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スクスタの亡霊は虹ヶ咲6thライブをどう見たか

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会6thLiveが全公演終了した。
私は神奈川のday1を現地、day2を配信で観た。
そして、少なくともこのライブについて、複雑な感情を持ち臨んだ人だ。

2023年の虹ヶ咲

2023年の虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はコンテンツとしては激動であった。大きくは3つ。
1、楠木ともりから林鼓子へ
2、スクスタのサービス終了からのスクフェス2へ
3、OVAの公開、そして劇場3部作の発表。

これらの出来事の中で私がどのような状況に陥っていたかと言うと、無になっていた。
虹ヶ咲に心が動かされなくなっていた。
ライブの感想の前にこの話をしておきたい。その話をしなくては話が通じないと思ったから書く


私はアニメ2期と5thライブ後にこのような文章を書き残した。
振り返るとあまりにもネガティブ過ぎて笑ってしまうのだが、この時の私の確かな偽らざる感情である。
最もコンテンツとして追い風が吹いている蓮ノ空に靡いてしまっただけというのは決して否定出来ないのだが、これまでそれなりにラブライブ !内で反復横跳びしてきたのでそれだけではないと思いたい。

楠木ともりの降板、これはショックどころの話じゃなくしばし呆然として、なんども何かをnoteに書こうとしたのだが、何を書いても嘘になる気がしてついぞ書くことが出来なかった。
ただこの件については、発表から降板まで時間を持てたこと。2月のA・ZU・NAライブで、ちゃんと別れを伝えられたこと。
そしてライブの感想に書くが、後任である林鼓子のおかげでそのことについては氷解できた。

スクスタのサービス終了、これが1番大きいのかもしれない。というよりは、最たる要因がこれである。スクスタのサ終に伴い、それなりの数の『今までありがとう』といった文章がネットに流れ、私も見た。
正直、ゲームとしては良いものだったとは言えないし、ストーリーに不満もあることはあるのだが、彼女達と『あなた』として繋がるのはあのゲームで無くてはできない、one and onlyの存在であった。
私はこのゲームで桜坂しずくに脳を焼かれ、1人だけなんて選べないということもなく、朝香果林を推しであるという確信を持つに至ったのもこのゲームのおかげである。愛憎渦巻くとはいえ、故郷の島が沈んで何も思わないわけがなく。


OVAは観た。これを2023年の軸にしなくてはいけないので30分の中に詰め込んでいるなぁ、といった印象も受けた。6th liveで完結編と銘打たれた劇場版3部作に繋がる物語だったのもあり、テレビアニメ14話といった程度のボリュームだったが、素直な感想を言えば、虹ヶ咲の方針が変化したんだな。と感じた。
2期最終回で「次はあなたの番」と高咲侑は言っていたが、今作をもって『あなたと叶える物語』から、『頑張るあなたを応援する13人』になったのだと思った。
アニメ以降、明確に虹ヶ咲はファン参加型企画が増えていった気がする。元よりそういった企画自体はあったが、最近はファンとの一体感というよりは一歩線引きをされた上での企画というように感じてしまう。
なぜなら、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の13個あった席のうちの1つは、私の席だったはずなのだ。


ここで一つ注釈しなくてはならないが、私は高咲侑個人が嫌いという訳ではない。アニメが概ね高評価なのは彼女のキャラクターに依る部分を大きいこと否定はしないし、顔の無いアバターから産まれたのによくここまで人気が出たものだとも思う。
現に私もアニメ1期が終わった際には「もう彼女と会えないのか…彼女もまたあなたの1人であった。」と言わば戦友のような気持ちで観ていたことも事実である。


だが、それはあなたという存在がいてこその話であった。私はかつてのnoteに『あなたから渡されたバトンを侑がアニメという物語を走り切り、再びあなたにバトンを渡すように物語は幕を閉じた。』と書いた。
だが、スクスタのサービス終了前後から伴い、ジワジワと高咲侑がいる時空の方が増えていった時の私の気持ちは筆舌に尽くし難いものがあった。

そして、スクスタの死の宣告を知ったうえで、スクフェス2で主人公の私が歩夢の幼馴染として侑が対面した時のこの気持ちは、現実改変系の敵と遭遇した時のそれに近いものである。
今まで自分が座っていたはずの椅子が高咲侑に座られてしまったこの気分が分かるだろうか?


