40代になって。20代、30代良かったこと。
9月に入って私の40代人生が始まった。
これからどうなるんだろう。
前々回のnote書いた後、まだ不完全燃焼だったのと、フォローしている方のnote見てたら触発されてまた同じテーマ書いてみる。
今までを振り返ってみたい。
10代、将来どうしたいとか特になくて、中学のときも、大学のときも、職場体験とか真面目にやってなかったな…。
16歳になるころ、国際的な仕事に興味があってインドネシアのJICAの人の現場を見に行くツアーに参加させてもらった。そこでは、農業の支援者として仕事している日本人男性の姿があった。
でも、農業にその頃特に興味なくて、そこから何かが大きく変わることなかった。
たぶん、26歳まで自分の人生が大きく変わることも変えることもしなかった。
23歳で大学卒業して地元の新聞社入って記者を4年やった。
よく周りも自分もやらせてくれたと思う。若いってすごい。
その後、1年間特に就職とかせずに海外行ってた。
最初、ツアーでトルコへ。
インターネットでひたすら探しているうちにトルコで発掘調査している日本人にメールしてみたり、毎年トルコに発掘調査している日本の大学の先生に会って話聞いてみたり。
とにかく、考古学の道に入りたかった。
新聞記者やっている間、体調崩して布団から出られない時期があった。元気になったら、死ぬまでに後悔しないようにしないと、って思って、でもどうしたら良いか分からなくて。
6月末にトルコ2週間行ったら虜になってしまい、12月にまた2ヶ月半ほど行った。
今思うと、貴重な時間だったけど、そこからすぐにトルコ移住とかにはならず、次の年、奈良の大学院に入ってとりあえず日本の考古学を学ぶことにした。2度目の大学では普通に就職するのが嫌だったから、いろいろ苦労しながら来た子もいた。
私はそれから考古学の道に入ったけど、正直迷子になった。結局そこで私の道は見つけられなかった。私には研究の道は向いていなかったのだと思う。
仕事を契約期間の5年終えて、何しようかと考えたけど、ライターの仕事を依頼された。
今みたいにフリーランスというのがキラキラして自由な像でもなかった。とりあえず一生懸命やってきた。
好きかどうかわからないけど、ものを書くことはやっぱり好きだし、ものにもよるけど、向いているほうなのだとも思う。
ただ、これも思うところあってフリーランスを突き進むことをいったんストップして、現在は会社員になった。
これは私が技術者としてスキルアップしていくよりもチームでやりたいという気持ちが増していたからだと思う。
ライターは特に取材ライターに関しては実力主義の要素が強くて、どこかストイックになれないし、むちゃくちゃ好き!ってわけでもない実力が薄い自分には向いてないのかも?
それとも、もしかしたらそれ以前の問題だったのかもしれない。
結局、何か限界?のようなものを感じて別の視点にいきたかった。
今、そういう意味では会社員になってすごくよかった。こういうことか…って思うことがたくさんある。
私は真面目で一生懸命やってきたけど、20代、30代のころは仕事をやっている自分というのが今ひとつイメージできなかった。10代の頃からずっと。
理由は、仕事やりながら、自分が仕事に全然ハマってなかった。
でも、ライターの仕事をやってから、すごく集中しやすくなって、仕事にハマっている感じがある。多少なりとも役立ってほしいとも常々思う。
ライターの仕事を通じて、社会への意義とか仕事の意味とかが自分の中にすごく落とし込める感じがする。
誰がなんと言おうと、自分が関わっていることは絶対に誰かの役にたつという実感がどこかにある。
ただし、ライターのどういう立ち位置が自分に合っていて、こういうやり方で自分が発揮できて、というのは今もまだ試行錯誤ではある。
そういう感覚は本当最近。会社入ると、よりそういう感覚はつかみやすい気はする。
20代は仕事とか周りの人とかそれどころじゃなかった。
まず自分のやりたいこと、やりたい。
やれた部分もあったけど、私は人にどう思われるかとかを気にして、結局そのやりたいを突き通せたわけではなかった。
まぁでも全てが自分のやりたい気持ちを通すよりも、なんか人生は運ぶというのが合ってる気がする。
30代は、自分だけじゃなくて周りとの関係性に悩んだ。
ある意味では自分のことしか考えられなかった20代から一歩進んだわけだけど、苦しんだこともあった。
その中でもいちばん悩んだのが嫉妬心だと思う。
自分の嫉妬心もあるけど、他人の嫉妬心とどう向き合うか、そこが大きかった。
