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行き当たりばったり記・その5

胃穿孔になる 1969年10月21日、私は21歳の誕生日を迎えた。とはいえ、誕生日のパーティーをやるわけではなく、1の付く日なのでいつものように一の日会に渋谷の霞へ行った。そしていつものようにコーヒーを飲みながら話をしていたのだが……話をしているうちに胃のあたりがシクシクと痛みだし、やがて内側から釘で刺されているような激痛となってとうとうのたうち回る騒ぎになってしまった。  横田順彌が109に「あえいでます」と電話を掛けてくれ救急車がやってきたが、霞は道玄坂小路という細い路地

    • 行き当たりばったり記・その4

      麻雀の日々  その3で思いがけない事態に見舞われる云々と書いたけれど、とりあえずそれは措いとくことにしてもっと楽しい話を書こう。  一の日会はやがて私の生活の一部みたいになって、一の付く日には必ず渋谷の霞に行ってた。でも、SFファンの集まりとは言ってもSFの話ばかりしていたわけでもない。もちろん、そうしてた人達もいたけど麻雀組は話も一段落して面子が揃ったところで――一段落しなくても面子が揃えば行ってたかな――麻雀に行くようになったのだった。  麻雀組の主なメンバーは伊藤典夫、

      • 行き当たりばったり記・その3

        SFファンとの交流が始まった経緯  父親の影響でSFが好きでよく読んではいたけれど、そんなのはいくらでもいるわけで、そのうちの一人に過ぎない私がなんでSFマガジンの編集長になったのかという話をしよう。  それについて書くためには、まず原田信一という人のことに触れないわけにはいかない。この人は放送部の部員で、私や他の放送部員達は先輩だというのにみんな信ちゃんって呼んでた。それくらい親しみを持てる人柄だったし、先輩面をすることもない気さくな人だった。  話はちょっとそれるけど、放

        • 行き当たりばったり記

          前説 Facebookに「私の話などに興味を持つ人がいるとも思えないけど、石屋の倅がSFマガジンの編集長になって中島梓という人と結婚してなんて話を書いたものだから、自分のこれまでをちょっと書いてみようかって気分になっちゃった」と書いたら、興味があるよって声をいただいたのですが、Facebookだと読むのに不便だと思うのでnoteに書いていくことにしました。  お断りしておかなければならないのは、記憶は年と共に曖昧になっていくし、ことに私は記憶力にかけてはまったくのダメな人間で

        行き当たりばったり記・その5

          行き当たりばったり記・その2

          なんで石屋の倅がSFマガジンの編集長になったのか  子どもの頃からSFファンだったのは父親の影響だったのは間違いない。尋常小学校を卒業してすぐに電気工場に就職した父親は本を読むのが好きで山中峯太郎の「亜細亜の曙」とかを読んでいたけれど、戦後になっては空想科学小説というものを読み始め、私も「少年少女世界科学名作全集」とかを買ってもらって読みふけっていた。父親はほかにも秋葉原でキットを買ってきてテレビを作ったり、天体望遠鏡を作ったりもしてたな。そうそう、火星の土地の権利証なんても

          行き当たりばったり記・その2