坪尻駅へ
まだコロナ禍に見舞われるずいぶん前の、9月上旬。
私は悩んでいました。
青春18きっぷの使い残しがあるのです。
1回分。
日帰り。
せっかくだからちょっと遠くに行きたいな、どうしよっかなぁ。
…となると、もちろん秘境駅を目指したいわけです。
牛山さんの本を読み返して、決めました。
土讃線、坪尻に行きます!
長いトンネルを抜けて、スイッチバックしてたどり着いた坪尻駅。
本当にびっくりしました。
列車を降りると、待合室の外に出ると、もうただの森。
ただの森としか言いようがないのです。
これ、あとから調べたところ、どうやら私が出たのと反対方向に出ると国道につながる道があったようなのですが、こうも森だとやみくもに歩き回るのも怖いのです。
迷ってしまっても誰にも助けてもらえそうにないので……
なんでこんなところに駅をつくったんだろう、とまずみんな思ってしまうのではないでしょうか。
待合室に「坪尻駅の生い立ち」という興味深い読み物もあり、面白いです。
ここは駅になる前は川底だったと!
さらに私を笑わせてくれたのが「らぶらぶベンチ」。
ベンチがゆるいV字型になっていて、二人で両端に腰かけると滑って中心部に集合しちゃうという仕組み。
ベンチに積もった虫の死骸をウエットティッシュでふき取り(秘境駅はだいたいどこも汚れているので、いつも持ち歩いています)、座ってごはんタイムとしましょう。
そんなに滑りやすい材質でもなく、ふつうに座っていたらセンターに流れていくことはなさそうでした。
まあ、ベンチがつるつるだと危ないですものね。
ご機嫌でごはんを食べる私に、なんだか浮かない表情の男性が声をかけてきました。
「ここ座っていいですか」
もちろんです。私のベンチじゃないですし。
彼も私としっかり距離を置いてふつうに座っており、べつになんらラブラブすることはありません。
「はー……僕、置いていかれちゃったんですよ……」
「えっ???」
「列車がここに停まって通過待ちしてる時間に写真だけ撮ろうと思って降りたら、そのまま行っちゃって……」
悲痛な面持ち。
「あらまあ……」
「下灘に行きたかったのに……」
彼は土讃線を軽く冷やかしたあと、下灘駅の夕暮れを見に行くつもりだったのだそう。
それがここで乗り遅れたことによってすべての計画がパーになってしまったと嘆いていたのでした。
「関東から来たんです。
四国旅は今日までで、明日ゆっくり一日かけて18きっぷを使いながら帰るつもりだったんです」
発車時刻の確認を怠ったという初歩的なミスは、わざわざ私が指摘するようなことでもないでしょう。
下灘駅をものすごく楽しみにしていたらしく、彼のダメージは大きそうです。
とりあえず持っていたお菓子をあげながら励まします。
「まあね、この時間帯なら脱出そんなに苦しくありませんし。
変な時間に置き去りにされてたら、待ち時間えらいことになってましたよ。うふふふふ」
「そうですねえ……はあ……」
お腹が満足した私はまた駅の外に出て散策します。
さっきの彼も退屈しのぎについてきたので、草の向こうを見てきてもらいました。
「ムリムリ!! 道ないです、進めませんよ!」
彼はすぐ戻ってきました。
彼はしばらく坪尻に染まっているうちに諦めがついたようで、だんだん元気になっていきました。
「このあとどこに行くんですか?」
「私? 私は津島ノ宮(臨時駅)を見に行きます。海岸寺から歩いて」
「津島ノ宮……」
「年に2日だけ営業するんです」
「……面白そうっすね」
「いまはもちろん営業してないから、隣駅から歩いていくしかないんですけどね」
彼はしばらく逡巡したあと、
「あの、僕も津島ノ宮についてっていいですか?」
と言いました。
なぞのおとこがなかまになりたそうにこちらをみている!
彼には怪しい雰囲気はまったくなく、私に興味もなさそうだったのでなんの抵抗も感じませんでした。
「いいですよ」
なぞのおとこがアヤーヌのなかまになった!
とはいえ、これは別にナンパ的なものではありません。
なんとなくのマナーとして、どこの誰なのかというようなことはお互いいっさい詮索しませんでした。
連絡先の交換なんてもってのほか、名前も聞いてません。
多度津に戻る道中も予讃線に乗り換えてからも、離れた席に座っておのおの勝手に過ごしました。
海岸寺で列車を降り、あとはマップを確認しつつひたすら歩きます。
彼もなんとなくついてきます。
あんまり会話らしい会話もしません。
私たちはただ同じ駅に向かっているだけです。
やがて海が見えてきました。
絶景です!
「きれい!」
夢中で写真を撮ります。
暑くてしんどいけど、素晴らしい景色を見ることができました。
歩き続け、ついに見えてきました。
海に架かる橋。
この先の島に津嶋神社があり、この神社のお祭りの日だけ津島ノ宮駅は営業するのです。
橋を渡って神社に行ってみたいですが、あいにく今は封鎖中。
ということでもうちょっと歩いてみると、ついにお目当ての津島ノ宮駅がありました!!
ホームは広く、切符売り場の建物もあり、ちゃんとした駅名表も立っており、思っていたよりも立派な駅です。
「来ましたね!!」
「けっこうちゃんとした駅ですね」
などと感想を述べあい、写真を撮ります。
で、ここで待っていても列車は来ません。
また歩いて営業中の駅に戻らなくてはいけないのです。
「よし。ぼちぼち歩きましょうか」
「はい」
「せっかくなので私は詫間駅まで歩きます」
「じゃあ僕も……」
また黙々と歩き始めます。
この人がどこの誰なのかは未だ知らぬままです。
知らないけどそれでいいのです。
歩いて歩いて、詫間駅に着きました。
海岸寺から5キロほど歩いておりなかなかくたびれました。
ホームでほっと一息ついていると、彼がさっぱりとした表情で言うのです。
「僕やっぱり、あした下灘に行くことにしました」
「え?」
「新幹線で帰ればいいんで!」
迷いのないすっきりとした顔。
なんにも言わないけど、きっとここまで歩くなかで良い心の動きがあったのでしょう。
彼の下灘駅が素敵な場所でありますように。
やがて列車が来ました。
もう夕方です。
彼とはなんとなく会釈を交わし、またおのおのの旅に戻りました。
この彼がのちに夫となった……わけもなく、その後はなんにも知りません。
でもきっと日本のどこかでテツを続けてるのでしょう。
奇妙な出会いと奇妙な駅の話はこれでおしまい。
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