです。でもアシ解散、無職くらいのショックが無かったら絶対やってなかったでしょうね。
10年。いつの間にか、リモート時代の恩恵もあり、一度は忘れたはずのマンガで、海山に近い家に住まわせてもらって。
いったい何がどうなってこんなことになったんですかねえ。
…だからですね、余計なことを申すようですが、このnoteでマンガ描いてて「どうにもならん」と言ってる人を見ますとね。
もしかしたらどうにかなるかもしれないですよ
といいたくなるのです。ま、10年くらいはかかるかもしれませんが…
もちろんどうにもならんかもしれん。10年前の当方もそう思っていましたから…。でも思いと現実はまた別かもしれません。しれんしれんで無責任なようですが…要するに、生きてりゃ何とかなるかもしれん。(当然、それ以降また先のことは分からない😅繰り返しかもですが…)
まあ、そんな奴もいた、というお話です。
お粗末様でした(*- -)(*_ _)ペコリ
たくさんのサポートを戴いており、イラストももう一通り送ったような気がするので…どんなお礼がいいですかねえ?考え中(._.)