『教養の書』を語る

今回は、戸田山和久さんの『教養の書』について語る。『教養の書』は、かなりおすすめの本である。

私がこの本を購入したのは、とある方がおすすめしていたからである。(そのとある方にはこの本に出会わせてくれて感謝🍣)

この本の考え方がすごく好きだなと思ったので、大好きな本の一つになった。以下、3つ程おすすめポイントを語って共有したいと思う。

『教養の書』とは?

まず、『教養の書』とはどんな本か?
ざっくり言うと「教養とは何か?」がテーマの本である。

メインの対象読者は、大学1、2年生のようだけど、社会人でも十分楽しめる内容であると思う。言語好きな方にもおすすめの本である。

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言語への考え方

言語が好きな人や、文章の表現に興味がある人にとっては、共感できるポイントが多いと思う。私としては、なかなか同じような考え方の人には出会えないので、ああそうだよね、うんわかるわかる、となったのは本当に久々である。

この辺りの話は、私はふんわりとした感覚の考え方でしかなかったのだが、この本を読んで文章としてくっきり形になってる!と思ってすごくわくわくした。

具体的な内容でいうと、「「窓」としての外国語」(p.131)や、「言葉は思考拡張装置」(p.218)がすごくよかった。言語好きの方にはこの辺りぜひ読んでほしい。

ラフな語り口調

堅苦しい文章ではないこともこの本の魅力の一つだと思う。流れるように読める。皮肉ぽさも少しあるが、不思議と嫌な感じはしなくて、心地よい。たぶん言語への考え方を見るに、言葉や語彙に気を配っている人だろうなと思う。

これについてこう思うんだよねえ、どうかな?という雰囲気で押し付けがましくないのも良い。

「共感なき連帯」

「共感なき連帯」(p.203) は、この本の中で一番ハッとさせられた考え方である。私はこの考え方に「共感」してしまったので、これに共感できない人もいるだろうけれど。(人はやっぱり共感する考えを受け入れたくなるんだろうなと思った。)

でもなんだか最近の社会は、これとは違う「排除型社会」であるなと思うのだ。共感できない人を排除する社会とでもいうのだろうか。そしてその排除された人たちの中にも、自分たちは特別なのだと思う人もいる。それはなんだか違う気がしていて、共感できる人も、共感できない人も仲良く共存できたらいいのになと思う。「共感なき連帯」である、「ゆるーく繋がる」社会を、私も推したい。

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以上、この本のおすすめポイント3つを語ったが、これだけではもちろん語り尽くせないほど、他にも面白い内容が散りばめられている。「洞窟のイドラ」や「個人の愚かさ」の話もすごく面白い。なのでぜひこの本を買って読んで欲しい。

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