私には元々ベースの自信が弱くて、自分なんかに嫉妬する人間なんかいるわけないって思っていた。
というか、いろんな意味で他人の方が自分より優れているという変な思い込みがあった。
自分でもなぜかよくわからないけど、私は自分で不器用な人間ってわかっていたから、他人はみんなこんな器用ですごいなっていつも感じながら生きていたと思う。
でも私以外の人もいろいろ悩んでいるし、人が羨ましい、こんな私のことすら羨ましいことだってある(これも当時の思い込み)。
そういうことに気づかなかったし、他人のそういう劣った感情や状況を認めてあげられていなかったのだと思う。
ある意味で。
あるとき、県外に住む知り合いの方がFacebookで電話してきたことがあって、彼女は〇〇さんのことがすごく羨ましかった。私、なんであんなことしたんだろう…って泣きながら話していた。
その人はきっと誰かに気持ちを打ち明けたかったのかもしれない。遠くに住む私なら、電話で泣き顔を見なくても話せるのが後押ししたのかもしれない。
私はその人の話を聞いたとき、自分以外の人の嫉妬心を嫌な気持ちとかなくただ純粋に受け止めることができた。私はそのとき、たぶん初めて他人の嫉妬心もちゃんと認められたのだ。
かつて私は前の職場で、あるとき急に呼び出されて私の小説書いてる活動とかSNSとか問いただされてすごく嫌な気持ちになったことがあった。その出来事を周りの人に話すと、その人は私に嫉妬しているのだと言う。私はそんなわけないと思っていた。
そのときのことを思い出すたび、嫌な気持ちになっていた。春先の寒い倉庫で2人きりで一方的に話をされて、自分のSNSを引き合いに出されて自分をいきなり裸にされたような感じがした(SNSに投稿したのは私だけど、このとき自分を客観的にみることができてなかったし、そういう形で私の内部に土足で入り込んでくるなんて思いもよらなかった)。
でも、その数年後に全く関係ない知り合いが自分の嫉妬心を正直に話したとき、私はあのときのこともだんだんどうでも良くなっていた。
今思えば、30代後半は嫉妬がテーマだったかも。35才の年、フリーランスになると、いろいろな嫉妬心も湧いてきて苦しめられた。
そういうことは定期的にありながら自分の道を進むしかないって今は思う。
だんだんそういう不安定な気持ちとは離れてきたけど、その分、老いと向き合ってくるということだと思う。
まだ老人ではないけど、40代からは20代30代のそういう若者感が無くなって、より周りとか社会に対して自分がどんなことができて、役割とか仕事みたいな意味合いが強くなってくる気がする。
もちろん、モヤモヤすることがいっぱいあるし、私はやっぱりHSPなので、いまだに他の人が何にも気にしていないのに私ばかりずっと気にしている、悩んでいるみたいな思春期な自分がまだ住んでいる。
たぶん前よりかはずっとマシだけど、ひとりで生きていける気がしない。
くだらないことや面倒くさいことで家族に電話して、友達にも話を聞いてもらう。
それでもまだ晴れないときもあるけど、まだ人に話したり、こうして文章に書いたりしてかなりマシになる。
ほんと、そいつ今ごろパフェとか食ってる、わけで、私ばかりずっと気にしてること、たくさんあるわけで。
うん、たぶんこれからは自分のやりたいことやりながら、社会や周りに還元するってことを意識していきそう。わからないけど、そうできたら良いかも?やっぱ、まだ分からない。
今はやりたいことがわからないモラトリアム期に入ってしまった。
40歳になってモラトリアムかよ?って感じなんだけど、今本当にそう。
だけど、仕事しながらも、本当に自分がやりたいこととか使命感みたいなものをすごく求めていて、それが見つからない虚無感がどこかにある。
ひたすら映画観たり、自転車で琵琶湖行ってみたり、そんなふうに楽しみながら自由研究したりして、本当にやりたいこと、どこかで探している自分がいる。
今とりあえず、また海外行きたい。
空港行って、異国入って、街を歩いているときのあの感じ、空気、景色、いろいろ好き。
これ、もっと味わいたい。
あとは何やりたいだろう…もう少し今年は20世紀前半の自由研究する。
とりあえず、海外など巡りながら、感じたい、考えたり、人と会ったりしたい。
猫と触りながら最高の安堵感を味わいたい。
いつまで家族が生きているのか、わからない。
いま味わいたいことをたっぷり味わいたい。
20代、30代みたいにわかりやすい目標が今ないけど、これからもっと確かな自分になれそう。
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