見出し画像

【三国志を語りたい】曹騰 〜三国志の序章を彩る高潔な宦官〜 vol.1

さて、前回は鄧 綏(とうすい)という皇后のお話をさせていただきました。


彼女の親政は宦官、外戚といったバランスを上手にとり、後漢の中でも安定したものでした。
そんな彼女も苦労が祟ったのか40代の若さで亡くなってしまい、いよいよ宮廷が混沌とし始めます。

後漢皇室家系図で言えば、⑥の安帝の時代であります。
⑧の順帝保は安帝の実子でしたが、安帝の皇后の子ではなく、李貴人の子で皇后からは嫌われていたことから、鄧 綏の庇護下に置かれていました。
そんな時に保を守るために組織されたのが、少年宦官で構成される家臣団でした。
その中で保にとって親友の存在になるのが曹騰でした。
曹騰は宦官でしたが、忠義に厚く保のために献身を捧げる少年です。
この2人が手を取り合って苦難を乗り越えていきます。

鄧綏の死によって宦官が暴れ出します。
安帝は鄧綏の観察眼の通り、不安定な親政を始めます。
単純に宦官の言葉を鵜呑みに色々やらかしてしまうのですが、保にとっての不運は廃嫡されることでした。(息子なのにひどい・・・)

きっかけは邸第の増改築の来賓で、保が皇太子として出席したが、家臣と安帝の養母らが揉めてしまい、結果として家臣は獄に入れられるという騒動でした。

宦官としては、この経緯があった上で保が皇帝となってしまうと、自分達が誅殺されると判断したのか、何が何でも保を廃嫡しようと働きかけ、ついに安帝は自らの実子を廃嫡する暴挙に出たのでした。
いずれ語られる袁紹親子然り、後継をうやむやにすることは悲劇の始まりですよね。

保は済陰王となり、家臣団は離散、若かった曹騰は無害と見なされたのか、離れることはありませんでしたが、あまりにも酷い仕打ちですね。

曹騰は保にとっては心の支えだったようで、曹騰が今度から毒味を引き受けるようなことをいった際に保は「お前までいなくなってほしくない」と言われたみたいです。(史実なのかは不明)
こういったエピソードから曹騰は保に対して絶対の忠誠を誓い、保は家臣以上の友として彼と関わっていくことになります。
このことが今後、曹騰という人物を偉大にさせていきます。

不運は続きます。

今度は安帝の崩御です。
安帝が崩御して保にとっては良いのでは?と思いますが、この時すでに保は宮中にとっては忘れられた存在、保が宮廷に出向いても官人に門前払いをくらいます。
流石に息子であるのに父の死にも逢えないことに保は慟哭します。
曹騰も保の苦しみがわかっているので辛いと思います。
まだ保は11歳、あまりに辛い現実に読んでいるこちらも苦しくなります。

安帝の死後は一族の少帝がまだ幼いながら即位しますが、早くに身体を崩し、命も風前の灯状態なるのでした。

少し長くなったので、今日はここまでにします。

次回からはようやく保、曹騰が表舞台で活躍する転機が訪れます。

なぜ、こんなに面白いのか!?読めばわかる!

①光武帝→②明帝→③章帝→④和帝→⑤殤帝→⑥安帝→⑦少帝→⑧順帝→⑨沖帝→⑩質帝→11桓帝→12霊帝→13少帝→14献帝


三国志
宮城谷昌光
文集文庫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?