なんかよくわからない感覚は、大切にしよう。
先日、けんすうさんとチャットしていて。リシャール・ミルという腕時計の話をしていたのですが、このブランド、わけがわからないくらい高いんですよ。安くて1,000万円代前半ですかね。
スタイリッシュなドレスウォッチでもないですし、普通の人からしたらおもちゃにしか見えないと思うんですよ。しかし、けんすうさんは「よくわからないけど、いい」って言うんですよ。
僕は腕時計に全然興味がなかったのですが、30歳の誕生日にIWCをいただいてから、結構興味を持つようになったんです。危険な趣味ですね。昨年、大人になってはじめて自分で腕時計を買ったんです。パテック・フィリップという王道的なやつです。300万円だったんですが、僕の価値観では「いやいや、パテックは40代になってから。まずはカルティエのタンクあたりからいこうかな」とはならないんですよね。高い買い物ですから、かなり悩みましたよ。ピアジェと悩みましたね、シンプルなのが好きで。
腕時計に興味がない時代の僕からすると、iPhoneでいいわというわけで、時計を300万円で買うなんて狂気の沙汰です。いわんや、リシャール・ミルをや。です。
しかし、こういう高級腕時計を持つ人の感覚ってどういう感覚なんだろう。それがすごく気になってそそられたんですよね。リシャール・ミルのオーナーって一体何を考えているのだろうかって。リシャール・ミルのオーナーのインタビューをまとめた本を最近読んで、藤田さんや熊谷さん、見城さんがハマっているというのを知りました。
このnoteを読むほとんどの読者には、1,000万円を超える腕時計など狂気の沙汰しか思えず、わけがわからないことでしょう。少し前の僕もそうでした。しかし、わけのわからないものをどのように捉えるのかが、その人のセンスを形成していくと思います。
わけのわからないものを、自分には関係のないことだと思い、わけのわからないままにしておくのか、理解しようと努力するのか。
わけのわからないことって、人生でたまに遭遇する機会があります。僕も過去にはたびたび「ああ、わけわからんから、どうでもいいや」って思っちゃったことが少なからずあります。しかし、それではいけないのだと最近思うようになりました。
人生、わけがわかることばかりであるほど、単純ではありません。複雑さの中にこそ、真理であるとか大切なものが眠っている気がします。スタートアップ業界に言い換えると、メタップスとか僕の中ではわけがわからない銘柄でした。しかし、それをわけがわからないと片付けるのではなく、理解しようとする姿勢が大切なのです。
「いやぁ、わけがわからないよ」とたまにカッコつけた風に語らう人がいますが、それはカッコよくはありません。ただの逃げですよね。わからないなら、体験できることは、まずは体験してみたほうが良いのではないか。
冒頭に戻って、けんすうさんの「なんかよくわからないけど、いいっすよ」というのは直感であり、ノーロジックです。このノーロジックで、良し悪しを判断できる感覚が、AI化が進む世界において、相対的に今後ますます重要性が高まっていく気がしています。ロジカルなものはAIで算出できたりするわけですが、ノーロジックな直感的なものはAIが必ずしも正しい判断を導き出せるわけではありません。
他人からたまに「わけがわからないよ、アホなの?」と言われることがあるかと思いますが、それは「アホなの」と言っているほうが馬鹿です。わけがわからないのに、アホと決め付けているからです。ロジックがしっかりあって、その意見や思想が要領を得ない、ないしは間違っている場合は「アホ」と言い切って良いでしょう。
わけがわからないものを、安易に判断してはいけません。わけのわからないものは評価が定まっていないことも多く、後々大当たりすることもあります。
だからこそ、よくわからない感覚。自分の中で結論がすぐに出ないもの。そういう曖昧さや、よくわからないんだけど、好きとか嫌いとか。その感覚、すごく大切にしたほうが良いと思います。
*写真はリシャールミルではなく、僕のパテックです。博多のスタバで撮影。1本買ったことによって、少しは理解できるようになりました。前進ですね!
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