没後50年 鏑木清方展へ
留学してたときの先生が、
没後でなくて生誕で祝われる数少ない人のうちの一人とかいってキング牧師を紹介してたかしら
確かに祝われるなら没じゃなくて生誕で祝われたいなな度と思いますが、、
そんなことはともかく
鏑木清方展(5/8まで)へ馳せ参じました。
東京国立近代美術館 の春まつりコレクションも
みに行きたいなぁと思っていた(5/8まで)ので
ちょっと慌てて。。
春まつりのコレクションは思ったよりコンパクト。
でも移動式畳に座ってみるというのはとても贅沢ですね。許されるならばここで2時間くらいお昼寝したいと思いました笑
(最近美術館が体験をうるようになって来た気がするなぁ)
(ポーラのSpotifyとか)
今回の来訪の感想は大別すると
・鏑木清方が控えめに言ってほんまに天才やな
・ちょっとした配慮が嬉しい〰︎
・足がきついしぬ
😌
企画展と常設展、全部回るのに5時間弱もかけてしまいました。
若者なのに。途中で疲れて心が折れそうに。
在宅ワークは私の体力と筋力と気力と胆力を日々少しずつ蝕んでいきます。
鏑木清方はすごく細かいところまでしっかり描かれているので、みよう思ったらいつまででも見れます。元気なときにきて、脚としっかり会話なさってください。
鏑木清方は天才なので、私のような凡才は
鏑木清方についてあれこれいうのはやめにした方がいいとは理解しつつも備忘録だもん
おいらは自分なりに学んだことを書いちゃうもんね😉
私は素人で、今まで美人画をみて、美しい!と思うことってそんなになかった。
なのに今回はなんでこんなに美しいのか。これほど目をひかれるのか。うんうん考えながら歩くことになりました。
日本の美人画はどこかぽってりとしていて
良くも悪くも柔和に見える。
控えめな感じはあるが気品がある凛とした感じまでが感じ取れない。悪くいえば野望ったい。
そんな印象を持っていました。
今回の展示をとおして
本当にその人がいたんだろうなと、リアルさを感じること。
空気が澄んでいて(空気感を感じて)上品な感じがすること。
大きな表情は作られていないものの、視線が絶妙にかき分けられていて、お稽古の内容を思い出しているのか、お芝居にひきつけられているのか、雪の降るのをぽうっと眺めているのか、
無意識に、一人一人の思いをなぞろうとしてしまうこと。(奥ゆかしさと描かれる人物の感情(ときに熱情)が同居している感じ!!)
着物の柄や小物や背景随所が細かくかかれるものの、かならず目をひかれる主人公がいること
そんな諸々で、
私は鏑木清方のかく女性を、とても美しく感じたのかなぁと思いました。
今回の展示のテーマは、
美人画ばかりに着目される清方だが、そんな清方が大切に描きだした暮らしや文学、
これをみた上で、美人画をみるとまた違ったように観られるんじゃないだろうか?
(だいぶ端折っています)
というものだとMoLでおっしゃっていました。
私には本当にそれがクリティカルヒットしてしまったようです
重い空気を伝えたいとき、湿度を伝えたいとき、寂寥を伝えたいとき、
人物含めて画面全体のトーンを下げたり、バックに清方ブルーをいれたり、すんなりとわかりやすく伝えてくれます。
丁寧に生活の様子がかき出された絵と美人画を並べてみて、
重い空気感の絵とからっとした空気感の絵を並べてみて、ずらっと贅沢に鑑賞することで
初めて得られた感覚ではないかなぁと思いました。
優しい色合いが多く使われているからこそなのか
ぱっと目が引かれる部分が確実に合って、
初心者にも楽しみやすい展示でした。
今回の企画展のコピーである
というフレーズ。
鏑木清方の残した
という言葉。
このどちらもを贅沢に味わえるとても素敵な経験でした。
ちゃんちゃん!!おやすみなさい!!
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