見出し画像

埋めたのかコレ…ぜんぶ!?

知的コーフンの川シリーズ、第2弾です。

正直申し上げて知的コーフンしすぎた当方、調べすぎていったい何からどう書き出せばいいのかわからなくなりました(笑)、マンガで失敗するパターンですね(^^)なのでこれ以上調べないでさっさと描きはじめることにしますが…。

まずこれが前回(._.)

これで東京の川が巨大な理由に思い当たった。で、のこる疑問は

「支流はどこに消えた?」

ということです。

当方の田舎のグンマにはもちろんでっかい利根川が流れていますが、それとは別に

「近所の薄汚いドブ川」もあった。

(休泊川、という。名誉のために申しますと当方が子供の頃よりずっとキレイになっていますw)どうも東京23区内にはそれがほとんど見当たりません。

余談ですが当方にとって、いや当方の年代の多くの人にとって、

川というのは近所のドブ川のこと

ではあるまいか。もっと年上の、そこが清流だったころをしっている年代からは「あんなキタナイ川じゃなかった」と言われますが、当方生まれた時から川というのはああいうもんだと思っている。つまり、

画像1

ま、こんなもんじゃないの…(写真は埼玉県の最南部)

というのが思い出の川クオリティです(._.)巨大な荒川も、『春の小川はさらさらゆくよ…♪』もクオリティが高すぎる(笑)

出たついでに申しますと『春の小川』は今でいう東京の渋谷を流れていた(河骨川)、というのは有名なトリビアである。当方もこれをト〇ビアの泉で見たときは、「ああ、開発でそういうきれいな川もなくなっちゃったんだなあ」とボンヤリ思いましたが。いやまて、よく考えると、

川は無くなったりしないのです(._.)

どんなに開発や排水に汚されようと、汚れた川としてそこに残っている。何度も引き合いに出して申し訳ないが休泊川がその証拠ではないか(^_^;)

画像11

画像12

(画像はイメージです<(_ _)>…が、まさにこんな感じ)

…どうでもいいですがこういう「開発で消えた」とか、わかってるようで具体的にはどこにどう消えたのか説明できないような問題を当方は「結局何も知らない問題」と呼んでいます。結論から申しますと

春の小川は、埋められた(._.)

といって、完全に埋め立てられたのではなく、フタをして地中に隠された、というのが正しい。こういうのを暗渠(あんきょ)というそうです。要するに、見えないだけで今も地下をちゃんと流れている、という。


この暗渠は別に渋谷だけでなくして、いろんなとこにあるようだ…というのは、東京の生活の中でたびたび耳にしました。

当方が新聞配達をしていた文京区の根津にも有名な「へび道」というものがあり、そこも川を埋めたあとの道なのでへびのようにクネっていました。タケノコ積みにした新聞が崩れやすくて本当に困ったのです(^_^;)

当方の好きな伊集院光さんのエッセイ集には、「田端駅の近くのドブ川でザリガニ釣りをした」「いまは駐輪場になっている」と書いてあります。

画像10

▲この本の「ザリガニの話」に収録。

面白いことにこのエッセイには、事故で暗渠のフタが壊れた時、その中(ドブ川)に探検に入ったことが描かれている。オチは描けませんが、ようするにザリガニやらなんやら、「川は生きていた」ようです。

当方、そのようなことを考えながらスマホで古地図アプリを開いてみると、東京だってちょっと前までデンパタだらけである。

名のある川から、ない川から、人工的にこさえた水路から何から…

要するに東京中水路だらけなのである。

本当にこれ、どこに消えちゃったのかなあと思いながら地図を見ると、今自分がいる場所がまさに昔水路だった場所であり、そこを見渡すと、

画像2

橋の痕跡が。

画像3

ここにも

画像4

そこにも

画像5

あそこにも!(エロイムエッサイム)

節穴か…俺は…!

つまり、川はどこいっちゃったのかどころじゃあない、「どこにも行ってない」んですね。あるのです、いま、自分の真下に!

これに気付いたときは嬉しいというより、何かゾッとしましたが…。

つまり東京は、暗渠だらけの街、ということです。渋谷や根津のへび道は有名ですが、正直言って暗渠など珍しくもなんともない。東京に住んでいて、暗渠を踏んでない日は多分ないでしょう。古地図の、都市の血管のように張り巡らされた水路を見ると、

埋めたのかコレ…全部⁉

と、荒川放水路とはまた別の、ゾッとするようなシューネンを感じます。

この暗渠をさがすのを趣味としている通人もあってw『散歩の〇人』などの有名雑誌で特集が組まれているほど。

詳しい情報はそれこそそうした雑誌や専門のブログがたくさんあるのでそちらに当たっていただきたいが、当方の住む荒川区はそれこそ暗渠の痕跡(暗渠サイン、というそうだw)だらけである(._.)

先ほどの橋の痕跡、計4本ありましたが、親柱がそっくり残してあるのでしょう。

さあこれで、前回ちょろっと書いた

「川もないのにナントカ橋、カントカ島とかいう地名が多すぎる」のも納得がいきました。

画像6

川もないのに藍染川通り。

画像7

掘りもないのに江川堀。これらは

昔はここにほんとにあったという、シンプルな理由による(._.)

いやもっと正確に言うとそのほどんどが、

いま現に地下を流れている

ということです。流量が減って枯渇したもの以外は。

画像8

だから泪橋も

画像9

霜降橋も今は交差点ですが、その下を暗渠化された川が流れている…つまり

下に川が流れている道は「橋」といって差し支えない(笑)ので、これは正確な名前ということですね(^_^;)

さて、今回も長くなってしまいましたが、まだ全然意をつくせない(^_^;)

とにかく、どうしてこんなに

なにもかも埋めてしまったのか⁉

という疑問を掘り下げて行ったら昨日一日つぶしてしまったのですが、直接的な原因は

東京オリン〇ック(今年のじゃなくて、前の)

であったようです(._.)

外国人がいっぱい来るのに、川が汚くて臭い、フタしよう、という(大変ざっくり言うと)理由によるものらしい。

詳しくは『36答申』で検索してください。当方がわかりやすいと感じたのはこのサイト。

まあ時代背景や技術的なことはあるにしても、なんか心情的には

オリン〇ックってロクなことにならねえな

というのが本音ではあります。

…なんだか不景気な結論になってしまったw

お粗末様でした<(_ _)>


(追記)

で、その埋まった川はいまどうなってるのか…を調べていったら地上に戻れなくなったwのですが、気が向いたらまたそれも描こうと思います。

たくさんのサポートを戴いており、イラストももう一通り送ったような気がするので…どんなお礼がいいですかねえ?考え中(._.)