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「あたりまえ」と思わせるオール阪神・巨人のすごさ

2月28日の祇園花月のラインナップは、ヨネダ2000、ダンビラムーチョ、ガクテンソク、笑い飯、トリはオール阪神・巨人、吉本新喜劇(酒井藍ほか)でした。
 
オール阪神・巨人の漫才は、たぶん15分ぐらいの長尺でした。彼らの漫才は、これぐらいの長さでないと面白さが伝わらないですよね。3~5分のネタではもったいないし、持ち味が出てこない。そういう意味では、若手の漫才師とは違う、古典的な芸風をしていると言えるのでしょう。
 
阪神・巨人は、これまた凸凹コンビです。背の高い巨人と、背の低い阪神という組み合わせ。見た目のインパクトがある。
 
ふたりはどっちがボケで、どっちがツッコミなのでしょうか。古い分類でいえば、巨人が太夫(主となるほう)で、阪神が滑稽を受けもつ才蔵(従を担うほう)に見えます。これはその通りなんでしょう。
 
でも、一般的には太夫はツッコミ、才蔵はボケにあたるわけで、そのまま巨人をツッコミ、阪神をボケとしてしまうのは少し違和感がある。巨人さんも結構ボケるんですよね。
 
だから、前半は巨人=ボケ・阪神=ツッコミ、後半は巨人=ツッコミ・阪神=ボケみたいな、途中でスイッチングみたいなんがあるんじゃないか、と想像しています。これはまた改めて検証してみたいと思いますが。
 
つまり、本来的には滑稽タイプの阪神のボケが、前半では巨人がポンポンとボケを繰り出し、先行することでやや沈黙気味なのですが、後半7回あたりになると阪神のボケがどんどん前に出てくる。エンジンがかかってくる。こんなイメージです。
 
だから、ある意味、ダブルボケ的な面もある。二人で息を合わせて滑稽なポーズをとることもある。あっちがボケたら、こっちも負けじとボケる。まるで二人で意地を張りながらボケている感じです。そう、彼らの本質は、互いに負けまいとする「二人の意地の張り合い」だと思う。
 
仲がいいとか悪いとかではなく、漫才のなかではけっして友達にはならないような関係性。先ほど書いたように、二人で同じポーズをとるにしても、どちらかが競って「主」を取りに行こうとしている感じがする。そんなライバル関係だ。
 
それから、二人の漫才のすごさは、観客には「あたりまえ」に思わせてしまうところにもあると思う。実際、マンザイブームでは、オール阪神・巨人はそれほど前面には出なかった。『オレたちひょうきん族』にも、初期は出ていたかもしれないが、バラバラで出るようなことはなかった。
 
彼らの漫才は、他の漫才師に比べて派手さはないし、いかにもオーソドックス。ただ、そこにこそ、彼らのすごみがある。誰にでもできるようでいて、誰も真似できない。15分の長尺でも、こともなげに演じてしまう。
 
笑い飯なら、彼らなりの確固としたボケ合いの方程式があるわけで、それゆえに真似できない。阪神・巨人の場合は、もっと自然な会話風である。だから、真似できると思えてしまう。しかし、「間」のあけ方なんかも数多くのバリエーションがあって、そんなに単純に真似できるものではない。
 
オール阪神・巨人の漫才はとても奥深いのだ。彼らなら、映像資料も豊富だろう。一度きっちり分析してみたい。では、また次回。(梅)

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