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野心と私。

こんにちは。
お釈迦様の誕生日も過ぎました。

桜もすっかり葉桜になりつつあります。
SNSでは各地の桜の満開の素晴らしい写真が流れてきて、
心が浄化されそうです。

仕事はやることが山積みなのに、
日中も仕事しながら絵の事ばかり考えて過ごしてしまっています。

基礎練習しながら描いているからか、
最近は手間がかかり全然思うように描けなくてもどかしい。
しかも描いている自分の絵がいいのかどうかも自分では全然わからない。

今の絵がすごく固いのはわかる。
バランスがとれていない、安定していない、表情が単調…。
そういうのは基礎を勉強中なのでそれはもう仕方ないとは思うのだけど、魅力的な人物を描けない、という大きな課題が見えているのにどうすることも出来ない。

あと何年かかるんだろう…
今すぐ上手くなりたいのに…

上手い人の絵を見ていると安定していると思う。
バランスの悪い不安定な絵は見ている人が自分でバランスをとろうとして疲れてしまうそうだ。
知らないうちにストレスを与える絵を本能的に人は避ける。
だからバランスが悪くて下手な絵を人は見ようとしない。

上手い=バランスが整っている、のが土台(基礎)。
それから魅力的にみえる絵柄(画力)。
これらが完成している人の絵が他人の目にとまって反応(評価)される絵になるのだと思う。

この目標を目指して私はこれから頑張っていくつもりだ。
今の時点ですでに心が折れそうになっていたりするけど、指針ができたのでそこに向かって日々練習していくしかない。

だけど、自分の創作が手につかない。
先日、私の尊敬する作家さんの作品を読んでその作品の圧倒的な素晴らしさに衝撃を受けた事、神絵師の同人誌を読んで「こんなの最高じゃん…」と放心状態になったこと。
自分の描いてきた絵や漫画が他人の目から見たものと私自身の目での見え方が乖離していることがわかったこと。

今まで目の前に霧がかかっていた状態だったものがクリアになり、いろんな衝撃を短期間で一度に受けてしまったことで、私の中でいろんな思いが渦巻いている。

今まで霧の中にいたことにも気づかず、ある日突然、霧の中にいたことがわかってどうしたらいいのか迷いながらもとにかく進まなければ…と思っておそるおそる一歩ずつ手さぐりで進んでいる状態。

目の前がクリアになったと思っているけど、もしかしたら今だって本当はまだ霧の中にいて、進んでいるつもりが後退しているのかもしれない。
そのことにいつ気づけるのだろうか…。
そもそもちゃんとクリアに見えているのかさえもわからない。

怖い。

他の人の作品のことはちゃんと見えている(と思える)のに、私自身の創作についてはなにひとつ見えていない。
だから私の今描いている絵や漫画が他人からどう見えているのか全くわからない。

描くしかないと思うのだけど、自分の創作にまったく自信がなくて虚しくなってしまう。

尊敬する作家さんも神絵師の同人誌を読んだと聞いたので、お願いして感想を教えてもらった。
「最高」だと大絶賛する言葉を言われると思っていた。
それを受け入れる覚悟はしていた。
だけど、作家さんはその本の内容は自分が求める内容と少し違っていたとのことだった。

それはその神絵師の本に期待していたということだ。
あれだけの画力、漫画を描ける人だから、もっとこういう話が読めると思って楽しみにしていた、ということだ。

上手い人にはそれだけ期待もするし期待するから求めることも厳しくもなる。

私にはそういうのが、ない。

誰からも求められていない。

作家さんは私の創作を見たり読んだりして丁寧な感想を送ってくださる。
その言葉はやんわりと表面をなぞってくださることが多い。

それは私が下手だからだ。
下手だから期待もしていないし、
下手だから内容に触れずに「漫画を描けるってすごい」「人物が描けるのはすごい」なんて言う。

上手かったら人物を描けるのも漫画を描けるのも当たり前になるし、
漫画はひとつの作品として読んで、その内容に言及していくものだ。

作家さんは私のことを『悩みながら上手くなろうと頑張っている』という「努力の過程」を評価してくださっている。

でも神絵師に対しては「創作作品」を見て判断している。

私はそうなりたい。

自分の創作に「下手」「つまらない」そういうマイナスな批判をもらえるだけマシなんじゃないかと思う。
だってそういうマイナスの感想がくるというのは一定数の人に見てもらえているわけだから。

下手すぎて自分の創作を認知すらされていないのは本当につらいことだ。

描いてアップしても誰からの反応もない。
いいねもブクマもつかず、反応は作家さんが送ってくれる言葉だけ。

そんな作家さんの言葉が同情からくる優しさだと思うのは、私が卑屈になっているからだろうか。
これ書きながら、作家さんに相当依存しているなと思った。
だめだね。こんなんじゃ。そのうち見捨てられるなぁ。

今は感情の波の谷の方にいるのでどうしても落ち込んでしまう。

先日見かけた悩み相談の回答で、

“自信があるからこそ、自分より上手い人がいることにショックを受けることができるのでは?
本当に自信がなかったら「世界には自分より上手い人ばかりだ」という認識だと思うんですよ。
だから、自分より上手い人がいるなんていう当たり前の事実にいちいち傷ついたり劣等感を持つということは、あなたは自信がないんじゃなくて、君臨しないと気が済まない人なんだと思いますよ。

トップに立ちたい。
誰より上手い自分でありたい。
賞賛されたい。
唯一無二のスターになりたい。
そう思っているのでは?

この野心を隠して、謙虚ぶって傷ついているだけでは?」

相談内容の全文
URL→https://peing.net/ja/q/2ef7e204-b03c-443a-a6ee-0a1a03eca06d

この方の回答を読んで「ああ、そうだ」と自分の奥底にあった気持ちをそのまま代弁してくださっているのかと思うくらいの内容に、私自身の本当の気持ちに気づくことができました。

そうなんです。
私は自ジャンルの「神」になりたかったのです。

今の「神絵師」の立場に自分が降臨したい。
相手の実力を上回る画力をつけて、自分がその座にのし上がりたい。

だから今の自分の現状と画力に絶望をして、
のたうちまわるくらい苦しかった。悔しかった。

「神絵師」の絵を毎日のように模写しては全然描けないことに腹が立ったり、SNSにアップするイラストをスクショしてどこがいいと思うのか舐めるように眺めている。

神絵師を超えるために。
当たり前だけど、神絵師だってこの画力になるまで相当な年月や努力を費やしたはずなのだ。
それを私がやすやすと超えられるはずは絶対にない。
何年かかるのかわからないし、もしかしたらずっと敵わないのかもしれない。
一度そういうネガティブな思いにとらわれると「いい年して今から頑張ったところで…」なんて考えて描く気がなくなったりする。

まだスタートしたばかりだけど、
ちょっと心が疲弊してしまいました。

私が目指す目標が高すぎるからだ。

このnoteだってほとんど反応がないことからわかるように、
きっと私の創作も読んでみようと思われないだろう。

読んでいる人の心に響くものがないのだろう。

このnoteでバズろうとかは思っていないのだけど、
同じような創作への思いを投稿している人と比べると反応がないのが、自分の創作の答えなのかなと思ったりもする。

答えはきっと自分で決めるしかないのだ。

今は足掻く。
野心を持って。



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