これは名古屋公演で発表されたにじよんシーズン2の1シーンだが、私はこのような歪な捉え方をした

高咲侑は人気キャラである。彼女はアニメ時空でしか生きれない、であるならば、色んな時空に彼女をいる時空に改変してしまおう。

Q:被害妄想じゃない?
A:そうだね

被害妄想甚だしいといわれたら言葉もないのだが、よりにもよって「TOKIMEKI NIJIーVERSE」という様々な時空がある虹ヶ咲はマルチな世界で展開していきます、というプロジェクトを発表した時の初っ端がこれ。ということが、今の作り手のスタンスを明確に表しているような気がして内心ひどくショックを受けた。(ラブライブがライブで新展開を発表する際は千秋楽でやるので、それまではどデカい発表はしないという風潮は十分理解してはいるが)

スクスタcomplete Bookの歯抜けぷりを見て舐められている?と感じてしまったのも、ある。
本書は購入した人はわかると思うのだが(「スクスタ」のすべてを詰め込んだ究極の1冊!)と紹介されているものの、そこに収録されているのは、
メインストーリーのダイジェスト
キズナエピソードのスチル、UR、SRカードイラスト
一部3D衣装の立ち絵

を網羅したにとどまり、イラストに付随するストーリーやキズナエピソード、毎日劇場などは一切無し!という一冊になっている。completeとは?
なんだったら昨年のスクフェス感謝祭で無償で配布された小冊子の方が思い出に浸れるという無常さである

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神奈川day2でされた発表を見なかったらこんなものを墓に備えさせる気か!と墓場から腕を出して完全に呪霊になるところであった。

つまり作品の展開からうっすらとただよう「これからはアニメ時空中心に展開していこう。スクスタのよさそうな要素だけこちらで使わせてもらう。」という空気感に重ねられた、侑の台頭とスクスタの消失に伴う"あなた"の死のダブルパンチにより、完全に虹ヶ咲における自身のアイデンティティを喪失するという事態に陥ったのである。
その喪失感は自分でも悲しいことにキャストが「あなたに」と声をかけたところでその言葉が中身のないものに聞こえてしまうのであった。
そのあなたって誰のことですか?

アニガサキは出来が悪い作品でも無ければ、配慮に欠けた作品でもない。技巧に満ちた作品だし、ラブライブシリーズでも異端とのいえる演出の妙がある。
事実、異次元フェスで一緒に打ち上げしたアイマス側の人に最初にラブライブ見るならどれですか?と聞かれ、「ん~虹ヶ咲が一番アニメとしては良くできてますね…」と伝える程度には、私も1アニメとしての出来が良いと思っている。であるから余計にそこから取りこぼされてしまった存在になってしまったことが余計につらい。


『あなた』として生きることはもう出来ない。
新聞部のあなたはもはや他人である。
高咲侑を神輿として担ぐことも出来ず、OVAのストーリーにノることも出来ない。

心が、無になっていく。

そんな状況で5thアルバムのテーマがラブソングで、6thライブが「愛の交換」をテーマにしたライブとは……。
アニメ2期終わるころから早く5thアルバム出した方がいいと強く言い続けたきた私だが、これは一体何の皮肉だろうか。

「それはあなた=私への愛ではなく、高咲侑という個人への愛ですか?」とねじ曲げられた自分の頬を何度殴ったことか。(紆余曲折を経て朝香果林推しになった私だが、そんな中で推しラブソングとして歌ったものが『失恋』であったことが、傷心中の私の幾許かの救いになったことは事実であった。)

「愛ほどゆがんだ呪いは無い」とはこのことだろうか

以上が私のライブ前の素直な心境であった。私が正しいと言うつもりは毛頭ない。
私はスクスタに対して愛着を持っているからこのようなことを書くが、寧ろ真逆でスクスタに『推しを貶められた』と感じ癒えないレベルで傷ついた人もいるだろう。
まったく別で、アニメから入り、人生変わるレベルで感動した人もいるだろう。
色々な入り方で虹ヶ咲へ入る人がいるということは全く問題ではない。
だが感じ方が人によってまるで変わってくるので、話の前提条件が合わない人とは、言いたいことが全く伝わらない可能性があるということだ。


さて私のような人を反転アンチと呼ぶのだろうが、こういった人が辿る道はゆるやかにコンテンツを去り、ロクに追わない癖に気に食わない時にだけ文句を言う1番なりたく無い道を辿るだけである。
では6thに行かずに管を巻いていればいいのではないか?否、まだ降りれない理由があった。

