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口では「順当に老いたい」とか言ってたけど、受け入れられない自分がいる

今31歳で、若干老け顔だから、老い自虐とかは慣れてたと思ってたけど、いざ現実になると辛いかもと思い始めた。

自分の妹に子供ができて、正式にキラキラした顔で「おじさん」と言われたら、食らってしまうものがある。

「おじさん」と言われておじさんになっていく

会社の先輩と話したら、結構盛り上がった。

  • 「おじさん」って言われるとか、そういうので社会の中での自分の年齢を自覚する。何回か言われるとちゃんとおじさんだと認識できるし、40歳になると数字のマジックで受け入れられる

  • 昔は子供の友達の親を「おじさん/おばさん」と呼んでいたが、「ooくんのお父さん」とかの呼び方が主流とのこと。「おじさん/おばさん」と呼ぶのは失礼との流れかも。同様に「おじいちゃん/おばあちゃん」と呼ばせない場合もあるみたい

  • 親戚の中ですら、続柄叔父さん/叔母さんに対して、逃げ恥の「ゆりちゃん」みたいに「くん/ちゃん」付けというのもあるらしい

改めて考えると、30~35歳なんて実はちゃんとおじさんと呼ばれ始める年齢な気がする。

早ければ兄弟が20歳で子供産めば、その時点で自分が18でも22でも続柄上はおじさんだから25でその呼び名問題に直面してもおかしくない。

でもそれは本来はとか、客観的な事象のことで、問題は自分が受け入れられるかどうかなのよね。

他にも年齢を自覚すること

自虐なら、実際違うと思いながらコミカルに思える。あと、幼いときの年上判定はまだ初々しい。

中3のときに、「大学生?」と言われ
大学のときに30歳と言われ、
逆に31歳になった今20代後半と言われるから、ずっと28くらいの顔なんだと思う。

でも、最近はいやおうなしに年齢を自覚することが多く、さらにそれに対抗しようとする自分がいる。

いちご鼻の角質落とす広告を見てバカにしながらも、改めて鏡を見ると、いちご鼻を自覚する。よく見てみると毛穴の黒ずみやうっすらシミがあることも気づく。

すかさずその広告で紹介されているようなピーリングジェルと化粧水を買ってしまう。
悪い意味で男らしいなと思う。あまのじゃくで無頼を気取っていても、現実に症状が表出すると騒ぎ出して、きっちり対策したくなっちゃうし、その対策するミッションを半ば楽しんじゃう感じ。

大学時代、昼に二郎を食べて、夕飯をいつも通り食べていたのが、
今三田二郎一杯食べきれないから少なめと注文して、夕飯を軽くしている。まかりまちがって、一杯食べきって、コーラを飲んでしまった次の日高血糖で頻尿になってしまった。

だからこそ、食べられるうちに無理にでも食べに行くようになっているし、焼肉に行ったら、あえてカルビを頼むようになってしまっている。

老いた後の過ごし方がわからない

10代→20代はお金と体力の合算で、広い部屋に引っ越し続けるように、過去のマインドのままでいてもキャパがそれを受け入れられる。

だけど30歳になってから、段々と狭い部屋に引っ越さざるを得ない感じ。今までもあったけど、転換に自覚的になる。

実際、カルビ問題については、熟練者に聞くと、生活習慣変えたり、運動するようにしたら、今までよりカルビ食べられるし美味しく食べられるようになったと聞く。ちゃんと順応すればその年齢に合った楽しみ方ができるってことだと思う。

でも、意識的に転換を乗り越えた過去がないから、昔のマインドのまま、だましだまし生きていく感じになる。
特に、良くなっていくならそっちに順応していくけど、悪くなっていくから、昔の良い側を忘れられずに引きずってしまう。
だましだましやっていてもそれで行動が蓄積されて生活になるから、実はそれこそが順応なんだけど、その行動とマインドにズレがあるまま生きていくというのが何かむず痒い。

これが老いられないってことだと感じる。
老いた後の過ごし方がわからない(実際はちゃんと老いた行動しているのに考えがついていかない)。
過去できたことにすがってしまう。今を認められない。
できなくなったことが明らかに何個かあるからこそ、失ったものを数えて、「できることなら若いままでいたい」と若い側に寄りすがろうとする考えをしてしまう。熟成が始まりつつあって今だからできるようになったこともあるのに。

本当に、同じような文言も何度か見た気がするし、同じようなこと言ってる人を何人も見たことあるから、何の新規性もない何番煎じのネタだけど、実感すると何か言いたくなっちゃうことでした。

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