雑記ー「すずめの戸締まり」2回目鑑賞を終えてー

「すずめの戸締まり」2回目鑑賞。

1回目では泣かなかったのに今回はなぜか涙が出てきた。
前回にもまして「やられた」という感覚が強く残る。

震災や神話という自分の興味関心ごとが描き出され、恋愛とファンタジーが埋め込まれている。
たぶん私が自由に創作してみろと言われたら、描いてみたいと思う題材がこれでもかというほど詰め込まれた作品だ。

あの2011年3月11日の東北で、あるいは1923年9月1日の東京で何が起きたのかを継承する作品となること。
年上の男性を強く想い、深い愛を知ること。
人々が日本という地で信仰してきた地震神話を現前させること。
すべてを想像力で包み込み圧倒的な世界観を表現すること。

これは私がこれからもずっと大切にしたい映画であり、しかし私が充分に語るべき言葉を持てない作品であり、そして私不在の物語だ。

前回真っ先にこの作品を見終えてから考えていたのは、被災者の方やあの震災に直面していた人々はどう受け止めたのかだった。

今回映画館を後にするとき、ふとこんな声が聞こえた。
「〇〇がこの映画を観るなら題材が題材だけに気をつけた方がいいと言っていたけど、その意味がわかった。」「思っていた以上に露骨だった。裏テーマくらいにしかなっていないと思っていたのに。」「あそこまでやられたらキツイな。」

そう話す声の主は鼻をすすりあげていた。

この言葉を発した彼のことは全く知らないし、背後から聞こえてきた会話をたかだか数十秒聞いていたにすぎない。
けれどもこれはまぎれもなく、あの震災の当事者の声の一つだった。

映画自体の評価がどうであれ、私はあの作品をある意味で心のくびきとすることに決めている。
あれを観て心が動かなくなったその瞬間が、きっと私の一部が死んだことを示す指標となるだろう。

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