私は特別優木せつ菜を推している訳ではないが、楠木ともり推しである。自分の禊として、彼女から引き継いだ林鼓子のせつ菜のパフォーマンスを直に観るまでは終わることは出来ないと思っていた。

そしてスクスタの最後のシングルである「KAGAYAKI Don't forget!」を聴かなくてはいけない。おそらく6thライブでしか披露されないであろう、この最後の置き土産を拾っておかないと行けない。


6thライブの感想

さて、前置きが長くなり過ぎたが、およそライブを楽しみにする人の感情では無い中で本ライブに臨んだわけだった。

楽曲

KAGAYAKI Don't forget!
スクスタ由来の最後の楽曲であり、原曲のせつ菜のパートは楠木ともりさんのため、林鼓子による歌唱は今回が初。たしかにセトリのどこに挟むにも難しい曲だとは思うが、1発目でやっていい曲か?とも思ったがコンセプトが『スクスタありがとうライブ』では無いので、むしろ初手披露は正解だと思う。
曲前の今までありがとうの映像と共に初期衣装で登場したメンバーを見た際「俺ここで死ぬんかな…」と思った。

5thのnoteでは「楽曲の自由な(行儀が悪いともいう)演出は虹ヶ咲らしい特権だ」と書いたが今回はそれをより強化していったようにも思える

6th神奈川公演だけだったようだが、新発表曲の「New Yesr's March」→「Happy nyan days!」の新年ver「Happy new year days」にアレンジするといった加える柔軟性は評価したい。

day1ではL!L!L!(Love the life we live!)の12人パフォーマンスを始めて観ることが出来た。天空席だったのだが、幸いにもライブでの初披露から2年越しにこの3つ並ぶLを見ることが出来た。
日替わり曲は恋するMagicや、意外とワンマンでの披露数は少ない『決意の光』を聴くこともできた

ソロ曲

今回のアルバムの骨子であるラブソング群。今回のライブはスクフェス2で書かれたラブソングカーニバルに全員で出場したの後の余韻が抜けきれずもう1回ライブしようというコンセプトであった。いくつか印象的だったのをあげる。

『Walking Dream』
今回の楽曲群の中ストーリーと楽曲の内容が乖離しており最も!?となった曲で、歌詞を聴き込むとストーカーのそれなのだが、上原歩夢と大西亜玖璃のパフォーマンス力で中和されてるような印象を受けた。

『背伸びしたって』世界一可愛い女の子として振る舞う彼女が背伸びしてでも恋した人に尽くしたいというといういじらしい楽曲。
1st liveから行っていたダンサーがステージに出てくる演出は今回のかすみの演出で極まったように感じる。

『小悪魔LOVE』……桜坂しずくをこんなことにしたのは原因は自分にあるのでは?あざとい~~あざとさに全振りされるとこの娘ってこんなにあざといんだ~~~。というあたりまえ体操のような状態に陥った。

『My Shadow』なんでこと恋愛に関してこんな自己肯定感が低いの果林は…。久保田未夢さんのパフォーマンスを観ていると「そこに果林がいる」と思わせてくる力は年々増すばかりである。
叶わない恋を歌った果林を観ながらスクスタのあなただったら、「果林さんとのハッピーエンド曲を作る!」と息巻くだろうと思いながら見ていた。

『Request for U』なんというか、歌詞は普通であり、特に突飛なことは言ってないのだが、そこが良いと思う。

『チェリーボム!』現状の唯一林鼓子さんの優木せつ菜だけの楽曲として生まれた本楽曲はすごく良かった。これについては、6thの真っ先に出てきた感想であり、手放しで賞賛出来る。
異次元のフェスのCHASE!でも感じたが、彼女のパワフルさは楠木ともりのそれとは違う本気系スクールアイドル!!!といった感じを想起させてたし、林鼓子さんのせつ菜の代名詞として申し分ないと思う。今後も色んなところで披露していただきたい。


『5201314』ランジュの楽曲のガツガツとしたあなたを絶対に手に入れてみせるというスタイル、好きだなぁと感じる。
加入初期は虹ヶ咲の追加メンバーの3人の中では唯一ダンスなどのパフォーマンス力が追いついていなかった感のある法元明菜さんだったが、ランジュにならんとするその気概や、プロ意識が本当に目を見張るものがあった。

これら5thアルバム曲の「もしもの恋愛」というコンセプトだ。
曲が出来上がるまでのストーリーはスクフェス2で公開されたが、どうもそれだけではない。

というかそれだけだとは思いたくない。という願望なのだが、もしもの相手とは一体誰を指しているのか、はもはや言うまでもない。表向きはラブソングカーニバルという体裁を取っているが、私にはどうしても、あの時間の中で私の後輩である桜坂しずくの手を取り、
私の永遠の先輩として朝香果林の姿を撮影し続けると語ったスクスタのキズナエピソードの一つの終着点であるように思えてならないのだ。

と書いたものの、果林の失恋モチーフの曲や璃奈の愛さんへの気持ちを歌った曲など、いくつか矛盾した要素はある。だが、もしスクスタが生きていたら5thアルバム楽曲を踏まえたキズナエピが展開されたのでは無いか…?という邪推が生まれてしまうのはおかしいことだろうか。

良くなかった所

上でも書いたように、「あなたとの愛の交換」と言っておきながらその視線は私ではなく、明らかにそこにいる緑のツインテールの子に向いてますよね?ということを感じ取らずにはいられなかった。「メンバーが侑に語りかけている言葉はいい感じにあなたにかけている言葉だと変換してくださいね。」ということか?フィルターが濃すぎるだろ……。

しかも幕間ではついに終始侑が登場し、メンバーが我々に話しかけてくるシーンにまで割り込んでくるという事態に困惑した。これをどう受け止めろというのだ?
侑は人気キャラだし、矢野妃菜喜さんのポテンシャルの高さも知っている。別コンテンツでも飛ぶ鳥を落とす勢いがあり、彼女を歌わせずにおくのは惜しいというのはわかる。
だが彼女は一員ではあってもスクールアイドルとしてステージに立つわけではない。上記の侑にかけている言葉は我々(あなた)にかけている言葉でもあると解釈してほしいというのであるなら、あまりにステージに立ちすぎである。

あなた→侑へのフィルターは適用できる。
だが侑→あなたへ変換をするには、あまりにも彼女はキャラクターとしての個性が強すぎ、そして人気が出すぎた。もし今人気投票を行い、1位に新ソロ曲が与えられるという権利が侑にも適用されるならば、1位を獲得してしまうのではないか?という邪推がある。
ではどのようにすれば満足なのか?という話なのだが、個人的には異次元フェスでの休憩タイムの登壇という登場が最も良い高咲侑の扱い方だと思っている。屈折した彼女への感情はもはや彼女がステージに立ってること自体にモヤモヤする事態と化している。何よりキャラクターや演者に対し、怒りを覚えたくない。できれば好意的にとらえてやりたいという甘ったれた自覚もあるがこればっかりはどうしてもだめだ。

正直、もうダメかなと思った。曲単位では盛り上がれるが、今のような現状が続くのはノイズが大きすぎるし、何より彼女達に失礼だ。

そして行われる新発表のお時間。
はいはい、どうせ7thと劇場版の続報ね…

一瞬の静寂……鳥の声……

……ア?

聞き慣れたBGM。見慣れた立ち絵。

私はこれを知っている…。

柵から飛び出している歩夢と弄られていたのも懐かしい、この立ち絵

おい、何で…。左隣のベランダに歩夢ちゃんがいるんだ?

言葉を失った。

そう、ここで発表されたのは虹ヶ咲のビジュアルノベルゲームであった。それが何を意味しているのか。再び始まると明言され、主人公の左隣の部屋に歩夢が住んでいる作品はたった一つしか存在しない。
サービス終了した、「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS」である


MVや、ストーリー、キズナエピソードに関しても、どこかの機会で皆様に楽しんでもらえるよう色々検討しておりますので、楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。

スクスタ運営だよりvol.25

絶叫のような歓声が会場響く。私はそこにはいなかったが、モニター越しに面食らった。
正直に言おう。サービス終了の際に口々に言っていた「スクスタありがとう」といった事は口だけで「アニメ最高!スクスタって何ですか?w」みたいなつもりだと思っていたから。(現に過去のライブやファンミで虹ヶ咲の新展開でもスクスタ関連については拍手が一回り小さかったことを鮮烈に覚えている)。
私と同じくスクスタへの別離を告げる為にこのライブに参加した人は思ったより多かったようだ。
大西亜玖璃さんの「もう忘れちゃったの?」
相良茉優さんの「また先輩と会えるなんて嬉しいです」
という言葉に崩れ落ちるかと思った。

ライブ終わった後冷静に考えると、スクスタの復活というよりおそらくはμ's、Aqoursと混成していたメインストーリーを虹ヶ咲オンリーに書き換え、キズナエピソードのアーカイブ化といった趣旨だと思う。だからスクスタcomplete Bookはわざとか?思えるほど内容が薄かったのか?

これの1番のメリットは楽曲に付随してきたエピソードをいつでも見直すことが出来ることが最も大きい。2ndアルバムなどをはじめとして、虹ヶ咲のソロ楽曲はキャラ個人のエピソードと密接に繋がっているもので、それが虹ヶ咲の最大の魅力だったから。

4年も前にこんなことを書いたが、この強烈体験を後追いの人にもはや伝えることが出来ない。口伝えに伝承していく仙人になるしかないのか…。と思っていたのでこれについては良いことだと思う。

このようなことを考えて

ラブライブ!において学生の「限られた時間を輝く」ということと永遠に作品展開をしていきたいという相性の悪さから生じる『終わらせることの難しさ』はもはや言わずもなが。
μ'sがいまだに輝くのは、それ故のことだし、続けることを選びつづけたAqoursの走る姿はそれとは対照的だが泥臭くも美しい。
では虹ヶ咲は?例えそれがサービス終了というネガティブな理由であろうと完結した以上それはそこで終わりになる。終わりは辛く悲しいがあの一瞬一瞬は、終わりを迎えたことで永遠になったのだと。

自己防衛的にこのようなことを考えておりビジュアルノベルゲームの告知がされた直後は騒いでいたが、喉元すぎた翌日は、腹が立ったことも事実である。
終わりすら嘘にする気なのか、と。

捻じ曲がったオタクの悲しさと我ながら自嘲せざるをえない。
だが、人間にとって自分の体験だけが真実でしか無い。ライターで飯を食っているわけでも無い私のような人間がインターネットの片隅に文章を残すとしたら『自分が何を思ったのか』ありのままに書くことだけが価値のあることだと思う。

Q、結局のところ好きなんでしょ
A、好きだが?

虹の先

あなたと叶える物語はどこに行くのだろう?
ゲームから生まれた虹ヶ咲、そのゲームはリリース遅れを重ねた
さてようやくゲームがリリース、1st liveが開催され軌道に乗ったと思えばコロナ、メンバー追加加入による過度な批判。
予定にないアニメが思いがけぬヒットを飛ばすが、ゲームとアニメで足並みが全くそろわなくなる。
メンバーが全員揃いようやく足並みがそろったかと思いきや、メンバー交代とゲームのサービス終了。

ロードマップというものがあるか不明なラブライブ!シリーズだが、その中でもぶっち切りでロードマップ通りには行っていない作品だと思う。
では、そんな虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会という作品のガタガタの土台を支えているのは何か?
それはもはや、しかない。逆に言うともはや愛なくしてはこの作品は成立しえない。

「虹ヶ咲って毎回ナンバリングライブの参加者が違う」という発言や、「虹ヶ咲はみんなの愛で色んな願いを叶えてきた。だからアニメ完結編のあとも終わらないって!」」はさすがにテンション振り切ってて苦笑いしてしまったが。

そんな愛の言葉に応えるようにWアンコールと共に現れ、強く強くFly with you!を歌う姿はとてもまぶしかった。

今回ビジュアルノベルゲームが発売されたが、そもそもソシャゲは終わったら何も見返す手段がないのが普通なのだ。
TOKIMEKI NIJIーVERSEだってそんな面倒くさいことせずにこれからはアニメで行くと言ってしまえばいいのだ。
『愛の交換と言いながら~』、などと文句ばかり言っていたが、結局自分の話しかしていなかったのではないか?相手から投げられているものに気づけていたのだろうか。そもそも自分は相手に愛を投げていたか?

つい先日観た映画が偶然にも最後に愛の話をしていた。
「愛の反対は憎しみではない 愛の反対は無関心」「あなたも私に話してください。あなたの心の中にある沢山のことを」という言葉が強く突き刺さった。

まだ私は虹ヶ咲と話をしたい。その形は少し変わるかもしれないが。少なくとも虹ヶ咲における愛というもの再確認させられた今しかない、今でないとできない痛烈なライブだった。


と何やらいいことを書いて〆ようと思っていた矢先にスクフェス2のサービス終了の宣告で受けさすがに目を丸くせざるを得なかった。この作品に安住の時は来るのだろうか……


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